アイドル
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男性アイドル史
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1950年代、1960年代
1950年代のロカビリーブームでは平尾昌晃、ミッキー・カーチス、山下敬二郎らが戦後最初期の男性アイドルとなった。 歌謡界では、ロカビリーブーム直前の昭和32年12月にデビューした神戸一郎がアイドルの元祖と紹介されることもある。 1960年代に「御三家」と呼ばれた西郷輝彦らが人気となり、ほどなく三田明も登場した。
1962年にはジャニーズ事務所の第1号グループであるジャニーズがデビューし、歌って踊るという現代に繋がるアイドルのスタイルが確立された。他にスリー・ファンキーズらの、いかにも芸能的・商業主義的なアイドルも存在し、ジャニーズのあおい輝彦らは時代に即したスターとして週刊明星、週刊平凡のグラビアを飾り、ブロマイドの売り上げは人気のバロメーターになっていた。
1960年代半ばにはグループ・サウンズブームが起こり、ザ・スパイダース、ザ・タイガース、テンプターズ、オックス、ジャガーズ、ワイルドワンズらが大人気となった[27][28]。グループ・サウンズでは、ザ・タイガースの沢田研二、ザ・テンプターズの萩原健一らが特に人気があった。
1970年代
郷ひろみ、西城秀樹、野口五郎から成る「新御三家」は、3人とも主に歌手として活動した[注 3]。さらに、ザ・タイガースの後もソロとして活動を続けた沢田研二は、ソロデビュー後も次々と大ヒット曲を世に送り1977年の「勝手にしやがれ」では、同年の『日本レコード大賞』を受賞するなどとしてソロデビュー後も人気を保ち70年代をも代表するアイドル歌手となった。ザ・スパイダースの堺正章、井上順はソロとなった後、ヒット曲を数曲出したが、俳優、司会やバラエティ番組出演に軸足を移した。ザ・テンプターズの萩原健一、オックスの田浦幸こと夏夕介は俳優に転身し人気となった。新御三家の他にはフォーリーブスやフィンガー5、にしきのあきら、野村将希、伊丹幸雄、荒川務、城みちるらが登場した。アイドル百花繚乱時代であった。
この時代の男性アイドルのレコードジャケットやブロマイド、アイドル雑誌のグラビアではヨーロッパの城のような建物をバックに撮られた「白馬に乗った王子様」というような非現実的なイメージのものも多く、女性アイドル同様、手の届かない別世界のスターとして記号化される事例も見られた[29]。一例として、ギリシャ神話の彫像のような恰好をした郷ひろみの「裸のビーナス」のジャケットやメルヘンチックなタイトルの「イルカにのった少年」の大ヒットで知られる城みちるが挙げられる。また、豊川誕のように「不幸な生い立ち」が売り出しの際に喧伝されたものもいた。これらどこかおとぎ話の中の人物のような人々とは一線を画し、テレビが社会に広く浸透したことから、『笑点』の「ちびっ子大喜利」出身のグループずうとるびや、オーディション番組『スター誕生!』出身の城みちる、『スター・オン・ステージ あなたならOK!』出身のあいざき進也、『レッツゴーヤング』の「サンデーズ」出身の太川陽介、渋谷哲平、川崎麻世らのように素人、あるいは素人同様のタレントとしてテレビ番組に出演し、その成長とともに視聴者のアイドルとなっていく者たちもいた。
一方、若手俳優の中からも山口百恵とのコンビで一世を風靡した三浦友和、石橋正次、桜木健一、草川祐馬、国広富之などテレビドラマからブレイクし、アイドル的人気を博す者も現れた。石橋は紅白歌合戦にも出場、「夜明けの停車場」(1972年度年間ランキング第11位)が大ヒットした。沖雅也は日活ニューフェイス出身だが、映画の斜陽化により、テレビドラマに進出してからアイドル的人気を得た。仲雅美や井上純一、加納竜は元々は歌手として売り出されたが、テレビドラマでの活躍によって人気となった。仲雅美は出演したドラマ『冬の雲』の勢いに乗り、劇中主題歌「ポーリュシカ・ポーレ」(ロシア民謡が原曲)に歌詞を付けて歌い、1971年度年間ランキング第17位の大ヒットとなった。
