ペテルブルクの皇族たちとは? わかりやすく解説

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ペテルブルクの皇族たち

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 03:45 UTC 版)

エカテリーナ (テレビドラマ)」の記事における「ペテルブルクの皇族たち」の解説

エカテリーナ2世(エカテリーナ・アレクセーエヴナ) - マリーナ・アレクサンドロワ ロシア帝国黄金時代確立したロマノフ王朝第8代皇帝在位1762年1796年)。アンハルト=ツェルプスト侯爵家の出身皇太子妃時代にはエカテリーナ・アレクセーエヴナ(Екатерина Алексеевна)、即位後は陛下または女帝陛下呼ばれることが多い。 ドイツ人ゾフィー・アウグステ・フレデリーケ(Sophie Auguste Frederike)として生まれる。ロシア帝国女帝エリザヴェータ・ペトロヴナ亡き婚約者ゾフィー親戚だった縁から、皇太子ピョートル・フョードロヴィチの妃に選ばれた。 14歳ロシア入りしたゾフィーは誰よりもロシア通になるべくロシア語猛勉強し、ロシア正教改宗して「エカテリーナ・アレクセーエヴナ」 と改名する。そして、16歳でフョードロヴィチと結婚する結婚後も哲学科学軍事学学び、後にモスクワ大学創立することになるミハイル・ロモノーソフとも交流持った。夫のフョードロヴィチはエリザヴェータ女帝の姉・アンナ息子にあたり幼くして孤児になるが、子供のいなかった女帝引き取られ皇太子擁立されるという経緯があった。これが彼の心に暗い影落としていた。ゾフィーと同じドイツ生まれで気が合いそうなものだが、実際に女帝恐れロシアを嫌うあまり兵隊玩具バイオリンで気を紛らわせている哀れな青年だった。エカテリーナ女帝回し者だと決めつけて敵視し子供など作るつもりがない、と拒否していた。しかしエカテリーナ努力理解によって、フョードロヴィチが心を開きかけたと思いきや恐ろしい伝染病天然痘襲われた。一命取り留めたが、顔に醜い痘痕残ったコンプレックスから再び心を閉ざすフョードロヴィチ。そうこうしているうちに、7年歳月過ぎた独身エリザヴェータには血の繋がった後継者はフョードロヴィチしかいなかった皇位安泰のためにも早く息子作ってほしい、と焦っていた。しかしフョードロヴィチは劣等感から女に興味示さない。そこでとりあえ皇太子妃子供産んで「フョードロヴィチの子ということにすればよい、と安直に考えた。「腹は借り物」と同じ考え方である。 エリザヴェータエカテリーナに「愛人持って跡継ぎを産め」とけしかけ密命受けたセルゲイ・ヴァシリエヴィチ・サルトゥイコフ公爵口説かせる。エカテリーナにとっては、ロシアに来る途上起きた馬車横転事故助けてくれた憧れの人でもあったので、あっさりと不倫関係陥るのだった。 ある晩、すっかり不仲になっていたフョードロヴィチが不意に寝室現れた。そこには理由があった。エリザヴェータできれば正当な後継者欲しかったので、フョードロヴィチに局所手術施し夫婦生活を送らなければ廃位する、と脅したのだ。怯えた彼は嫌々ながらも妻の寝室に来たのである。これにはエカテリーナ複雑な心境だった。 やがてエカテリーナ懐妊し待望男児パーヴェル・ペトロヴィチ大公(後のパーヴェル1世)を出産する大喜びするエリザヴェータは「この子未来ロシア皇帝である!」と叫びながらパーヴェル連れ去りエカテリーナには褒美としてネックレス与えただけで、彼女が手ずから育てることを許そうとはしなかった。直後役目終えたサルトゥイコフもハンブルク駐在大使としてロシアを去ることになり、縋り付くエカテリーナ振り払って立ち去っていく。エカテリーナ絶望のあまり、泣き崩れた2年後宰相首相)兼外相のアレクセイ・ペトロヴィチ・ベストゥージェフ伯爵紹介知り合ったペテルブルク駐在ポーランド公使として赴任してきた年下スタニスワフ・アウグスト・ポニャトフスキ公爵から稚拙な恋文が届く。その夜強引に私室侵入してきた彼とそのまま一夜過ごしポニャトフスキに"私のキュウリさん"という愛称をつけて戯れるのだった。