民主主義
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概要
デモクラシー
「デモクラシー」(democracy)の語源は古代ギリシア語の δημοκρατία(dēmokratía、デーモクラティアー)である。「人民・民衆・大衆」などを意味する δῆμος(古代ギリシア語ラテン翻字: dêmos、デーモス)と、「権力・支配」などを意味する κράτος(古代ギリシア語ラテン翻字: kratos、クラトス)を組み合わせたもので、古代ギリシア語で「人民権力」「民衆支配」、「国民主権」などの意味がある [15]。
この用語は、同様に「優れた人」を意味する ἄριστος(古代ギリシア語ラテン翻字: aristos、アリストス)と κράτος を組み合わせた ἀριστοκρατία(古代ギリシア語ラテン翻字: aristokratía、アリストクラティア。優れた人による権力・支配。貴族制や寡頭制などと訳される)との対比で使用され、権力者や支配者が構成員の一部であるか全員であるかを対比した用語である。
古代ギリシアの衰退以降は、「デモクラシー」の語は衆愚政治の意味で使われるようになった。古代ローマでは「デモクラシー」の語は使用されず、王政を廃止し、元老院と市民集会が主権を持つ体制は「共和制」と呼ばれた。
近代の政治思想上で初めて明確にデモクラシー要求を行ったのは、清教徒革命でのレヴェラーズ(Levellers、平等派、水平派)であった[16]。
近代の啓蒙主義以降は、「デモクラシー主義」は自由主義思想の用語として使われるようになった(自由民主制主義)。更にフランス革命後は君主制・貴族制・神政政治などとの対比で、20世紀以降は全体主義との対比でも使用される事が増えた。なお政治学では、非民主制(の政体)の総称は「権威主義制(権威主義制政体)」と呼ばれる。
民主政と民主制
日本語で「デモクラシー」は通常、主に政体を指す場合は「民主政」、主に制度を指す場合は「民主制」、主に思想・理念・運動を指す場合は「民主主義」などと訳が分けられている。 なお政治学では、特に思想・理念・運動を明確に指すために「民主主義」のカナ転写である「デモクラティズム[17]」(英: democratism[18])が使用される場合もある。
なお、現代ギリシャ語ではδημοκρατία(ディモクラティア)は「民主制」を表すと同時に「共和国(共和制)」を表す語でもあり、国名の「~共和国」と言う場合にもδημοκρατίαが用いられる。
「民主」という語
[19]民主という漢語は、伝統的な中国語の語義によれば「民ノ主」すなわち君主の事であり書経や左伝に見られる用法である。これをdemocracyやrepublicに対置させる最初期のものはウィリアム・マーティン(丁韪良)万国公法(1863年または64年)であり、マーティンは a democratic republic を「民主之国」と対訳していた。しかしこの漢訳は、中国や日本でその後しばらく見られるようになる democracy と republic の概念に対する理解、あるいはその訳述に対する混乱の最初期の現れであった。マーティンより以前、イギリスのロバート・モリソン(馬礼遜)の「華英字典」(1822年)は democracy を「既不可無人統率亦不可多人乱管」(合意することができず、人が多くカオスである)という文脈で紹介し、ヘンリー・メドハースト(麥都思)の「英華字典」(1847年)はやや踏み込み「衆人的国統、衆人的治理、多人乱管、少民弄権」(衆人の国制、衆人による統治理論、人が多く道理が乱れていることをさすことがあり、少数の愚かな者が高権を弄ぶさまをさすことがある)と解説する。さらにドイツのロブシャイド(羅存徳)「英華字典」(1866年)は「民政、衆人管轄、百姓弄権」(民の政治、多くの人が道理を通そうとしたり批判したりする、多くの名のある者が高権を弄ぶ)と解説していた。19世紀後半の漢語圏の理解はこの点で一つに定まっておらず、陳力衛によれば Democracy は「民(たみ)が主」という語義と「民衆の主(ぬし、すなわち民選大統領)」という語義が混在していたのである。一方で日本では democracy および republic に対しては当初はシンプルで区別なく対処しており、1862年に堀達之助が作成した英和対訳袖珍辞書では democracy および republic いずれにも「共和政治」の邦訳を充てていた。これが万国公法の渡来とその強力な受容により「民主」なる語の併用と混用の時代を迎えることとなる。