シンガーソングライターの原田真二も当初は、アイドルとして売り出された。
70年代は新御三家の人気が続き、雑誌メディアがポスト新御三家として「新新御三家」(城みちる・あいざき進也・豊川誕(3人目は荒川務か松田新太郎の場合も))、「新新新御三家」(草川祐馬・加納竜・山本明)というセットを喧伝したが定着しなかった。
1980年代
1979年の『3年B組金八先生』で生徒を演じた田原俊彦、近藤真彦、野村義男から成るたのきんトリオ(ジャニーズ事務所)がソロ歌手デビューし、次々とヒットを飛ばした。ジャニーズ事務所とTBSの桜中学シリーズはその後も本木雅弘、薬丸裕英、布川敏和から成るシブがき隊やひかる一平がデビューした。また、『金八シリーズ』からは他事務所からも竹の子族出身の沖田浩之が人気アイドルに、他には後に本格的なロック歌手となる本田恭章がアイドルデビューした。
一方、桜中学シリーズの煽りを受けて、人気が下降してからの裏番組『太陽にほえろ!』に出演した渡辺徹は、後に肥満が進み、それをネタとして人気司会者となるが、その時点では精悍なマスクが人気で、本人出演のアーモンドグリコのCMソングとして使用されたセカンドシングル「約束」が1982年の年間ランキングで33位のヒットとなり[30]、『太陽にほえろ!』の人気復活にも貢献した。
1980年代前半にデビューした主だったソロ歌手としては竹本孝之、『レッツゴー・ヤング』のサンデーズ出身者からは堤大二郎、新田純一、山本陽一らがいた。横浜銀蝿のJohnnyもアイドル的な人気を得ていた。横浜銀蝿は折からのツッパリブームに乗り、コンサート会場でスカウトした嶋大輔を「銀蝿一家」の弟分としてデビューさせ、成功を収めた[31]。そして沖田浩之らを輩出した原宿の歩行者天国の路上ダンスパフォーマーだった風見慎吾が挙げられる。風見は萩本欽一の番組でブレイクした。風見のように萩本の番組からアイドルとなった者も多く、イモ欽トリオも同様である。他のバラエティ番組からは『笑っていいとも!』のいいとも青年隊(羽賀研二、野々村真ら)、他にはジャニーズ事務所から中村繁之が1985年にデビューした。
ジャニーズ事務所は60年代、70年代は経営が不安定だったが、80年代前半には盤石の状態となった。しかし、チェッカーズ、渡辺プロダクションの吉川晃司のロック路線の二組が台頭。対抗するように王道のアイドルグループ少年隊が満を持して1986年にデビューした。さらにはよりテレビ映えのする集団群舞を重視したグループ光GENJIの人気が爆発、社会現象となった。そして忍者もデビューした。
一方でロック志向の高いチェッカーズや吉川、さらにはイギリスのアイドルバンドカジャグーグーを意識したC-C-B[32]の人気を受けて、吉川の事務所の後輩である湯江健幸が彼らのようにロック雑誌でも表紙やグラビアを飾るアイドル歌手として活動した[注 4]。さらにジャニーズ事務所からはテレビドラマでも活躍した岡本健一、前田耕陽、高橋和也ら男闘呼組が、日本ではアイドル的な人気を誇ったボン・ジョヴィを意識したハードロック・バンドとしてデビューした。一方でこの当時は「ロック=不良の音楽」の固定観念が根強く、湯江にしても男闘呼組にしても「学校をドロップアウトした不良少年」イメージで売り出され、男闘呼組のキャッチフレーズは「ジャニーズ事務所の落ちこぼれ」[33]というものだった。他方で、彼らの取り組みはアイドル人気、従来型音楽番組の退潮を受けて、ロック、バンドブームを捉えようとした動きでもあった[34]。
また、イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)は「テクノポリス」「ライディーン」などがヒット、テクノカットが流行するなどアイドル的な人気を得た。
この頃にもまだ俳優もアイドル風に売り出される者が存在し、主にJAC出身の真田広之、池田政典、角川映画の野村宏伸、映画『ビー・バップ・ハイスクール』でブレイクした仲村トオル、横山やすしの息子の木村一八、子役アイドルの高橋良明らがいた。
お笑い界からは1980年代初頭には明石家さんま、漫才ブームでツービート等が人気を博し、ザ・ぼんちの「恋のぼんちシート」は80万枚を売り上げるヒットとなり、日本武道館でコンサートを開催するなどアイドル的人気を得た。