しかし、秘密警察諜報局)長官アレクサンドル・イヴァノヴィチ・シュヴァーロフ伯爵英語版ロシア語版の手下がその様子をエカテリーナ寝室の隣にある隠し部屋の穴から伺っており、暫くの間見て見ぬふりをしていたエリザヴェータからやがて身を慎むよう忠告されるポニャトフスキ帰国させた、とも聞かされるが、我が子最愛のサルトゥイコフも、そして人生すらエリザヴェータ奪い尽くされて不満を募らせていたエカテリーナにとって、不満の捌け口となったポニャトフスキとのセックス蹂躙され悲痛な現実から逃避するために自ら選んだものであり、その相手別れされられようが最早痛く痒くもなく、「全て陛下のせいですよ?」と棘のある微笑み返して見せるのだが、快楽身を委ねる中でエカテリーナポニャトフスキの子アンナロシア語版ポーランド語版)を宿していた。 フョードロヴィチとの夫婦仲を何とかしよう考えたエリザヴェータ命令で、夫婦共にイズマイロフスキー近衛連隊赴任するが、そこでオルロフ家出身グリゴリー・グリゴリエヴィチ・オルロフ中尉という豪快な将校出会う。ところが彼はその場秘密警察逮捕される。シュヴァーロフと女のことで揉め事となり、彼と大立ち回り演じた事件が罪に問われのだった近衛連隊動揺きたしたという理由でベストゥージェフ宰相力を借りて彼を釈放させた事で、全員連隊将校オルロフ家の四兄弟から忠誠誓われる。 やがてエリザヴェータが病に倒れると、フョードロヴィチが皇帝の座につく事に危機感持ったベストゥージェフから、幼いパーヴェル即位させエカテリーナ摂政にするというクーデター計画打診される。エリザヴェータによって皇位剥奪ロシア語版)され、シュリッセリブルク要塞幽閉されている前皇帝イヴァン6世17歳)と再婚して女帝になるというもう一つプラン示されるが、いずれにせよフョードロヴィチの殺害避けられない聞き関わることを拒否する自身好むと好まざるとに関わらず、重要かつ危険な立場にある事を思い知り、フョードロヴィチに帰国願い出るが、パーヴェル置いて行くよう求める彼との話し合い決裂するエリザヴェータ持ち直すが、クーデター計画発覚し女帝直々に関与問い質され事態となる。 その後、娘のアンナ生まれエリザヴェータから祝福されるが、アンナ誕生から僅か2年亡くなってしまう。だが悲しんでばかりいられない程、情勢緊迫しており、病気がちだったエリザヴェータ余命がもう長くないのは誰の目にも明らかだった。そこへ戦場英雄的な活躍見せたオルロフ負傷のため一時的に帰還する。その知らせ聞いたエカテリーナすかさずオルロフ再会し馬車の中でついに結ばれるクーデター計画露見でベストゥージェフ宰相、アプラクシン元帥といった有力な支援者失い四面楚歌ともいえる状況の中でオルロフ唯一の頼りになる存在であり、エカテリーナオルロフとのセックスの際、"あなたの息子欲しい。力強くて逞しい息子欲しいの!"と語るほどだった。しかし、その事実を察知したシュヴァーロフがエリザヴェータ報告エカテリーナ愛人を持つ事を嫌うエリザヴェータ差し金オルロフが東プロイセン・ケーニヒスベルクの前線へ送られるまでの僅かなひと時をともに過ごすことになる。 エリザヴェータ亡き婚約者カール・アウグスト幻影語りながら崩御した。フョードロヴィチが即位して皇帝ピョートル3世となった。この時すでに第三子となるオルロフの子身籠っていたエカテリーナ皇后となるが、ピョートル侍従・ブレクドルフからは「皇后陛下」と呼ばれなかった。 皇帝として権力を手にしたピョートル側近らの意見には一切耳を貸さず暴走始めロシア国家を破壊するような彼の政策国内の不満は高まっていた。そんな中ピョートルから呼び出し受けたエカテリーナ膨らんだ腹部を隠すためにショールで身を包んで現れた。ピョートルエカテリーナを「罪深きマダム」と呼び侍女だったエリザヴェータ・ロマノヴナ・ヴォロンツォヴァ(通称リーザ)と再婚する宣言した上でエカテリーナ露骨に侮辱した。 それから2ヶ月後エカテリーナペテルブルク市内起きた火事ピョートル釘付けになっている隙 に男児アレクセイロシア語版)を出産アレクセイ宮殿に連れ出され、後にオルロフ家を介してシュクーリンという夫婦預けられた。