歌手デビューしたトーキー・スターとは? わかりやすく解説

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歌手デビューしたトーキー・スター

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/28 05:26 UTC 版)

市川春代」の記事における「歌手デビューしたトーキー・スター」の解説

そのころサイレントからパート・トーキー、トーキーの時代入りB級作品主演をした。1934年昭和9年2月26日東宝新し専属契約スターに市川名を連ねたが、当時の同撮影所総務永田雅一説得で、市川は同撮影所に留まった。 同年10月渡辺邦男監督の『花嫁日記』に主演し、その主題歌『あなたのあたし』で歌手としてレコードデビューした。同作最後に日活退社した同年暮れから翌1935年春にかけて、新興キネマ移籍しており、12月公開され村山実監督小島政二郎原作の2作、『花咲 前篇なみ子の巻』、『花咲 後篇エマ子の巻』で雑誌記者七條なみ子演じてスターとなる。 1935年昭和10年8月日本クリスタル第7回新譜として発売された『乙女日記』と『夕月みれば』のカップリング同社邦楽最後新譜となった青空』と『ベテイ・ブープ』のカップリング2枚SP盤吹き込んだ同年マルベル堂ブロマイド売上ランキングでは、7位にランクインした(1位入江たか子2位田中絹代)。同年松竹から独立した重宗務監督による「東京発声映画製作所」の設立参加トーキー映画出演した1937年昭和12年)に同社製作した豊田四郎監督石坂洋次郎原作の『若い人』の初映画化では江波恵子演じて評判となった同社では逢初夢子市川が2大スターであった同年12月12日24歳で、録音エンジニアの加々良謙一と結婚した1938年昭和13年3月2日には古巣日活京都撮影所にもどり、時代劇出演する後年1980年代になって再評価されマキノ雅弘当時正博)監督片岡千恵蔵主演ディック・ミネ客演華やかな時代劇ミュージカル鴛鴦歌合戦』(1939年)に出演26歳可憐な娘姿が引退後の現在も知られるところとなる。なお、同作撮影直前同年11月7日長女出産している。 1942年昭和17年)の戦時統合による日活製作部門の大映への統合に際しても「大映京都撮影所となった撮影所残り千恵蔵主演の「宮本武蔵シリーズ稲垣浩監督の『宮本武蔵 一乗寺決闘』(1942年)、伊藤大輔監督の『二刀流開眼』(1943年)および『決闘般若坂』(同)などに出演した1942年11月6日長男出産した

※この「歌手デビューしたトーキー・スター」の解説は、「市川春代」の解説の一部です。
「歌手デビューしたトーキー・スター」を含む「市川春代」の記事については、「市川春代」の概要を参照ください。

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