1980年代後半からはとんねるずやABブラザーズの中山秀征、関西では森脇健児、ダウンタウン、清水圭・和泉修等といったいわゆるお笑い第三世代芸人や、萩本欽一の番組に出演していたCHA-CHA(勝俣州和がメンバーだったことで知られるが、他にメンバー数名が当時ジャニーズ事務所所属)等のアイドル的な人気者が生まれた。
1990年代
「アイドル冬の時代」と言われ、男性アイドル人気も下火となる。
その代わりにX JAPAN、LUNA SEA、L'Arc〜en〜Ciel、GLAYといったヴィジュアル系バンドに人気が集中する状況が続いた。派手な外見と華やかなステージで若い女性ファンを中心に人気を博し、ヴィジュアル+ロックミュージシャンというアーティストとアイドルの両方の側面を持っているため、男性アイドルのポジションを埋めるような役割を果たした。
一方でジャニーズ事務所は当初、光GENJIが他を圧倒する人気を見せたが、1980年代後半からのバンドブームや元ジャニーズ事務所所属のタレントの暴露が続く等の煽りで次第に失速。それから数年間は低迷期を迎えていたが、中盤からはデビュー当初は恵まれなかったものの様々な分野への挑戦と活躍が目立ったSMAPがブレイク。初期は10代の女性ファンが中心であったが次第に成人男性、高齢者にまでファン層が拡大し、大衆が好む簡単なメロディーに乗せて歌われる楽曲と親しみやすいキャラクターで国民的アイドルと言われ人気を確立。
更にTOKIO、KinKi Kids、V6など後続者も人気を得て自身が冠バラエティ番組も持つようになった。また、木村拓哉は俳優として、中居正広はバラエティー番組の司会のみならず、NHK紅白歌合戦等の司会を最多で務めるなど、従来のアイドルには無かった地位を確立し、その他のメンバー個人も個々の活動で成功した。また、SMAPがテレビの第一線で長期で活躍する影響もあり、30代〜40代でもアイドルとして活躍し、男性アイドルの寿命が伸びた。さらにジャニーズ事務所所属でCDデビューを果たしていないタレントであり、滝沢秀明、今井翼、小原裕貴などを筆頭としたジャニーズJr.も大衆的な人気を得て、「8時だJ」や東京ドーム公演を行った。
そういった状況の中、ライジングプロダクションはそれまで女性アイドルを中心に送り出していたがジャニーズ人気の復活に対抗して男性アイドルのプロデュースにも力を入れるようになり、1996年に事務所初の男性グループDA PUMPが結成される。
デビュー前から沖縄アクターズスクール初の男性ユニットとしてメディアで紹介されるなど注目を集め、本来のアイドルグループとは異なり、「ヒップホップコンセプトのアイドルグループ」・「ボーカル・ダンス・ラップ・コーラスなどの分かれた構成」・「ストリートダンスを取り入れたパフォーマンス」・「R&Bやダンスミュージックを取り入れ、キャッチーなメロディーにラップを織り交ぜて歌うスタイル」でジャニーズ系との差別化を図ってバラエティ・音楽番組・CM・映画・ラジオなどにも多数出演し、レギュラー番組を持つなど新たな新境地を確立した。1stアルバムが累計で70万枚を売り上げ、3rdアルバムではシングル・アルバムを通じ初のオリコン1位を獲得、初のベストアルバム「Da Best of Da Pump」が128万枚のミリオンセラーを記録、「NHK紅白歌合戦」にも5年連続出場した。非ジャニーズ系の男性アイドルで初めて成功したグループという評価を受け、大衆から人気を集めた。
デビュー当初は「SMAPの対抗馬」的なポジションで活躍しており[35]、90年代後半に男性アイドルとして全盛期を経験したという共通点がある。
当時、ジャニーズ系との共演はNGという噂が出ていたが実際にそのような証拠はなく、元メンバーであるYUKINARIの証言によると「あったとしても僕らが知るところではなかった。ジャニーズさんとの接触はNGなどと言われていましたが、僕らは気にしていなかったんですよ。店で食事をしていた際、たまたまTOKIOの松岡昌宏さんと遭遇し、そのまま合流したりしてましたから(笑)。紅白に出場した際も、舞台裏でSMAPさんと一緒にダンスを踊ったり、普通に接していただいた。」と語っている[36]。