翌日ピョートルパーヴェル廃嫡ようとしていると知り我が子自分イヴァンのように一生幽閉され可能性戦慄し宮殿脱出追手逮捕されそうになるが、駆けつけオルロフとその兄弟達が応戦して辛くも危機免れる追い詰められエカテリーナ我が子ロシア国家をピョートルから守るため、立ち上がる決意をする。 クーデター断行決意した2ヶ月後帰還待っていた正規軍到着軍部ロシア正教会支持を得、わずか100名ばかり将校従えてクーデターロシア語版)を敢行する逃亡し退位宣言への署名強要されピョートルオルロフの弟・アレクセイ・グリゴリエヴィチ・オルロフ大尉によって殺害されるまた、獄中元皇帝イヴァンエカテリーナから釈放通知を受けるのだが、エリザヴェータ命令忠実に守り数日前エカテリーナからエリザヴェータ命令引き続き守るよう命じられ看守たちによって殺害される。 こうして、自分立場脅かしうる邪魔者葬り去ったエカテリーナ遂にロシア帝国玉座帝冠射止め皇帝として長大称号帯びるのであった・・・。 即位後は啓蒙思想による統治志すが、地方視察農奴置かれ過酷な生活ぶりを目の当たりにし、専制政治による改革必要性痛感するそんな中勃発したオスマン帝国との戦争ではロシア帝国悲願ともいえる南下政策実現優先課題取り組むことになる。 一方私生活では大きな問題起きていた。結婚から7年間、処女のままで過ごしてきた反動からか、処女捨ててからはセックス人一倍力を入れており、即位した後もセックス溺れて快楽を得る傾向強まっていた。中でもクーデター立役者となり、伯爵グラーフ)の爵位得ていた愛人グリゴリー・オルロフとの関係は10年近く続いており、夫のピョートルも既にこの世の人でないことから、けじめをつけるためにオルロフとの結婚更なる妊娠・出産熱望していた。 しかし、帝位への野心ひけらかす彼を警戒する外相のニキータ・イヴァノヴィチ・パーニン伯爵重臣たちはオルロフとの結婚強く反対する。そこで次善の策として帝位継承法ロシア語版)を発動し後継者としての資質問題があるパーヴェル海外留学名目国外追放しアレクセイ後継者とする宣言出そう考えるが、オルロフ結婚してアレクセイの「私生児」という立場法律上変えられないパーニンから忠告される。ならばパーヴェルに代わって後継者なり得る男子産んでその子皇帝にしようと、自身年齢的制約から一刻早い結婚を望むのだが、一番信頼寄せている私設秘書のイヴァン・イヴァノヴィチ・ベツコイ公爵ロシア語版)も賛同せず、正教会サンクトペテルブルク大主教ガブリエル頑として認めず八方塞がり状況悔し涙を流すのだった。 そのオルロフ国境付近での小規模な戦闘から帰還久々に熱烈に抱き合ってセックス興じるが、彼は途中で体調不良訴え寝室から出て行ってしまう。その後寝室から足が遠のいた彼に気を揉み秘密警察長官・ステパン・イヴァノヴィチ・シェシコフスキー伯爵ロシア語版)に身辺調査命じるのだが、実は彼は戦闘頭部強打した後遺症性的不能苦しめられ、それを悟られまいとエカテリーナと夜を共に過ごす事を避けていたのだ。 同じ頃、戦場から負傷の身でオルロフ書簡エカテリーナ届けたグリゴリー・アレクサンドロヴィチ・ポチョムキンという若い中尉エカテリーナの元で看護を受け、回復後軍服改良事業監査役任命され宮殿に留まっていた。彼に何か心に感ずるものがあり、時折職場訪れながら彼の女性関係を女官友人のソフィア・ステパノヴナ・チャルトリスカヤ公爵夫人探りを入れるなどしていたが、彼が密かに自分思いを寄せていると知ると、「あなたに会えば私はとても幸せになるの」と素直な気持ちを手紙したため、彼と文通始める。オルロフとの結婚妊娠望み愛人関係続け一方で女性喜ばせる気の利いた言葉一つ言わないこの朴訥将校に心惹かれ始めていたのだった。 ところがオルロフ秘密裏受けた手術により性的不能回復引き換え生殖能力失ってしまう。そうとは知らず地方視察暫くの間会わなかったオルロフ久しぶり交わしたセックス彼の異常なほどの精力満足し、「なんて素晴らしいのかしら。こんなに気持ちのいいセックス初めてよ。幸せ過ぎて死にそう。グリゴリー。あなたなしではとても生きていけないわ!