民主主義の波
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/13 18:24 UTC 版)
「杉の革命」の参加者も傍観者もこの「革命」は民主主義を標榜する近隣地域の近年の一連の動きに影響されたものなのか自問している。レバノン・ドゥルーズ党党首のワリード・ジュンブラートはワシントン・ポストに対し「自分が言うのも奇妙だが、この変革プロセスはアメリカ合衆国のイラク侵攻に端を発している。イラクにとっては皮肉だが、3週間前のイラク国民800万人の投票を見ると、新しいアラブ世界の幕開けとなったと見ている」と発言している。 また、シリアの覇権へのレバノン国民の嫌悪は数十年の間にもくすぶり続けていて、人気のあった政治主導者の暗殺が発火点となり、地域の影響力からの自立運動の発端となった、と見る他の見方もある。例えばレバノンの野党党首で左派記者のサミール・カッシールは「民主主義がこの地域で広がりつつあるのは、ジョージ・W・ブッシュのおかげではない」と書いている。ブッシュはレバノンの活動家に影響を与えたというより、パレスチナ人蜂起の方にもっと影響を与えたとしている。 他の評論家は、主にレバノンの都市近郊での存在感を持っていたレバノン軍の見え方が変わっただけで、レバノン外交へのシリアの影響力は依然健在で、実際にはほとんど変化していないと警告する者もいる。「革命はまだ不十分」として祝祭ムードを急ぐ国民に警告する評論家もいる。 その後ウマル・カラーミーが2005年4月13日に辞職し、総選挙が告示された。サード・ハリーリー率いる未来運動が筆頭の3月8日同盟が勝利し、国民議会にて反シリア連立政権を打ち立てた。
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