また若手俳優からは「桜坂」でダブルミリオンを記録した福山雅治を初め、織田裕二、1980年代後半にジャニーズ事務所所属の経歴を持つ反町隆史、いしだ壱成、「ジュノン・スーパーボーイ・コンテスト」出身の武田真治、柏原崇は歌手としても一定の成功を収めた。
お笑い界からは吉本印天然素材、グレートチキンパワーズ、ナインティナイン、猿岩石、ネプチューン、ロンドンブーツ1号2号などがアイドル的な人気を博す。特に吉本印天然素材は最初から「ダンスもできるアイドル芸人ユニット」というコンセプトで売り出され、イベントで後楽園ホールを満員にするなど若い女性を中心に絶大な人気を獲得。彼らの人気に便乗して他のお笑い系事務所からユニットが結成されるなど、「お笑い芸人のアイドル化」が一般的となった。
2000年代
この時代には男性アイドル事務所のライバルとして、特撮出身者が台頭した。90年代後半から00年代前半にかけて昭和特撮リバイバルの影響でイケメンヒーローブームが発生し、スーパー戦隊シリーズ・仮面ライダーシリーズといったニチアサ特撮番組に出演していたオダギリジョー、要潤、水嶋ヒロ、佐藤健、永井大、玉山鉄二、松坂桃李、ウルトラシリーズ出身の杉浦太陽、「ジュノン・スーパーボーイ・コンテスト」でグランプリを獲得してデビューした小池徹平や溝端淳平などの若手俳優陣たちの活躍が目立つようになる。以後、ジャニーズの対抗馬は男性アイドルではなく、いわゆるイケメン俳優たちに取って代わることとなった。また俳優業界からは「俳優集団」を称するD-BOYSのメンバーが登場した。
ライジングプロは2000年代に入ると脱税事件や沖縄アクターズスクールとの関係が断絶してしまうなどの状況であったが、そんな中、沖縄以外のアクターズスクール出身者で編成された男性アイドルのプロデュースにも力を入れた。
w-inds.は「少年的&中性的なイメージ」・「ボーカル1人にダンサー2人という特異構成」・「3角形になってパフォーマンスを行う」・「アイドルらしい楽曲」でジャニーズとの差別化に成功し、1stアルバム『w-inds.〜1st message〜』が初登場で1位獲得。NHK紅白歌合戦にも2002年から2007年まで6年連続で出場した。また日本のみならず中国、香港、台湾、韓国でも活動するなど人気を集めた。FLAMEやLeadといった後輩ユニットも「男性版SPEED」として結成され事務所の危機的な状況に貢献し、人気を繋げたがこちらはヒット曲などに恵まれずあまり良い成果が残せなかった。
1990年代にZOOのメンバーだったHIROを中心に結成されたEXILEも、ボーカルとダンスの分かれた構成と他の男性アイドルとは違った音楽・コンセプトで人気を獲得し、活躍の場を広げる。以降、アイドルグループは歌やダンスの実力にも重点を置くようになり、ダンスグループまたはダンス&ボーカルグループといった表現が使われる事が多くなった(女性アイドルも同様)。2005年デビューのWaTはギターを持ち、アイドルではなくあくまでフォークデュオとして売り出していた。
ジャニーズ事務所からは嵐、タッキー&翼、NEWS、KAT-TUN、Hey! Say! JUMPらが台頭し、テレビ界と男性アイドルシーンにおけるジャニーズの寡占が続いた。中でもKAT-TUNは「不良」や「ギラギラ」などのイメージを持った従来のジャニーズアイドルとは異なったコンセプトで売り出され、デビュー前から東京ドーム公演を開催し、デビューシングル『Real Face』もミリオンセラーを記録するなど大ブレイクした。それに加えて亀梨和也(KAT-TUN)と山下智久(NEWS)による期間限定ユニット・修二と彰のシングル「青春アミーゴ」がヒットした。
2000年代半ばから後半にかけてホストブームが巻き起こり、元ホストの城咲仁が芸能界デビューし、club Prince等の現役ホストの歌手も登場した。
この時期はお笑い界では島田紳助司会の当時の人気番組『クイズ!ヘキサゴンII』から、無知を逆手に売りにする羞恥心のメンバーや新選組リアンが登場。さらに島田紳助プロデュースのWEST SIDEは関西圏でジャニーズ事務所のタレント達を上回る人気を得て「関西版SMAP」とも呼ばれた。以後、キングコング、オリエンタルラジオ、はんにゃ、NON STYLEらも若年層から人気を集めた。
