歌手デビューへ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 05:48 UTC 版)
同大学声楽専攻科入学後は、関種子に師事。本心ではタンゴを習いたかったが、同大学では当時軽音楽の類を勉強するのが禁止だったため、密かにタンゴのレコードを聞いたり、タンゴ喫茶に足繁く通うことで欲求不満を解消した。また、スペイン語(タンゴで有名なアルゼンチンの言語)とイタリア語が似ていることからこれを隠れ蓑に、関に「イタリア音楽を勉強したい」と告げ、イタリア歌曲やカンツォーネを歌うことでタンゴの下地を作った。 大学4年生になった頃、まだまだ音楽を勉強したいとの思いから、国立音楽大学大学院声楽専攻に進学。この頃からタンゴ喫茶のステージで歌わせてもらったり、後日関の紹介で知り合った服部良一のコンサートにも出始める。正式に服部の弟子となった後、いくつかのレコード会社の口利きをしてもらうが、中々所属先が決まらい日々を過ごす。 先述のタンゴバンド「早川真平とオルケスタ・ティピカ東京」での歌手デビューを経て、ポリドールからソロ歌手としてレコードデビュー。『知りたくないの』の発売後、札幌のダンスホールや銀座のクラブホステスの間で徐々に人気が出始め、その後大ヒットに繋がった。菅原は後に、所属先から「売れない歌手の君を、このレコードを最後にクビにするつもりだった」と打ち明けられ、同曲がヒットしたことで契約を打ち切られずに済んだとのこと。
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