コニー・フランシス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/20 06:33 UTC 版)
この項目は訃報が伝えられた直後の人物について扱っています。
|
コニー・フランシス | |
---|---|
(1961年)
|
|
基本情報 | |
出生名 | Concetta Rosa Maria Franconero |
生誕 | 1937年12月12日 |
出身地 | |
死没 | 2025年7月16日(87歳没) |
ジャンル | |
職業 | |
担当楽器 |
|
活動期間 | 1950年 - 2018年 |
レーベル | MGMレコード |
配偶者 |
|
公式サイト | conniefrancis.com |
コニー・フランシス(Connie Francis、本名 Concetta Rosa Maria Franconero(コンチェッタ・ローサ・マリア=フランコネロ)[1]、1937年12月12日 - 2025年7月16日)は、アメリカ合衆国出身の歌手、女優。イタリア系アメリカ人。
「ビルボードの選ぶ歴史上最も偉大なHot 100女性アーティスト」において14位[2]。
経歴
11歳の頃からショーに出演し、1955年に「Freddy」で歌手デビューしたが、しばらくヒット曲はなかった。
1958年にリリースされた「Who's Sorry Now?」が大ヒットしてからは、1960年代前半にかけてヒット曲を連発。1960年「Everybody’s Somebody’s Fool」で全米シングル・チャート(Billboard Hot 100)1位を獲得し、同チャートで1位となった最初の女性アーティストとなった。1961年には「Together」がヒットし、『ビルボード』誌のアダルト・コンテンポラリーのシングルチャートで女性として初めて1位を獲得した。
女性初のロックンロール歌手とされ、さまざまなジャンルの歌を歌った。日本語、ドイツ語、ユダヤ語など、15の外国語でのレコードを吹き込んでいる。
1974年11月8日、ウエストベリー音楽フェアに合わせてニューヨーク市内でホテルに滞在中、突如客室内に不法侵入した黒人の男から強姦被害を受けるが、犯人は逮捕されていない。安全性を確保しなかったとしてモーテルチェーンを提訴し、約300万ドルを支払う判断が示された。

これまで4回結婚離婚歴が有り、2003年からTony Ferrettiと事実婚であったが、2022年に死別している。
世界各国でヒット曲がカバーされ、日本では弘田三枝子や中尾ミエなどのカバーがヒットして知られる。
民族舞踊を意識する「Misirlou(ミザルー)」を歌っている。のちに「パルプフィクション」や「TAXi」シリーズで有名なディック・デイルのギターによる曲調ができるが、無歌詞である。
2025年7月3日に自身のFacebookを通じて、骨盤骨折による検査と治療を受けた後、個室に移され快方に向かっていると報告していたが、再び激しい痛みを訴え、集中治療室に入るが容態が急変し、7月16日に87歳で亡くなった[3][4][5]。
代表曲
- ヴァケイション (Vacation)
- 1962年7月発売。ビルボード最高9位。ステレオ録音。同年に青山ミチ、伊東ゆかり、金井克子、弘田三枝子、安村昌子らによる競作でカバーする。当時の洋楽曲の日本語カバーは、競作の場合に多くは歌詞が異なるが、本曲はすべて漣健児の同一日本語詞であった。曲名表記は青山・伊東・弘田版が「ヴァケイション」、金井版が「バケイション」、安村版が「バケーション」と若干異なる。弘田三枝子盤が20万枚、青山ミチ盤が3万枚のヒットとなる。1993年にMi-Keがアルバム『甦る60's 涙のバケーション』で英語詞と漣健児の日本語詞でカバーし、「想い出の冬休み」「夢のデイト」「大人になりたい」も収録する。2002年に映画『ナースのお仕事ザ・ムービー』主題歌として観月ありさが漣健児の日本語詞でカバーする。曲名表記は「VACATION」で「朝倉いずみ with ナースのお仕事」名義。コニー自身が漣健児の日本語詞でも歌っている。イタリア系のコニーは、日本語が外国語で一番歌いやすく、録音時間も短かったと語っている[1]。ラテン系のイタリア語、スペイン語は母音が5つで日本語の発音は容易である。
- フーズ・ソリー・ナウ (Who's Sorry Now?)