2000年前後の頃から「アイドルのファン、追っかけイコール中高生や若者」というイメージは変わり、年配女性の追っかけ行為が盛んに報道されるようになった。先んじて1990年代にアイドルの先駆けであった舟木一夫の復活[37]、2002年にはフォーリーブスが再結成した。とりわけ2000年デビューの氷川きよしは久々に演歌界に大ヒットをもたらしたのみならず、熱心な年配女性のファンを生み、「きよ友」と称したファン仲間たちの交流はマスメディアに紹介されるのみならず[38]、年配の視聴者をターゲットにしたテレビドラマの題材にもなった[39]。
2010年代
この時代に活動した男性アイドルは、嵐、三代目 J Soul Brothersを筆頭に、GENERATIONS、THE RAMPAGE、FANTASTICS、関ジャニ∞、KAT-TUN、NEWS、Hey! Say! JUMP、Kis-My-Ft2、Sexy Zone、A.B.C-Z、ジャニーズWEST、King & Prince、超特急やDISH//、BOYS AND MEN、祭nine.などが挙げられる。
1999年にジャニーズ事務所からデビューした嵐はハワイでデビュー会見、1stシングルが約100万枚売り上げるなど、華々しくデビューしたもののその後 数年は人気に恵まれず低迷期を経験した。2006年にはアジアツアーを成功させ、2007年にはメンバーの松本潤が出演したドラマ「花より男子」シリーズが社会現象となり、グループの人気に火をつけた。その後は東京ドームや国立競技場でのライブだけでなく、 天皇の即位を祝う「国民祭典」 にて「天皇陛下御即位奉祝曲組曲」を歌唱するなど、アイドルを超えた活動やSMAPやTOKIOのようにバラエティなどにも力を入れ、メンバーの仲の良さも好感を呼び国民的アイドルとなる。Youtube史上最速(28時間)で登録者100万人達成[40]、好きなアーティストランキング史上最多の通算8度目の首位の獲得[41]、2019年にはJ-POP史上初となる年間アルバム売上ランキング世界一となりギネスに認定される[42]など様々な記録も打ち立てた。人気絶頂だった2019年に2020年を持って活動休止することを発表した。嵐が国民的グループとして活動する中、SMAPの解散や期待の主だったNEWS、KAT-TUNのメンバーの相次ぐ脱退などの内紛を経験したが、Kis-My-Ft2やSexyZone、ジャニーズWESTなど2010年代以降、新たにデビューしたジャニーズアイドルが人気を繋げた。しかし、2019年にはジャニーズ事務所初代社長であるジャニー喜多川が亡くなり、芸能界やアイドル業界に大きな衝撃を与え、ジャニーズ事務所としても大きな転換期を迎えた。
LDHのEXILE系列グループは若年メンバーが数多く登場し、アイドル性が更に強化され、正統派で王子系のジャニーズに比べて男性のセクシーなイメージと大衆の志向に合致する楽曲で、女性層はもちろん若い男性層にも好評を得た。
スターダストプロモーションやフォーチュンエンターテイメントといった他の芸能事務所からもジャニーズとは異なるコンセプトで男性アイドルグループが多数デビューして日本武道館公演を成功させるなどの勢いを見せたが、これらのアイドルたちは事実上「ジャニーズの後追い(フォロワー)」といった印象が強く、女性アイドルと同様に小規模のライブや握手会などをメインに活動するため明確な成果はなかった。ライジングプロダクションの男性アイドルは活動が多く減っていたが、2018年にはDA PUMPが「U.S.A.」のヒットを受けて再ブレイクを果たし、21年ぶりに『ミュージックステーション』へ出演した。
