民主主義の戦士
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/11 10:12 UTC 版)
「アマドゥ・トゥマニ・トゥーレ」の記事における「民主主義の戦士」の解説
マリでは1968年にクーデターで実権を握ったムーサ・トラオレによる長期独裁政権に対する不満が高まっており、1991年3月22日には遂に民衆蜂起が発生。それに乗じ、4日後に軍事クーデター(英語版)が起き、20年以上にわたってマリを支配したトラオレ政権は打倒された。このクーデターにはトゥーレも参加しており、民政移管までの暫定政権の元首(人民救済移行委員会委員長)への就任が認められた。トゥーレは1年後の民政移管を公約し、民主的な新憲法(現行憲法)制定に力を注いだ。翌1992年には大統領選と議会選を実施。大統領選で当選を決めたマリ民主同盟(ADEMA)のアルファ・ウマル・コナレへの権限委譲をスムーズに行った。こうした経緯から、当時のトゥーレは民主主義の戦士と呼ばれた。
※この「民主主義の戦士」の解説は、「アマドゥ・トゥマニ・トゥーレ」の解説の一部です。
「民主主義の戦士」を含む「アマドゥ・トゥマニ・トゥーレ」の記事については、「アマドゥ・トゥマニ・トゥーレ」の概要を参照ください。
- 民主主義の戦士のページへのリンク