民主主義
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制度
少数者支配の集団では制度は支配者の効率や都合次第でも良いが、多数者支配である民主主義では多数者による支配(意思決定)を実現し、独裁や専制の発生を抑止するための制度が必要となるため、歴史的にも多数の理念・制度・議論が存在している。近代国家の政治制度論は近代政治思想の影響を受けて、国民の自由を妨げないための相互牽制(権力分立)、国民のための機関であるという正統性、国民の統合などを目指しているが、具体的な制度は必ずしも理論的産物ではなく、多様な伝統・歴史の産物でもある[60]。
近代以前
古代ギリシアのアテナイでは、市民が主権者で、民会を中心とした直接民主主義が行われた。また僭主など独裁の発生防止に陶片追放などが行われた。共和制ローマでは、ローマ市民が主権者で、元老院とローマ民会が意思決定機関となり、独裁の発生防止に執政官や非常時の独裁官等は任期制とされた。13世紀 イングランド王国では王権制限のためマグナ・カルタが制定され、立憲主義の先駆となった。
議会
議会主義
議会主義は政治的主導権が議会に与えられる政治運営の体制で、この場合の議会とは「国民の代表」とされる選挙された議員から成る会議体であり、政治的主導権とは立法権更には行政監督権限である[60]。中世身分制議会は、国民代表ではなく、諮問機関にすぎないため、議会主義における議会ではない。また憲法上で議会の主導権が認められていても、実際の運用上で行政権を制御できない独裁国家などは議会主義と言えず、逆に制度上は諮問機関でも議会が内閣を選出する慣習ができれば議会主義が成り立っているといえる[61]。議会は中世ヨーロッパの各国で貴族・僧侶・平民などの身分制議会が定期的に招集されるようになった事に始まり、中世封建制度が崩壊と絶対王政確立により廃止され、ブルジョワ革命による王政打倒後に近代議会が誕生した。ただしイギリスではブルジョワ革命の比較的穏やかな進展により、身分制議会が国民を代表する近代議会に成長した[61]。
多数決原理
近代議会は個々人の政治的主張を調整する事により社会を統合する機関であり、その統合は社会全体の代表者である議員達の自由で理性的な討論と説得、そして妥協の積み重ねによるが、現実に解決すべき政治的課題の緊急性から意見の一致が得られぬ場合には、集団的意思決定手段として、相対的多数者の意見が暫定的に議会の意思とされる[61]。しかし議会による統合の観点より、多数派と少数派の差異は常に相対的とされて将来の状況変化や討論進展による逆転可能性が留保されている必要がある。議会制を採用していても、(a)相対主義的価値観の社会への浸透(複数の価値観が承認されうる社会) (b)議員とその背後の社会構成員の一体的同質性(階級、宗教、イデオロギー等の対立が激しくない社会) (c)理性的かつ客観的な判断ができる議員 (d)意見発表の自由とその機会の均等、などの条件が揃わない場合には議会主義は変質または形式化する[61]。
代表制原理
近代議会を構成する議員は「国民の代表」のため、彼らの意思が国民全体の意思とされるが、この「代表」の意味はブルジョワ革命期より根本的な思想的対立がある[61]。
- イギリスのホイッグ党の主張、エマニュエル=ジョゼフ・シエイエスらによるフランス1791年憲法などが起源。各議員は全国民の代表として全国民のために政治活動し、自分の選挙区や出身階級などの利害のためには活動してはならないと考え、リコールなどの直接民主主義的制度は禁止される。この原理の代表は、具体的に現実の国民の意思と結びついている必要は無いため、身分制選挙や制限選挙により選出された議員でも国民を代表できる[61]。