2000年代お笑いブームの影響を受けて、アイドル的人気を持つお笑いタレントも登場した。エグスプロージョン(EDISON)やRADIO FISHの「PERFECT HUMAN」が話題となり、お笑い芸人とダンサーがユニットを組んで人気を集めたが、2010年代に入ると『エンタの神様』や『はねるのトびら』、『オンエアバトル』等といった2000年代のお笑いブームを牽引したお笑いバラエティ番組が軒並み終了し、『めちゃ2イケてるッ!』や『笑っていいとも!』等の長寿番組となっていた番組までもが相次いで終了、テレビでのお笑い系番組の衰退が続き、若者のテレビ離れや少子化等も相まってアイドル的人気の若手芸人が減少していた。
その代替材としてYouTubeで活動しているHIKAKIN・はじめしゃちょーをはじめ、東海オンエアやフィッシャーズといった男性ユーチューバーたちが台頭。「近所のお兄さん」・「男友だち」的な感覚で視聴者と身近に繋がれる存在として男性アイドルと芸人の中間的なポジションとなり、テレビ番組の出演やU-Fes[注 5]などのライブイベントを開催して10代の女子層(中高生)を中心に絶大な人気を獲得した。2010年代はまだYouTubeに芸人やジャニーズなどのタレントがほとんど参入していなかったため、ネットでは在野のYouTuberが人気を独占した。またネット上で他にもニコニコ動画からルートファイブ等のいわゆる歌い手が人気となった。
年配女性をターゲットとした演歌アイドルとしては山内惠介や純烈、俳優面からは星野源をはじめ菅田将暉、竹内涼真、福士蒼汰、山﨑賢人、横浜流星、北村匠海、中川大志などの若手俳優陣、宮野真守や神谷浩史、Kiramuneといった声優アイドルの活躍も目立った。
アダルト業界ではSILK LABOの作品に出演している鈴木一徹をはじめ、月野帯人、森林原人、しみけんといった若手AV男優もアイドル的な人気を得た。
2020年代
テレビでの活躍が目立つ男性アイドルは、ジャニーズやLDH系列グループ以外ではJO1がバラエティを中心に活躍。お笑い界からはお笑い第七世代やEXITが人気を得ている。
このほか、吉本興業が男性アイドルを売り出しており、INI(LAPONE entertainment)、OCTPATH、OWVといったグループがデビュー。またAAAのメンバーである日高光啓(SKY-HI)が企画したボーイズグループ発掘オーディション「THE FIRST」からBE:FIRST、X JAPANのYOSHIKIが企画したボーイズグループオーディション「YOSHIKI SUPERSTAR PROJECT X」からXYがデビューした。
ジャニーズ事務所においては、これまでのジャニーズアイドルとは異なる歌唱力を売りにしたSixTONESやアクロバットやダンスを得意とするSnow Manが2020年にデビューしミリオンセラーを多く獲得。2021年にはこれまでのジャニーズの王道路線であるなにわ男子がデビュー。2022年にはアメリカへ留学していたTravisJapanの世界デビューを果たした。2023年にはなにわ男子の道枝駿佑主演映画「今夜、世界からこの恋が消えても」が韓国で異例の大ヒットとなり、韓国で大人気となった。さらに、SnowManのラウールが「パリ・コレクション」に出演するなど、海外進出を進めた。[43]他にも、これまでジャニーズ事務所は肖像権や著作権の問題などでインターネットから距離を置いてきたが、近年Youtube・Instagram・Twitter・TikTokなどを始めとしたSNSへの進出や、一部アーティストの音楽配信・サブスクリプションも積極的に行い、2021年にはTikTokにおいてなにわ男子の『初心LOVE』が国内アーティスト最速となる5億回再生を突破するなど[44]、中高生を中心とする若者の人気を博した。同年に結成されたジャニーズ初のYoutubeユニット『ジャにのちゃんねる』もスタートし、日本最速でチャンネル登録者200万人突破[45]するなど様々な記録を打ち立てた。さらに、デビュー前のSixTONES・Snow Man・なにわ男子・Travis Japan、HiHi Jets・美 少年などを筆頭としたジャニーズJr.第二黄金期が訪れ、2000年以来19年ぶりとなる東京ドーム単独公演を行うなど、メジャーデビューしていないにもかかわらず多くのメディアやなどに出演し、活躍の場を広げた。しかし、2023年末にジャニーズ事務所創設者 ジャニー喜多川氏の性加害問題を受け、10月17日よりジャニーズ事務所は株式会社SMILE-UP.へと社名を変更した。[46] それにともない、ジャニーズWESTや関ジャニ∞などもグループ名の変更を余儀なくされた。同月17日にジャニーズ事務所との利害関係のない新会社として「STARTO ENTERTAINMENT」を設立し、希望するタレントは同事務所へと移籍することとなった。[47]