中略)男は疲れるけど女は元気になるわ。セックスには理解できない秘密があるのね」と喜び語っていたが、それは手術後に起こる一過性の症状という事実を、直後届いた身辺調査報告書と、治療当たった医師ピンクス証言で知ることになる。 オルロフ背信行為激し衝撃受けたエカテリーナは、あれほど望んでいた結婚嫡子出産への意欲を完全に無くしアレクセイ肖像画撤去する。そしてポチョムキンに心が大きく傾きかけた時、突然彼から別れを告げる手紙が届く。ポチョムキンオルロフ兄弟からリンチを受け、ベツコイの助力戦場去ったのだ。しかし突然遠く隔てられていた事で却って心が彼に引き付けられる心の中これ程までにポチョムキン存在大きくなっていた事をオルロフもとより自身気づいていなかったのである。こうして、長年渡って関係を続けてきたオルロフとの関係を絶ち切り、アレクセイ海外留学名目イギリス追放する。そして戦場ポチョムキン手紙交わし続け確かな愛を育んでゆく。 後継者問題では、侍医のロジャーソンから病弱なパーヴェルには生殖能力が無いのではと告げられ苦慮した結果忠実な美貌女官ソフィアに「パーヴェルの子妊娠するかどうか身をもって確かめよ」という密命下し地方への視察旅行最中ソフィアパーヴェル誘惑して彼の愛妾となる。「パーヴェル子供出来ないのなら、オルロフ次の皇帝にする」と、オルロフの裏切りを知らずソフィア内心明かしていたが、思春期迎えたパーヴェル恋は盲目とばかりソフィアのめり込みたちどころに彼女を妊娠させるパーヴェル生殖能力があることと、やがて生まれであろうパーヴェルの子後継者出来ること安堵したエカテリーナはもはや自ら無理をして嫡子を産むことはあるまいと嫡子作りパーヴェル託してツェサレーヴィチ皇太子)の称号与えることにする。そしてソフィアには役目終わったとして堕胎するよう命じるも、彼女は診察のために訪れた医師ピンクスから「堕胎すればもう二度と子供を産むことができない体になる」と診断されたことや、自身天涯孤独の身であることを理由エカテリーナの意に逆らってでも産むことを強く希望したソフィアが産もうとしているパーヴェルの子ロマノフ家血を引く息子であり、自身将来生まれパーヴェル嫡子地位を脅かす存在なるとし堕胎を迫るエカテリーナ厳しく叱責するが、最後にソフィアに「どんな処罰甘んじて受け入れますが、その代わり子供を産ませて下さい!」と泣きつかれたため、パーヴェル即刻別れることを条件出産を許すことにする。パーヴェル当初自分の子宿したソフィアとの結婚辞さない構えだったが、ソフィア説得され我が子に「大帝」を意味する称号与えることと引き換え別れることに同意するソフィアからは「出産後宮廷残りたい」と嘆願されるが、妊娠して退職したことを理由にこれを拒絶。それでも、餞別として手厚い退職手当邸宅数人侍女乳母与えて宮廷から送り出すのだった後継者問題解決目処が立ち、対オスマン戦争勝利も確実となり、肩に重くのしかかっていた問題収束に向かう中でポチョムキンペテルブルク呼び戻す。そしてフョードロヴィチとの結婚以来全て明かし告白受け入れたポチョムキン白夜の中で交わした愛の交歓の中で『魂』を捧げる。しかし、エカテリーナポチョムキン情熱傾けていく一方で冷静な判断力失いパーヴェル最初結婚相手ナタリアを見誤らせてしまうが、二番目の妻・マリアパーヴェル仲睦まじく待望跡継ぎアレクサンドル恵まれる。その赤子に自ら帝王学を施そうとして夫妻から取り上げるが、大主教に「重荷背負い過ぎだ」と諭され、自身エリザヴェータから受けた苦痛思い出して赤子返してやる。そして帝国維持するために今まで犯してきた様々な罪を強く意識させられホルモゴルイ訪問するホルモゴルイでは新任修道院長から3日間、囚人暮らし体験するよう要求され、神の許し救いを得るために承諾獄死したアントン・ウルリヒ夫妻の墓の前で心から懺悔をする。 そして白夜の中、ポチョムキン二人だけでひっそりと結婚式挙げて夫婦となる。はにかみながら「愛しき妻(Жена)」と呼ぶポチョムキン抱擁され、密やかな幸福を噛みしめるのだった。 かつてパーニンに「私はただ幸せ家庭欲しいだけよ」と語っていたエカテリーナはようやく、帝国発展という夢も共に分かち合えかけがえのない伴侶得たのであるシーズン2では、「パーヴェル立派な皇帝なれない定めである。」