- 起源は中世身分制議会の諸身分代表で、議員の地方代表性を強調したイギリスのトーリー党、道徳的市民が直接民主制の人民集会で一般意思を表示すべしとしたルソー、その思想を反映したフランスの1793年憲法などに例が見られる。各議員は現実に存在する一定の人民から委託を受けた代表で、議会は社会全体の縮図と捉える。議員は全て直接普通選挙で選ばれ、選出母体の意思を忠実に議会で代弁し主張すべきため、選出母体の意思に反した場合はリコールが認められる。討論による説得や妥協は困難なため、同質性の高い小共同体など以外では採用が難しいが、アメリカ合衆国のタウンミーティングなどが精神を受け継いでいる[61]。
二院制
議会政治の母国とされるイギリスでは、中世身分制議会が連続的に近代議会に発展した歴史より貴族院と庶民院の二院制だが、二院制の目的や性格は各国により異なる[62]。
- 階級別 - イギリス、かつてのプロイセンなど
- 連邦の各邦の代表による一院を加える - アメリカ合衆国、スイス、ロシアなど
- 選出方法に差を設けて「数」と「理」を各院に代表させる - フランス、イタリア、日本など
- 立法作用を慎重にする - ノルウェー(下院議員間の互選で4分の1が上院議員となる)
二院制は権力分立、自由主義を背景とした制度であり、フランス革命や社会主義のコミューン理論など自由主義よりも民主主義を代表する立場からは批判される。また政党の発達による両院の性格相違の減少もあり、新たに二院制を採用する国は少ない[62]。
一院と同じ決議をするなら無用、違う決議をするなら有害 — エマニュエル=ジョゼフ・シエイエス (1789年)[62]
権力分立
近代国家はブルジョワ革命の産物のため、自由主義の理念と専制的な権力に対する警戒から何らかの権力分立制度が採用されているが、国家の運営と行政の効率上は立法権と行政権の協働も要請され、その調和が課題となるが、各国の沿革や事情により複数のパターンがある[63]。
- 議院内閣制 - 行政府(内閣)を議会の信任により成立・存立させ、議会に対して責任を負わせる[63]
- 大統領制 - 行政府(大統領)を独立して選挙し、直接国民に対して責任を負わせる[63]
- 議会統治制 - 行政府を完全に議会に従属させ、その責任を認めない (スイスなど)
議院内閣制
18世紀のイギリスで形成された。国王の行政権が次第に大臣に移り、1742年に国王の信認を得ていたロバート・ウォルポール首相が議会の不信任により辞職し、大臣も議会の信任なくしては在職できない慣習が確立した。その後に連帯責任の原則、議会の首相指名による内閣成立制度などが整備された[63]。議院内閣制では内閣成立の指名と内閣の責任追及において議会が内閣をコントロールし、内閣は議会の解散により議会に対する選挙民の信任を問いうる事で、両者間に抑制と均衡が成立する[63]。このようなイギリス型の議会制度はウェストミンスターモデルとも呼ばれる。
- 長所 - (1)議会主義の貫徹が達成できる (2)議会と内閣の共働で政策を推進できる (3)内閣の責任 = 議会の多数派の責任が明瞭で国民の選挙による責任追及が容易[63]。
- 短所 - 議会の多数派が内閣を組織するため、内閣の予算や法案が容易に通過し、野党の追及が困難(権力分立が不十分。二大政党制では政権交代による権力分立でこの弊害を緩和)[63]
大統領制
アメリカ合衆国の政治体制として創始された。大統領は国民の間接選挙(実質的には直接選挙)により選出され、任期の間は弾劾決議成立を除き免職は無い。議会は大統領の責任を追及できない反面、大統領は議会を解散できない。また大統領は議会への法案提出権が無いが、議会で成立した法案の施行への拒否権がある(両院が3分の2以上の多数で再可決すれば拒否にかかわらず成立)。
- 長所 - 徹底した権力分立(全国民から直接選ばれるとの強い正統性を背景にした、大統領への強力な行政権限の集中)[63]
- 短所 - (1)立法府と行政府の対立による非効率 (2)失政責任を大統領と議会多数派が押しつけ合う事が可能 (3)民主主義の未定着国で大統領が独裁者と化す危険性[63]
アメリカ型の純粋な大統領制を採用する国は少ないが、儀礼象徴的な大統領制はドイツ、イタリア、スイスなど多数ある。フランスは直接国民投票によって選ばれ、首相任命権、議会解散権などの強大な権力を持ち、議院内閣制と大統領制の混合形態と考えられる[63]。