一方でユーチューバーは芸能人やタレントがYoutubeに多く参入するようになり、再生回数および登録者、収益が激減する状況となった。また視聴者の主だった10代が成人年齢となったこと、Youtuber本人たちにも既婚者の増加・あるいはメンバーの脱退や卒業、新型コロナウイルスなどの影響もあり、以前に比べて勢いが衰えてきている。現在では、コムドットやLazy Lie Crazyが若い世代からアイドル的な人気を得ており、2022年4月にはスカイピースがコンビYouTuberとしては史上初の日本武道館公演を開催し、9月には東海オンエアが所属事務所UUUM史上初の単独アリーナ・単独1万人規模のイベント「T 東海オンエア C カモン東京!! G ゴッドオブエンターテインメント 〜こんなのアリーなんですか?〜」をぴあアリーナMMで行った。
現在の男性アイドルは、SixTONES、Snow Man、DA PUMP、なにわ男子、King & Prince、JO1、Da-iCE、INI、CUBERS、原因は自分にある。、BALLISTIK BOYZ、VOYZ BOY、Zero PLANET、プラチナボーイズ、BE:FIRST、BUDDiiS、7ORDER、OCTPATH、DISH//、BLVCKBERRY、THE SUPER FRUIT、TravisJapan、ジャニーズJr.などが挙げられる。
主な男性アイドル
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1960年代
歌手デビュー年
- 1962年…北島三郎
- 1964年…ジャニーズ、西郷輝彦
- 1965年…ザ・スパイダース
- 1966年…加山雄三、
- 1967年…ザ・タイガース、ザ・テンプターズ、
- 1968年…フォーリーブス、ジャニーズ解散後ソロであおい輝彦
- 1969年…永田英二、ハイ・ソサエティー
歌手デビュー年
- 1970年…にしきのあきら、仲雅美、野村将希、石橋正次、桜木健一、ジュークボックス
- 1971年…野口五郎、ザ・タイガース解散後ソロで沢田研二、ザ・スパイダース解散後ソロで堺正章、井上順 ら。
- 1972年…西城秀樹、郷ひろみ、フィンガー5、ザ・テンプターズ解散後ソロで萩原健一
- 1973年…城みちる
- 1974年…あいざき進也、ずうとるび、荒川務、八田英士(永田英二が改名して再デビュー)
- 1975年…草川祐馬、加納竜、井上純一、JOHNNYS' ジュニア・スペシャル、豊川誕、リトル・ギャング
- 1976年…太川陽介ら。
- 1977年…狩人、レイジー、川﨑麻世、フォーリーブスからソロで青山孝
- 1978年…渋谷哲平ら。
- 1979年…国広富之ら。
1980年代
歌手デビュー年
- 1980年…田原俊彦、近藤真彦、真田広之、ANKH
- 1981年…沖田浩之、竹本孝之、ひかる一平、堤大二郎、松村雄基、時任三郎、広岡瞬、イモ欽トリオ、Johnny、とんねるず
- 1982年…シブがき隊、新田純一、本田恭章、渡辺徹、嶋大輔
- 1983年…チェッカーズ、C-C-B、風見慎吾、THE GOOD-BYE(野村義男のバンド)、イーグルス、矢吹薫
- 1984年…吉川晃司、一世風靡セピア、山本陽一
- 1985年…少年隊、中村繁之、石黒賢、野村宏伸、鶴見辰吾、井浦秀知
- 1986年…木村一八、湯江健幸、中山秀征、長島ナオト、池田政典、息っ子クラブ
- 1987年…光GENJI、織田裕二、仲村トオル、高橋良明、岩城憲 & Tears Project、沢向要士、金山一彦
- 1988年…男闘呼組、CHA-CHA、江口洋介、西川弘志
- 1989年…吉田栄作、幕末塾
1990年代
歌手デビュー年
- 1990年…忍者、福山雅治、菊池健一郎
- 1991年…SMAP