- 1958年2月発売。ビルボード最高4位。自身初のミリオンセラー。モノラル録音。それまで9作のシングル盤が発売されたもののなかなかヒットに恵まれず、次の10作目でヒットが出なければ契約を打ち切るとレコード会社から伝えられていた。窮地に立たされたコニーに、彼女の父が、最後かもしれないなら、自分の大好きな曲を歌ってほしいと彼女に頼んだことでレコーディングをする運びとなった。コニーははじめ、「30年以上も前の古臭い曲は嫌だ」と歌うことを渋ったが、結果的には大ヒットとなり、コニーは歌手を続けられることになったのである。この曲が無ければ、後年の大スター“コニー・フランシス”も無かった。まさに、彼女の人生を変えた曲である。
- のちに「 "Who's Sorry Now?" 以前の曲は全て、今回は誰風に歌おうと考えて歌っていたが、この曲では誰の真似でもなく自然に歌えた」と話している。彼女自身が自分の歌い方を見つけた、大きな転換点となる曲でもあった。
- ボーイ・ハント (Where The Boys Are)
- 1961年1月発売。ビルボード最高4位。ステレオ録音。日本でカバーしたのは竹内まりや 他
- カラーに口紅 (Lipstick On Your Collar)
- 1959年5月発売。ビルボード最高5位。ステレオ録音。
- 日本ではみナみカズみの訳詞で森山加代子や小泉今日子らが、山川啓介の訳詞で伊東ゆかりがカバーした。
- 泣かせないでね (Don't Break The Heart That Loves You)
- 1962年1月発売。ビルボード最高1位。ステレオ録音。
- 間抜けなキューピッド (Stupid Cupid)
- 1958年7月発売。ビルボード最高14位。モノラル録音。1998年にフジテレビで放映されたドラマ「Days」で挿入曲として用いられた。テレビ東京『モヤモヤさまぁ〜ず』では提供ベースに流れるBGMとして用いられた。
- アモング・マイ・スーベニル (Among My Souvenirs)
- 1959年11月発売。ビルボード最高7位。モノラル録音。
- マイ・ハピネス (My Happiness)
- 1958年11月発売。ビルボード最高2位。ステレオ録音。
- アイム・ソーリー・アイ・メイド・ユー・クライ (I'm Sorry I Made You Cry)
- 1958年4月発売。ビルボード最高36位。モノラル録音。
- 可愛いベイビー (Pretty Little Baby)
- アメリカではシングル発売されておらず、日本独自のヒット曲である。ステレオ録音。
- 1962年に中尾ミエ(ビクター)、森山加代子(東芝)、沢リリ子(テイチク)、後藤久美子(コロムビア)の4社競作でカバー。中でも中尾ミエ盤が一番売れた。
- 夢のデイト (Someone Else's Boy)
- 日本独自のヒット曲。
- ロリポップ・リップス (Lollipop Lips)
- アメリカでは発売されず。日本独自のヒット曲。渡辺トモコや「九重佑三子とダニー飯田とパラダイス・キング」が競作でカヴァーした。
- 大人になりたい (Too Many Rules)
- 1961年発売。ビルボード最高72位だったが、日本では伊東ゆかり、後藤久美子などの歌で大ヒットした。
エピソード
- 作詞家・松本隆は松田聖子を評して「彼女は、僕にとってコニー・フランシス」と語っている[6]。
- 「キッスは目にして!」のヒットで知られるザ・ヴィーナスのヴォーカルのコニーは、敬愛するコニー・フランシスのヒット曲を日本語詞で歌ったカバーアルバム『ディア・コニー~コニー・サン、コニー・フランシスを歌う』をリリースしている[7]。
- 国生さゆりが「バレンタイン・キッス」を歌った際、コニー・フランシスを意識して髪をポニーテールにした。
- サザンオールスターズの「いなせなロコモーション」[8]、河合奈保子の「夢みるコーラス・ガール」[9]の歌詞にコニー・フランシスが登場する。
- フジテレビ『ポンキッキーズ』シリーズに登場した女の子のキャラクターの名前はコニーちゃん、コニーちゃんのペットの大柄のカエルの名前はフランシスだった。
