歌手デビュー後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/05 00:32 UTC 版)
「セルジュ・ゲンスブール」の記事における「歌手デビュー後」の解説
1958年、セルジュは歌手としてメジャーデビューする。デビュー作「リラの門の切符切り」(Le Poinçonneur des Lilas)は、地下鉄の駅(ポルト・デ・リラ駅)で切符を切り続ける改札係を歌ったものである。暗い地下から逃げて広い世界に出たいという着想は、あるとき改札係に「なにか望みはないか」と尋ね、「空が見たい」という答えを受けたことから生まれたという。歌詞の中では、色々な意味に変わりながら繰り返される trous(穴)という語が性的な隠喩であるとされる。この曲がヒットしている間、セルジュはコンサートで改札係に扮して歌った。 1965年、フランス・ギャルがセルジュの曲 Poupée de cire, poupée de son (「夢見るシャンソン人形」)でユーロビジョン・ソング・コンテストのグランプリを獲得する。当時ジャック・プレヴェールに代表される情緒豊かな作品(日本で普通「シャンソン」と呼ばれるようなもの)が主流だったフランス音楽界において、それらと比べテンポが速く音数も多い作風であることが一線を画したゆえ一部の反発を受けるが、若い層を中心に絶大な人気を集め、ギャルとともにセルジュの名を一気に高める。その後もギャルへの提供曲は続々とヒットし、ギャルはフレンチロリータという伝統の始まりとなる。
※この「歌手デビュー後」の解説は、「セルジュ・ゲンスブール」の解説の一部です。
「歌手デビュー後」を含む「セルジュ・ゲンスブール」の記事については、「セルジュ・ゲンスブール」の概要を参照ください。
歌手デビュー後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 06:13 UTC 版)
退団した同年の1970年、歌手デビュー前に知名度を広めるためNHK連続テレビ小説『虹』で女優としてデビューした。 1971年(昭和46年)4月25日にワーナー・ブラザース・パイオニアで初の邦楽部門歌手として契約する。作曲家平尾昌晃がプロデュースする「わたしの城下町」で歌手デビューすると160万枚を売り上げ、1971年のオリコン年間シングル売上チャートで第1位を記録し、第13回日本レコード大賞最優秀新人賞を獲得した。 1972年(昭和47年)には「瀬戸の花嫁」で、第3回日本歌謡大賞を受賞。ほか「お祭りの夜」「京のにわか雨」「漁火恋唄」など大ヒットを連発、天地真理や南沙織らとともに「三人娘」(のち「新三人娘」と称された)として、1970年代前半を代表する女性アイドル歌手に挙げられた。 1970年代後半から1980年代前半にかけて、持ち前の歌唱力で「冬の駅」「逢いたくて北国へ」「星の砂」「来夢来人(ライムライト)」「お久しぶりね」等、数々の楽曲で好評を得る。デビューした1971年(昭和46年)から1988年(昭和63年)まで18年連続で『NHK紅白歌合戦』に出場した。 女優として、1982年(昭和57年)に『誘拐報道』でキネマ旬報賞助演女優賞と第6回日本アカデミー賞最優秀助演女優賞、1983年(昭和58年)に『白蛇抄』で第7回日本アカデミー賞最優秀主演女優賞、それぞれを受賞した。ザ・ドリフターズの番組で志村けんと演じたコントで存在感を発揮し、TBS系の公開バラエティ番組『8時だョ!全員集合』でゲストとして最も多く出演した。
※この「歌手デビュー後」の解説は、「小柳ルミ子」の解説の一部です。
「歌手デビュー後」を含む「小柳ルミ子」の記事については、「小柳ルミ子」の概要を参照ください。
- 歌手デビュー後のページへのリンク