- 1992年…葛山信吾
- 1993年…高橋克典、原田龍二、保阪尚希
- 1994年…TOKIO、いしだ壱成、藤重政孝、光GENJI SUPER 5
- 1995年…V6、武田真治(サックスプレイヤーとしてデビュー)、LAZY KNACK
- 1996年…T.M.Revolution、Iceman、猿岩石
- 1997年…KinKi Kids、DA PUMP、反町隆史、pool bit boys
- 1998年…柏原崇、LAZY KNACKからソロでRED
- 1999年…嵐、藤木直人、初代J Soul Brothers
2000年代
歌手デビュー年
- 2000年…氷川きよし
- 2001年…EXILE、CHEMISTRY、w-inds.、山内惠介
- 2002年…タッキー&翼、押尾学、RAG FAIR、Lead、松田悟志、KinKi Kidsからソロで堂本剛
- 2003年…NEWS、ORANGE RANGE、DAIGO
- 2004年…関ジャニ∞、玉木宏
- 2005年…修二と彰(山下智久と亀梨和也)、トラジ・ハイジ、WaT、AAA、GRANRODEO(谷山紀章)、永井大、Folder5からソロで三浦大知
- 2006年…KAT-TUN、NEWSからソロで山下智久、NEWSからの派生ユニットでテゴマス、w-inds.からソロで橘慶太
- 2007年…Hey! Say! JUMP、宮野真守、Club Prince、HotchPotchi、PureBoys、WaTからソロでウエンツ瑛士、小池徹平
- 2008年…羞恥心、悲愴感、矢島美容室、小野大輔、二代目J Soul Brothers
- 2009年…新選組リアン、入野自由、神谷浩史、NYC
2010年代
歌手デビュー年
- 2010年…三代目J Soul Brothers、純烈、サーターアンダギー、50TA
- 2011年…Kis-My-Ft2、Sexy Zone
- 2012年…A.B.C-Z、GENERATIONS、中山優馬、鈴木福、BOYS AND MEN、超特急、DISH//、はやぶさ
- 2013年…PrizmaX、Hey! Say! JUMPからソロで山田涼介、Kis-My-Ft2からの派生ユニットで舞祭組
- 2014年…ジャニーズWEST、ブレイク☆スルー、Da-iCE、SOLIDEMO、AAAからソロでNissy
- 2015年…HiHi Jets/ジャニーズJr.、さくらしめじ、MAG!C☆PRINCE、M!LK、RADIO FISH、X4、BOYS AND MEN研究生
- 2016年…美 少年/ジャニーズJr.
- 2017年…菅田将暉、THE RAMPAGE、祭nine.、COLOR CREATION
- 2018年…King & Prince、FANTASTICS、VOYZ BOY、7 MEN 侍/ジャニーズJr.、少年忍者/ジャニーズJr.、SpeciaL/ジャニーズJr.
- 2019年…CUBERS、原因は自分にある。、BALLISTIK BOYZ、Zero PLANET、KAT-TUNからソロで亀梨和也、プラチナボーイズ、Lilかんさい/関西ジャニーズJr.、Aぇgroup/関西ジャニーズJr.
2020年代
歌手デビュー年
- 2020年…SixTONES、Snow Man、JO1、VOYZ BOY、SMAP解散後ソロデビューで木村拓哉
- 2021年…BMK、INI、なにわ男子、BE:FIRST、BUDDiiS、BLVCKBERRY、AmBitious/関西ジャニーズJr.
- 2022年…OCTPATH、THE SUPER FRUIT、TravisJapan、嵐からソロデビューで二宮和也、V6解散後ソロデビューで三宅健
注釈
出典
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- ^ Bee Big in Japan
- ^ 80年代のBON JOVIヒストリーをご紹介 BON JOVI FRIENDSHIP - ボンジョヴィファンサイト
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