理念への評価
民主主義(デモクラシー、民主政、民主制)は、組織の重要な意思決定を、その組織の構成員(人民、民衆、大衆、国民)が行う、即ち構成員が最終決定権(主権)を持つという政体・制度・政治思想であるが、その概念、理念、範囲、制度などは古代より多くの主張や議論がある。
古代ギリシアの民主主義は、寡頭制(少数派支配)に対する人民支配(民衆支配、多数派支配)であり、法の支配、自由、自治、法的平等などの概念と関連していた。しかしその後は長く衆愚政治を意味するようになり、17世紀以降に啓蒙主義による自由主義の立場から再評価され、社会契約論により国民主権の正統性理念となり、名誉革命、アメリカ独立革命、フランス革命などのブルジョワ革命に大きな影響を与えた。民主主義は功利主義や経験主義の立場からも評価されるが、同時に古代より多数派による専制や、民衆の支持を背景に少数独裁に転じる危険性も存在する。
とりわけ民主主義の理念に対する評価は、2つの世界大戦をきっかけとして20世紀に激変した。第一次世界大戦は総力戦となり、ドイツ帝国、オーストリア=ハンガリー帝国、ロシア帝国などでは帝政が終焉した[20]。第一次世界大戦後、「世界で最も民主的な憲法」と言われたヴァイマル憲法下のドイツで、アドルフ・ヒトラー率いるナチス党がドイツ民族の危機を訴えて1932年7月ドイツ国会選挙で大躍進し、更に国民投票で「総統」となった。第二次世界大戦では「民主主義と全体主義の対決」という意味づけが特に途中から参戦したアメリカ合衆国によって強調され、冷戦の開始後は「全体主義」にソビエト連邦のスターリン主義が加えられた[20]。戦争中は銃後の女性を含め多くの国民が戦争に動員され、戦争に貢献する以上は政治的発言も認められるべきとして、結果として選挙権の拡大につながった[20]。
こうして民主主義の正当性は高まり、最も独裁的な国家すら自らこそが真の民主主義を体現していると主張するようになり、民主主義の理念を否定する体制が事実上なくなった反面、「民主主義とは何か」が曖昧ともなっている[20]。
注釈
- ^ 『デジタル大辞泉』原文:
『ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典』原文:
- ^ 法学修士・社会科学科教授の荻野雄[9]の学術論文によると、リンカーン大統領の「人民の政府(government of the people)」という言葉はその表現例であり、人民が権威を委任した政府を意味している[10]。このような民主的体制は立憲主義下にあり、すなわち憲法は「最高権力者である国民の意志の表れ」として絶対的に尊重されねばならないと荻野は言う[10]。
- ^ 法学部教授の芦部信喜ら[12]の法学書『憲法』によれば、法の前文はその法の目的・精神を述べる文章であり、憲法前文は憲法制定の由来と目的・決意などを表明する例が多い[13]。
- ^ 『精選版 日本国語大辞典』原文:
- ^ 『百科事典マイペディア』原文:
- ^ 条文番号は編別ではなく通番。
- ^ 意訳を含め、良い政体を民主政、悪い政体を衆愚政治とする出典も存在する(浅羽 p57、など)。
出典
- ^ “Democracy Index 2017 – Economist Intelligence Unit”. EIU.com. 2018年2月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年2月17日閲覧。
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- ^ この項、陳力衛「「民主」と「共和」」(成城大学経済研究 2011.11)[1][2]から、「民主」という語の履歴について解説する目的で引用した。
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