「フランス国王ルイ16世は”改革”でフランス破滅させるだろう!」などと、ある種預言めいた言葉を口にするのだが、それらは後にフランス革命皇帝となったパーヴェル失政によって現実のものとなる。 エリザヴェータ女帝エリザヴェータ・ペトロヴナ) - ユリア・アウグ ロマノフ王朝6代皇帝在位1741年1761年)。 初代皇帝ピョートル1世大帝)(在位1682年1725年)と第2代皇帝エカテリーナ1世在位1725年1727年)の娘。 周りの者たちはエリザヴェータ・ペトロヴナ(Елизавета Петровна)と呼んでいる。 クーデターロシア語版)で遠縁にあたるイヴァン6世から皇位剥奪し即位結婚前亡くなった婚約者ホルシュタイン=ゴットルプ家カール・アウグスト忘れられず、公式には独身のままだった。 後継者がいなかったので、プロイセン嫁いだ姉の息子で、孤児のピョートル・フョードロヴィチを皇太子として迎えた。そしてカール・アウグストの姪にあたるゾフィーエカテリーナ)を皇太子妃候補選び、後に「エカテリーナ・アレクセーエヴナ」のロシア名を与えたが、この「エカテリーナ・アレクセーエヴナ」とは、母・エカテリーナ1世の名前である。 ロシア到着したゾフィー宮廷謁見の間初め対面した際、ゾフィーおぼつかないロシア語挨拶をすると驚きロシア語話せるのかと問うと彼女は「ロシア語話せないと靴も直せません」と答え破顔大笑したエリザヴェータは彼女を気に入る。 32,000着の服を保有していると言い女性として着道楽一面見せる。その際、「毎日違う服を着て87年7ヶ月4日はかかる」と即座に計算したエカテリーナ驚嘆する寵臣アレクセイ・グリゴリエヴィチ・ラズモフスキー(英語版ロシア語版伯爵とは秘密結婚するほど愛し合っていた。 秘密警察長官のアレクサンドル・イヴァノヴィチ・シュヴァーロフ(英語版ロシア語版伯爵使いエカテリーナロシアにやって来た当初から厳しく監視していた。エカテリーナ部屋の壁には覗き穴があけてあり、隠し部屋の中で監視人エカテリーナ会話逐一記録するという徹底ぶりであったエカテリーナ随行してロシア入りしていた母親ヨハンナにも、家臣のイヴァン・イヴァノヴィチ・ベツコイ公爵送り込んで愛人関係を結ばせて監視下に置く。 自らもクーデターにより皇位簒奪した事から、陰謀に対しては非常に敏感なのであるが、監獄幽閉している前皇帝イヴァンについては処刑すべきかどうか何度検討したものの、結局は命を奪う事は無かったエリザヴェータ悩みは、フョードロヴィチ夫妻不仲子供生まれないことであった。そこで策を講じエカテリーナ愛人持て仄めかし、セルゲイ・ヴァシリエヴィチ・サルトゥイコフ公爵けしかける一方、フョードロヴィチには「夫婦生活送って子供を作らなければ廃位する」と脅して、妻を無理矢理押しつけた。その結果、後に皇帝パーヴェル1世となる皇子パーヴェル・ペトロヴィチ大公誕生した大喜びしたエリザヴェータは「この子未来ロシア皇帝である!」と叫びながら新生児連れ去りエカテリーナ任せことなく自分育てる気満々だった。千辛万苦の末にパーヴェル産んだエカテリーナには褒美としてネックレス与えたが、用済みとなったサルトゥイコフをロシア大使任命してハンブルク赴任させた。 その後ラズモフスキー秘密裏結婚しパーヴェル即位まで中継ぎとして彼に帝位即くよう望むが、ラズモフスキー固辞する。父であるピョートル大帝皇帝一存後継者指名する権利認められていた帝位継承法ロシア語版)を定めたためにこのような事も可能であった。しかしピョートル大帝自身後継者指名せず崩御したため、后妃エカテリーナ産んだエリザヴェータ即位するまで16年間に4人の皇帝即位しその都度周囲巻き込む凄まじい骨肉の争い起きていたのが実情である。 ある日、シュヴァーロフから「エカテリーナポーランドロシア公使ポニャトフスキ公爵愛人関係にある」との報告受け取ったエカテリーナしてみればパーヴェル恋人出産祝いネックレスエリザヴェータから与えられたものの、ネックレス以外は全て奪われたわけで、悲痛な現実から逃避するために恋愛溺れる必要があった。