官僚主導体制の強化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 14:40 UTC 版)
「池田勇人内閣の政策」の記事における「官僚主導体制の強化」の解説
池田が政治家として後世に残した大きな影響として、官僚主導体制の強化があり、これらは後に金権体質と政・官・財の癒着へと至る。 終戦から池田登場までの15年は、まだ政治の力が強く、マッカーサーが植え付けた民主主義の思想と仕組みがある程度保たれていたが、池田が首相になり「所得倍増計画」という官僚主導の計画経済的思考を定着させると共に、各官庁は規格規制や公共事業などに大きな権限を得るようになった。また政府の補助金がないと地方公共団体は事業が出来ないという財政構造も作り上げていく。池田を中心とする官僚出身の政治家と、現役の中央省庁の官僚たちが手を取り合う形で、道路や鉄道、団地、都市施設などを建設し、池田をはじめとする政治家は、官僚が計画した通りに財政資金を投入して規格大量生産型の重化学工業を育成した。戦争中にも徹底されなかった官僚統制が、池田内閣時代に実現したのである。官僚に嫌われた政治家は出世しないという伝統も池田内閣と池田派(宏池会)が作り出したものである。 戦後日本に於ける金権政治の基礎構造は、1955年の保守合同を切っ掛けとして翌1956年、財界から自民党への政治献金を集約する組織として日本経済再建懇談会(国民政治協会の前身)が設立されて形作られたものであるが、池田内閣が高度経済成長を推進し、日本経済の占める財政の比重を増大させたことで、自民党と財界の一体的な関係は、政策の立案と遂行を担う官僚機構をパーティに組み入れ、いよいよ強固なものとなっていった。強化された官僚と、自民党の政治家が結びつき、官僚の指導により各業界団体が強化され、官僚主導型の業界協調体制が池田内閣の時代に確立した。政治家が巨額の公共投資や、産業の誘致などで地元や業界団体に利益の誘導を行うことで、個人後援会の発展や、有権者の組織化、票や政治資金の獲得など、政権運営の安定化を図る自民党のスタイルを形作ったのが池田であった。その後日本中にはびこる"カネ万能主義"の原点を作ったという見方もできる。こうして金権体質が生まれたものの、これが自民党政権の安定にもつながった。 また戦後政治における"派閥"は、吉田内閣末期に、戦前の政治家が公職追放から解除された時に始まるといわれ、池田内閣以前の派閥は、親分個人の魅力や面倒見の良さで派閥ができていたが、池田内閣以降の派閥は、親分個人を超えた強い組織になって代々継承されていく。これは宏池会が業界との結びつきによって政治資金が入る仕組みを作り出したからである。これもまた池田の先見性といえる。
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