歌手デビュー - 1980年代を代表するアイドルへとは? わかりやすく解説

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歌手デビュー - 1980年代を代表するアイドルへ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 01:55 UTC 版)

松田聖子」の記事における「歌手デビュー - 1980年代を代表するアイドルへ」の解説

注力中の所属アイドル売り上げ不振頭を悩ませていた相澤は、出演不合格となったエクボ」のCM制作サイド陳情。それによって何とかコマーシャルソングとしての起用1980年2月決定し4月1日シングル裸足の季節」で歌手デビュー果たした。なお、相澤聖子ビジュアル面を期待しておらず、もっぱら歌だけでやって行こう考えていた為、出演させなかったとも語っている。上述のような様々な要因重なり偶然にも、1970年代代表するアイドル山口百恵の引退という、時代転換期である1980年デビューする事となった。デビュー時キャッチフレーズは「抱きしめたい! ミス・ソニー」。 聖子歌声タイアップCMによってテレビで頻繁に流れたものの、当初は顔と名前の浸透度が低くCM出演した山田由紀子歌っていると勘違いする人も多かった山田2人行ったCMイベントサイン会でも聖子前に誰も並ばず、「あの娘誰?」という目で見られ悔し思いをしたと、後に発言している。それから程なくしてテレビ歌番組などに聖子登場するうになると、その容姿声量のある魅力的な声が相まって瞬く間人気沸騰した。「エクボ」のCMシリーズではその後も「風は秋色」、「夏の扉」などでも歌唱のみの起用続いたテレビCM流れ聖子歌声初めて耳にした作詞家松本隆(後に聖子楽曲作詞手掛ける事になる)は、「彼女の声の質感自分言葉がすごく合うような気がした」と直感的に感じたという。 デビュー日となる4月1日日本テレビズームイン!!朝!』に出演しCBSソニー社員らの声援バック告知を行う。同月、HNK『レッツゴーヤング』に「サンデーズ」のメンバーとしてレギュラー出演開始、かつて音楽学校レッスン受けた平尾昌晃共演する4月末にはフジテレビ夜のヒットスタジオ』に「裸足の季節」で初登場7月TBS『ザ・ベストテン』にも「スポットライト」コーナーに第11位として初登場した。8月には2枚目のシングル青い珊瑚礁」で、『ザ・ベストテン』に第8位で初ランクした。 9月、「青い珊瑚礁」で『ザ・ベストテン』の第1位を初め獲得オリコンチャートでは最高第2位)。2週連続1位となった9月25日放送では、「さよならの向う側」で10位にランクインした山口百恵と初共演した。同番組では70年代80年代代表するアイドル最初で最後の共演となった同年10月発売3枚目のシングル「風は秋色」で初めオリコン第1位を獲得年末の『第22回日本レコード大賞』では「青い珊瑚礁」で新人賞受賞。『第31回NHK紅白歌合戦』にもデビュー1年目初出場した。 伸びのある透き通った歌声と「ぶりっ子と言われるほどの可愛らしい振る舞いによって、その人気はうなぎ登りとなったセミロングふわっとした女の子らしいヘアスタイルは「聖子ちゃんカット」と呼ばれて全国若い女性の間で大流行し翌年1981年年末に突然、聖子ショートカットになると今度ショートカット流行り出した小田裕一郎による西海岸風のサウンド始まり2年目にはチューリップリーダーである財津和夫起用作詞松本隆迎えてからは大瀧詠一松任谷由実細野晴臣佐野元春尾崎亜美大江千里といったニューミュージック系のミュージシャンシングル起用された。アルバムにおいても杉真理来生たかお原田真二甲斐祥弘南佳孝林哲司矢野顕子玉置浩二等、錚々たる顔ぶれが質の高い楽曲多数提供したデビュー間もない頃の声量のある力強い声質から、酷使によりややハスキーな色合い帯びた以降も、それが大人魅力となり「赤いスイートピー」、「SWEET MEMORIES」などの代表曲生まれた。元々B面だった「SWEET MEMORIES」は、ペンギンのキャラクター印象的なサントリー缶ビールCM曲だった。使われたのは英語詞部分で、当初は「歌・松田聖子」のクレジット表記無かった為、「誰が歌っているのか?」という問い合わせ反響相次いだ。これは本人CM出演しない事でその歌声により注目集まったデビュー曲の「裸足の季節」と通じるものがある。その後歌番組でこの曲が歌われるうになる名曲として広く知れ渡り多くアーティストカバーされるほどの代表曲となった。 そうして作り出され恵まれた楽曲歌いこなし、1980年3枚目のシングル「風は秋色」から1988年26目のシングル旅立ちはフリージア」まで24連続オリコン週間シングルチャート1位を獲得山口百恵から松田聖子へとアイドル頂点引き継がれた。 社長相澤は、ファン欲しているものをその場判断してそれにあった雰囲気作りをする聖子の頭の回転速さ行動力評価しており、持ち前の声の良さプロ根性と共にその「巧妙な自己演出」が松田聖子という歌手完成させたと語っている。

※この「歌手デビュー - 1980年代を代表するアイドルへ」の解説は、「松田聖子」の解説の一部です。
「歌手デビュー - 1980年代を代表するアイドルへ」を含む「松田聖子」の記事については、「松田聖子」の概要を参照ください。

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