その点では兵隊遊びバイオリン耽溺するフョードロヴィチと共通していた。すなわち、エリザヴェータ絶対専制君主として、2人人生操っていたのであるしばらくの間泳がせてみたものの、後にエカテリーナ呼びつけポニャトフスキ帰国させたと申し渡す。だが、エカテリーナポニャトフスキ国外追放されようがもはや痛くも痒くもない上に、この時既にポニャトフスキとの娘・アンナ妊娠していた。そして、全て奪ったエリザヴェータに「全て陛下のせいですよ?」と棘のある冷笑返して見せのだったエリザヴェータ驚愕すると同時に怒り修道院送りにすべきかとラズモフスキー相談した結果、フョードロヴィチと共にイズマイロフスキー近衛連隊大佐連隊長)として赴任させる事にする。 やがて健康を害しプロイセンとの戦争最中帝国行く末憂いながら崩御する死の直前ラズモフスキー帝位を譲ると発言したが、遺書が見つからず、「うわ言という事処理された。 エカテリーナエリザヴェータ対し内なる反抗心を抱き続けていたが、後年女帝として帝国治め立場になると、かつてのエリザヴェータ寸分違わぬ姿勢事に当たるであったピョートル3世(ピョートル・フョードロヴィチ大公) - アレクサンドル・ヤツェンコ 皇太子にしてエカテリーナの夫。ロマノフ王朝第7代皇帝在位1761年1762年)。 周りの者たちは(ピョートル・)フョードロヴィチ(Пётр Фёдорович)と呼んでいる。 皇子パーヴェル・ペトロヴィチ大公父親とされるが、エカテリーナはフョードロヴィチより先にセルゲイ・ヴァシリエヴィチ・サルトゥイコフ公爵肉体関係結んでおり、真相不明である。 エリザヴェータ女帝の姉・アンナカール・フリードリヒの間に生まれたため、カール・ペーター・ウルリヒのドイツ名を持つ。 お妃候補たちの肖像画を見る中で、「5年前会ったことがあるが、気に入らない。彼女とは結婚しない」と元からエカテリーナ拒否していた。 思慮浅く兵隊人形遊び尊敬するフリードリヒ2世プロイセン軍隊真似事をするのが趣味であるが、一方で演劇好みバイオリン巧みに弾くなど芸術家肌の面も持つ。「20年間、自由を渇望していた」と即位後に告白したように、13歳ロシアに連れて来られ以来、意に沿わない人生を歩まされていた。 エリザヴェータ伴われ行ったペトロパヴロフスク要塞拷問を受ける囚人を見、幽閉されている幼い前皇帝イヴァン6世初めて会う。イヴァン境遇同情し、「壊れているけど、ごめんよ」と兵隊人形1つ与えるのだが、要塞内で目にした事がよほど精神的に堪えたのか、引き上げの際に卒倒するそのように気が優しいところがあり、皇位継承者としては不適格な性格であった。その上ドイツ人であることを誇りとするあまりロシア見下したしなめられようがエリザヴェータを「陛下ではなく叔母さん(тётушка、チョートゥシカ)」と呼び続けるなど、逆にロシア人らしく生きようとし、宮廷馴染もうと努力するエカテリーナとは全く反りが合わない子供作ればそれをエリザヴェータ帝位継承者とし、自分用済みにされてイヴァンのように監獄幽閉されると怖れており、エカテリーナ寝室を共にしようとしない。それでも夫婦として互いに歩み寄ろうという気持ち持っていたが、天然痘罹患して醜い容貌となったことから「みんな俺の死を願っていたんだろう。復讐してやる!」と疑心暗鬼に陥り、エカテリーナとの間にも決定的な溝を作ってしまう。しかし7年後医師から包茎である事を知らされエリザヴェータにより強制的に手術を受けさせられエカテリーナエリザヴェータ差し金でサルトゥイコフ公爵肉体関係を持つと、これまたエリザヴェータ差し金エカテリーナ初めベッド共にする。やがて生まれてくるであろうエカテリーナの子供(パーヴェル)がピョートルとの閨事によって妊娠した、という体裁を整えるためである。 やっとの思いで産んだパーヴェルエリザヴェータ奪われ、「息子取り返して!」と助け求めて縋って来た出産直後エカテリーナを「そんな格好で来るな!」と嫌悪感あらわに冷たくあしらった。自らの保身のためである。さらに、「皇帝即位したら、俺に逆らった者は全員処刑してやる!」と言ってのけた。 