出演映画
- ボーイハント(1960年)
- 渚のデート(1963年)
- ハートでキッス(1964年)
- 青空のデート(1965年)
関連項目
- GO VACATION - バンダイナムコゲームスのコンピュータゲーム。『ヴァケイション』の日本語版が主題歌として使用されている。
- フックブックロー - NHK教育テレビジョンで放送されていた人形劇番組。『ヴァケイション』が取り上げられたことがある。
- ひらけポンキッキ - 曲のイントロが使われた事がある。
脚注
- ^ a b Song tosoul #120「ヴァケイション」コニーフランシス BS-TBS 2019/04/28 PM11:00放送 https://www.bs-tbs.co.jp/songtosoul/onair/onair_120.html
- ^ “Greatest of All Time Hot 100 Women Artists”. Billboard. 2024年12月9日閲覧。
- ^ “コニー・フランシスが87歳で死去 「可愛いベイビー」で知られる米歌手 | Rolling Stone Japan(ローリングストーン ジャパン)”. Rolling Stone Japan (2025年7月17日). 2025年7月17日閲覧。
- ^ “コニー・フランシスさん死去 米歌手「可愛いベイビー」”. 日本経済新聞 (2025年7月17日). 2025年7月17日閲覧。
- ^ “「可愛いベイビー」の87歳歌手、骨盤骨折後に激痛→ICUに入院 個室に移ってひと安心のコニー・フランシス|よろず〜ニュース”. よろず〜ニュース (2025年7月7日). 2025年7月17日閲覧。
- ^ はっぴいえんど、大滝詠一、松田聖子、筒美京平・・・綺羅星のようなエピソードと名曲で綴る、至福の55分!『JAPANESE POPS REFRAIN 1945-2015~作詞家・松本隆の45年~』
- ^ ディア・コニー~コニー・サン、コニー・フランシスを歌う Billboard JAPAN
- ^ サザンオールスターズ いなせなロコモーション 歌詞
- ^ 河合奈保子 夢みるコーラス・ガール 歌詞
外部リンク
- オフィシャルサイト
- The Connie Francis Page - ウェイバックマシン(2007年2月2日アーカイブ分)
コニー・フランシス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 17:27 UTC 版)
「機動戦士Vガンダムの登場人物」の記事における「コニー・フランシス」の解説
(Cony Francis) 声 - こおろぎさとみ シュラク隊メンバーの1人。激戦の中を初期メンバー6人の中で唯一生き残り、月面の戦闘でオリファー・イノエが戦死した後にはユカ・マイラスに諭され実質的な隊のリーダーとなる。その後は反地球浄化作戦より部隊の最前線に立ち、陣頭指揮を執ることが多かった。ウッソ・エヴィンに対しては他のシュラク隊の隊員が接していたのと同じようにその能力を認め、また子供を守るのは大人の仕事とばかりに彼を含むホワイトアーク隊のサポートに回ることもしばしばあった。 最終決戦のエンジェル・ハイロゥ攻防戦ではシュラク隊最後の一人としてウッソを手助けしようとリグ・コンティオとの戦闘に割って入るが、クロノクルとウッソの決闘の邪魔立てをしたとカテジナの怒りに触れ、「お前を守ってやれるシュラク隊は、私一人になってしまったよ」と言う台詞を残し、ゴトラタンに乗機のVガンダムを片脚・片腕・頭部・コクピットを次々に撃ち抜かれるという形で撃破され、戦死。彼女の死をもってシュラク隊は全滅する。そばかすがトレードマークである。 主な搭乗機はガンイージ、ガンブラスター、Vガンダムヘキサ。
※この「コニー・フランシス」の解説は、「機動戦士Vガンダムの登場人物」の解説の一部です。
「コニー・フランシス」を含む「機動戦士Vガンダムの登場人物」の記事については、「機動戦士Vガンダムの登場人物」の概要を参照ください。
固有名詞の分類
- コニー・フランシスのページへのリンク