民主主義と戦争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 14:49 UTC 版)
大戦中「民主主義の武器庫」を自称していたアメリカは、それとは裏腹に深刻な人種差別を抱えていた。人手不足から被差別人種であるアフリカ系アメリカ人(黒人)やネイティブ・アメリカン(先住民)、日系人なども従軍することになったが、大戦中に将官になったものが一人もいなく、大半の兵は後方支援業務に就かされる など差別は解消されなかった。 参戦によっても差別構造が変わらなかったのはネイティブ・アメリカンも同様であった。ネイティブ・アメリカンは主に暗号担当兵を担当した。 また、根強い黄禍論に基づいて繰り広げられた日系人に対する差別は、対日戦の開戦後に強行された日系人の強制収容により一層酷くなった。これは第二次世界大戦におけるアメリカの汚点の一つであり、問題解決には戦後数十年もの時間を要し、日系アメリカ人については1988年の「市民の自由法」(日系アメリカ人補償法)、日系ペルー人に至っては1999年まで待たなければならなかった。
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