パーヴェルには「俺のじゃないと皆が言ってる」と不愉快に思いこそすれ関心を示す事は無かったが、2歳迎えたパーヴェル聖名祝日の日に初めて会うと、父親としての愛情が胸にこみ上げて来、戸惑いながらも優しく遊んでやるのだった。そしてこの時の事はパーヴェル記憶中に深く刻まれる。 その翌年ポーランド公使ポニャトフスキ公爵愛人にしたエカテリーナ修道院送りにしようとしたエリザヴェータからイズマイロフスキー近衛連隊大佐連隊長)に任ぜられ、エカテリーナ伴って赴任せよと命じられるプロイセン贔屓のフョードロヴィチは乗り気ではなく赴任こそしたものの、近衛連隊内でエカテリーナ人望集めるさまを目の当たりにするけだったエリザヴェータが健康を害し動揺広がる中、宰相のアレクセイ・ペトロヴィチ・ベストゥージェフ伯爵らによるクーデター計画発覚した。彼らはフョードロヴィチを幽閉しポーランド公使ポニャトフスキ公爵愛人にしていたエカテリーナ摂政皇帝即位させるかして利用しようとしていたのだ。自身立場危うさからパーヴェル連れて帰国願い出たエカテリーナに「好きにすれば良いが、パーヴェル連れて行くことは許さない俺の子だから」と言ったところ、「あなたの子じゃないわ!」と返され激高立ち去ろうとする彼女に石の胸像投げつけた。それは婚約時代初めて彼女に贈ったプレゼントであった胸像後頭部直撃しエカテリーナ気を失う。この時、エカテリーナポニャトフスキの子アンナ妊娠中であり、「親子共々殺すところだったではないか!」とエリザヴェータから激し叱責を受ける。 やがてエリザヴェータ死の床伏せる人目憚らず大喜びし、早くも皇帝気取りになり横暴な振る舞い始める。即位してピョートル3世となるが、頭脳明晰軍部とも良好な関係を維持していたエカテリーナへの劣等感から寵姫エリザヴェータ・ロマノヴナ・ヴォロンツォヴァ(通称リーザ)を皇后にしようと企てた上、「世界変えてやる」と大言壮語軍部ロシア正教会存在意義否定するような施策打ち出したことで批判浴びる。また、イヴァン釈放して結婚式招待したい、彼とは友人になれるかも知れないし、寛容皇帝として歴史に残るぞ、と発言周囲呆れさせる。 だが、そのリーザとの結婚まであと一歩のところで軍部ロシア正教会支持受けたエカテリーナクーデターロシア語版)を敢行反撃打って出ようとするも、頼みの綱ともなり得た秘密警察個人的な嫌悪から先に自身解体させていたのだった。その秘密警察長官だったシュヴァーロフから「パーヴェル人質にしてはどうか?」と提案されるが、「卑劣に程がある」と拒否オラニエンバウム遊戯要塞逃亡する。しかしそこで護衛に当たる将校たちに「俺は最低の指揮官で最低の皇帝だ」と武装解除命じ解散させる。そして一人残る決意示した侍従をも逃がすのだった誰もいなくなった要塞の庭でリーザ相手に、亡命し子供作り家族幸せに暮らすという儚い夢を語るが、騎馬隊がなだれ込んでくる。「これで終わりか?皇帝として何も残せなかった。恥しか残せない人生だった」と語り、共に死を覚悟したリーザ固く抱き合うその後、夏宮殿内劇場軟禁され、馬に乗ったまま室内侵入してきたオルロフ兄弟によってリーザとも引き離されてしまう。オルロフの言うがままに退位宣言を書かされた後、ひとり舞台に立ち、彼らの前でバイオリンを弾く。そして背後から忍び寄ったアレクセイ・グリゴリエヴィチ・オルロフ大尉によって絞殺される。この時34歳戴冠式行われぬまま、その治世は僅か6ヶ月余りで"幕引き"となった。 パーヴェル・ペトロヴィチ大公(後の皇帝パーヴェル1世) - エゴール・シャラショフ(シーズン13歳時) → パーヴェル・タバコフ ツェサレーヴィチ皇太子)。 エカテリーナ臣下たちからはパーヴェル・ペトロヴィチ(Павел Петрович)または皇太子殿下呼ばれている。 14歳美少年で、唯一の正統皇位継承者。後のロマノフ王朝第9代皇帝在位1796年1801年)。 シメオン母親愛妾のソフィア・ステパノヴナ・チャルトリスカヤ公爵夫人)や帝室待望皇子アレクサンドル母親皇太子妃マリア・フョードロヴナ)の父親後継者としての資質に不満を持つエカテリーナから精神面肉体面の全て渡って厳しく干渉を受け続けたため、エカテリーナ憎みついには拳銃を向ける事件起こす。 