民主主義の思想
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 15:20 UTC 版)
みんなが楽しくなければ民主主義とはいえない。民主主義というからには、みんながその民主主義の運営にうんざりするような会の運営をしてはいけない。みんなが会を盛り立てていく楽しさを味わえるようなものでなくてはならない。 〈形式的民主主義〉というのは何なのでしょうか。人々に〈民主主義というものは退屈で詰まらないものだ〉と思わせることが出来れば、それらの人々の自由な発言を封ずることが出来るようになります。〈民主主義とはもともと退屈でつまらないものだ〉と教え、〈その退屈な手続きを経ないで自由に発言しようとしてはいけない〉と言い聞かせて、みんなのやる気をなくさせてしまうのです。 いかなる社会といえども基本的人権というものは犯してはいけない。基本的人権が犯されたら、いかなる法も有効性を失う。それなのに基本的人権という思想なしに民主主義がもてはやされたことから問題がおかしくなってきたと思うのです。 「大多数の人々の支持でやった戦争だから正しい」ということはできません。大多数の人々が支持したことでも間違いがあるし、それに従わなくてもいいことがあるという考えをとらないと、平和運動も貫けなくなります。 私は〈多数決というものは、もともと少数派を奴隷的な状態に置く決議法である〉という理解のもとに、〈できるだけ決議をしないということが大切だ〉と考えています。〈決議をするときは、少数派を奴隷にしなければならないほど切実なことだけ決議しろ〉というのです。 よく、〈多数決で決めたことは、それに反対だった人々も従わなければいけない。それが民主主義というものだ〉という人たちがいます。しかし、それは本当にそうなのか、私は疑問に思うことが少なくありません。 少数派の意見の尊重というのは大変難しいのです。たいていの場合、多数派にとっては〈自分たちの主張・考え方が正しいに決まっている〉としか思えないことが多いからです。〈万が一、どうかすると少数派の方が正しいのかもしれない〉とか〈多数派の意見が正しいにしても、少数派を尊重しないともっと大きな問題が起きる〉といったことについては切実な経験をした人々でないとなかなか理解できないのです。 私は、今のところ民主主義よりもいいものがない以上、その民主主義を守るために〈民主主義は時によっては、最も恐ろしい奴隷主義にもなりかねない〉ということを承知の上で事に当たる人々が増えることを期待してやまないのです。
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