政党
政党は、17世紀のイギリス名誉革命の前後に生まれたトーリー党とホイッグ党が最初とされるが、19世紀後半迄の政党はいわゆる貴族政党(名望家政党)で、「財産と教養」ある階層によるサロン的なグループで、特に綱領や組織を持たず、個々の議員に対する拘束力は非常に緩かった[64]。普通選挙実施後の現代の大衆政党(組織政党)は、議員以外にも多数の一般党員を全国的に組織し、綱領や役割組織も備え、党費により財政を賄い、議員や党員は党議に拘束され違反には除名などの罰則が設けられているが、これら拘束は「議員は全く自由な個人として討議し議決する」との近代議会主義の原則からは本来は認められないため、ルソー、ワシントン、ジェファーソンらは政党否定論を唱えた[64]。
普通選挙が進み近代ブルジョワ国家から現代大衆国家へ変質すると、従来の「理性的な個人」とされた財産と教養あるブルジョワジーによる議会主義が形骸化し、有権者と候補者を政治的に組織する媒体として政党(大衆政党)が登場した。政党は私的結社として生まれたが、一定の条件((1)普通選挙制と議会主義 (2)複数政党制の存在 (3)党内民主主義)を満たす場合には公的役割を果たしていると言える[64]。また近代議会制民主主義の自由委任制は大衆社会では修正を余儀なくされ、有権者の意思を正しく議会に反映させるために選挙制度における人口比例が重要となった[64]。
政党は混沌たる候補者群の中に秩序をもたらす。 — ジェームズ・ブライス『近代民主政治』[64]
利益団体
利益団体(圧力団体)は、政党以上に近代的な議会主義から離れており、特定の利益集団により民意や政治を歪める存在とも批判されるが、議会の統合機関としての役割低下に伴い大衆の直接的な要求を議会や行政府に働きかける側面も持つ。利益団体の発生は19世紀のアメリカでのロビイストで、利益団体の機能には、職能代表的機能、政策に対するチェック機能、政治家養成機能、団体構成員への教育機能、などがある。利益団体の分類はR・T・マッケンジーによる以下の3分類が一般的である[65]。
- 部分利益集団 - 社会の一部を構成する、職能団体、宗教団体、少数民族などの諸集団による共通利益の擁護(例:労働組合、農協、経営者団体、消費者団体、等)
- 促進的団体 - 一定の社会的主張の実現を目指す団体(例:人権擁護団体、環境保護団体、等)
- 潜在的集団 - 社会的にたまたま共通の利益に立った者たちが結集した団体(例:公害反対などの住民運動、被害者同盟、等)
注釈
- ^ 『デジタル大辞泉』原文:
『ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典』原文:
- ^ 法学修士・社会科学科教授の荻野雄[9]の学術論文によると、リンカーン大統領の「人民の政府(government of the people)」という言葉はその表現例であり、人民が権威を委任した政府を意味している[10]。このような民主的体制は立憲主義下にあり、すなわち憲法は「最高権力者である国民の意志の表れ」として絶対的に尊重されねばならないと荻野は言う[10]。
- ^ 法学部教授の芦部信喜ら[12]の法学書『憲法』によれば、法の前文はその法の目的・精神を述べる文章であり、憲法前文は憲法制定の由来と目的・決意などを表明する例が多い[13]。
- ^ 『精選版 日本国語大辞典』原文:
- ^ 『百科事典マイペディア』原文:
- ^ 条文番号は編別ではなく通番。
- ^ 意訳を含め、良い政体を民主政、悪い政体を衆愚政治とする出典も存在する(浅羽 p57、など)。
出典
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- ^ この項、陳力衛「「民主」と「共和」」(成城大学経済研究 2011.11)[1][2]から、「民主」という語の履歴について解説する目的で引用した。
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