明日待子
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/15 05:57 UTC 版)
明日 待子(あした まつこ、1920年3月1日[1] - 2019年7月14日)は、日本の女優、日本舞踊家。昭和初期〜戦後にかけてムーランルージュ新宿座の看板スターの一人で、元祖・ライブアイドルの一人[2]、また同年齢の諏訪根自子・山口淑子(李香蘭)・原節子と共に日本のアイドル黎明期をささえたアイドルの一人とされている。岩手県釜石市出身。本名は須貝とし子(すがい としこ)。晩年を日本舞踊家として過ごし、正統五條流宗家家元・五條 珠淑(ごじょう たまとし)を名乗っていた。
- ^ a b ムーラン・ルージュ『出演者営業鑑礼芸名及氏名』執筆年不明(1930年代としている)・国立国会図書館所蔵
- ^ 『幻の近代アイドル史』(2014年刊・笹山敬輔/著、ISBN 4779170141)
- ^ 菊池弘『かまいし千夜一夜:企業城下町物語』岩手東海新聞社、1984年11月、p.220。NDLJP:9571337/120。
- ^ a b 『私のなかの歴史 4』北海道新聞社(1985年4月)国立国会図書館所蔵
- ^ 押田信子『元祖アイドル「明日待子がいた時代」』扶桑社、2022 。
- ^ “戦時中、兵士たちに夢をみせた元アイドル。97歳「まっちゃん」に話を聞いた”. BuzzFeed (BuzzFeed Japan). (2017年3月4日) 2017年3月5日閲覧。
- ^ “栗原裕一郎の音楽本レビュー 第1回:『幻の近代アイドル史』 伊藤博文は明治時代のトップヲタだった!? 快著『幻の近代アイドル史』を栗原裕一郎が読み解く(3/4)”. リアルサウンド (2014年7月26日). 2019年2月27日閲覧。
- ^ 押田信子『元祖アイドル「明日待子」がいた時代』扶桑社、2022 。
- ^ 楽しき明日 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 『北海道警察史 第1 (明治・大正編)』 北海道警察本部、1968年
- ^ 押田信子『元祖アイドル「明日待子」がいた時代』扶桑社、2022年 。
- ^ 『東北人銘鑑』南部菊太郎 編(1958年)
- ^ “【あの人NOW!】91歳で銀幕復活!「ムーラン・ルージュ」の明日待子”. ZAKZAK (2011年9月28日). 2020年7月12日閲覧。
- ^ “爆報!THE フライデー 奇跡の大再会2時間SP / 2017年12月8日放送 19:00 - 20:57 TBS”. TVでた蔵. 株式会社ワイヤーアクション (2017年12月). 2022年8月22日閲覧。
- ^ “「日本初のアイドル」明日待子さん 戦時中は兵士たちの癒しに”. 女性自身. 株式会社光文社 (2018年3月11日). 2022年8月22日閲覧。
- ^ “アイドル卒業目前の指原、おニャン子クラブ解散の真相に衝撃”. 日テレ. 日本テレビ放送網株式会社 (2019年2月27日). 2022年8月23日閲覧。
- ^ “1周回って知らない話 平成のアイドルアナ&指原莉乃&おニャン子解散の裏事情SP”. TVでた蔵. 株式会社ワイヤーアクション (2019年2月). 2022年8月23日閲覧。
- ^ “【訃報】戦時中に活躍した元アイドル「まっちゃん」こと明日待子さんが死去、99歳”. buzzfeednews. (2019年7月21日) 2019年7月21日閲覧。
- ^ 日本放送協会『「戦争とアイドル」 - 歴史探偵』 。2022年9月15日閲覧。
- ^ “現役アイドル「日本初のアイドル」NHKドラマの明日待子さんから指導受けていた/デイリースポーツ online”. デイリースポーツ online. 2022年10月27日閲覧。
- 明日待子のページへのリンク