公式にはエカテリーナ皇太子ピョートル・フョードロヴィチ大公(後のピョートル3世)との息子だが、エカテリーナ肉体関係持ったセルゲイ・ヴァシリエヴィチ・サルトゥイコフ公爵の子供である可能性も高い。 純真な心を持っているがゆえにエカテリーナ行動悉く反感を抱くのだが、女帝であると同時にロマノフ家家長でもある彼女の圧倒的な権力前にどうすることもできず、常に無力感噛みしめながら成長していく。 幼少期祖母にあたるエリザヴェータ女帝手ずから養育しエカテリーナ即位後は宰相外相のニキータ・イヴァノヴィチ・パーニン伯爵養育係を務める。幼い日の記憶中にある優しかった父を慕い心の中で父を理想化していることがエカテリーナ苛立たせる家庭教師のポローシンからアレクセイ・オルロフ伯爵の手紙を見せられた際、彼が父を殺害した犯人だと確信する。 既に無人となり、荒れ果てていたエリザヴェータ宮殿で偶然父の肖像画と遺品バイオリンを見つけて喜び自室持ち帰っていたが、御前会議最中聞こえたバイオリン音色忌まわしい記憶らせたエカテリーナ見咎められ激しく言い争い結局は取り上げられてしまう。心の中で父に自分無力詫びながら、献身的だった家庭教師のポローシンまで解任したエカテリーナへの怒り鬱屈させる。 また、自分皇帝になればという前提で父の巨大な騎馬像ネヴァ川の畔に建てることを計画しスケッチまで書き上げるのだが、エカテリーナにそのスケッチ取り上げられた上、ピョートルではなく帝都サンクトペテルブルク創建者でもあるピョートル大帝記念碑建立するという壮大な事業すり替えられてしまう。 宮廷から去ろうとしていたポローシンの力になろうと馬車乗せるが、パーニンに見つかってしまう。そしてパーニンが「事態は深刻です。オルロフ伯爵皇帝になろうとしてます。彼の息子アレクセイ)が宮殿引っ越してくれば正当な後継者である皇太子殿下パーヴェル)は押しけられる殿下が今、女帝陛下エカテリーナ)の不興を買う事がどれ程危険な事かわかっているのですか!」とポローシンを責めるのを目の当たりにする驚いて「今の話は本当か?」とパーニン問いかけるが、彼は「殿下皇帝になるために必ず全力尽くしますロシアにとって大切な事です。だから馬鹿な真似はやめて頭を使うのです」とエカテリーナ謝罪するよう厳しく求めのだった異父弟のアレクセイには噂話から悪い印象抱いていたが、実際に会った彼は口のきけない振りをしている聡明な少年で、同行したエカテリーナ付きメイド頭・フョークラには「乳母ではなく侍従必要だ。このことを母上エカテリーナ)に伝えるように」と命じる。そしてお互いに両親愛していないという共通点からたちまち意気投合、「弟が出来て嬉しい」と握手するまた、自らがパーニン忠告されたように絶対に陛下機嫌損ねてならない逆らったところで何も得るものがない」とさっそく兄貴風を吹かせビリヤード教えて一緒に遊ぶなど、アレクセイ出会った事で初め肉親温もりを知る。 室内篭もりがちの生活を心配したエカテリーナは夏を前に科学芸術アカデミー長官・キリル・グリゴリエヴィチ・ラズモフスキー伯爵ロシア語版)の御曹司やんちゃな兄弟ピョートルロシア語版)とアンドレイ友人としてツァールスコエ・セロー にある夏の離宮送り込み、彼らと活動的な夏を過ごさせるのだが、彼らとは後に女性巡ってそれぞれに三角関係となり、アンドレイ宮廷揺るがすスキャンダル引き起こす事になる。 病弱であるが故に侍医のロジャーソンから生殖能力有無疑問視されたため、エカテリーナから奔放な未亡人女官ソフィア・ステパノヴナ・チャルトリスカヤ公爵夫人愛妾として差し向けられる。ソフィア誘惑屈して肉体関係を持つと恋は盲目と言わんばかりに相思相愛の仲になり、セックスでは若さ手伝ってか、疲れ見せずソフィア肉体溺れていった。ソフィアパーヴェル欲望持て余しながら自分罪深さ涙していたが、程なく彼女の妊娠判明する当初ソフィア妊娠知らされず、そのソフィアエカテリーナから「任務終わったのだから」と堕胎命じられていた。しかし、堕胎相談のために訪れた医師ピンクスに「堕胎すればもう二度と妊娠できない体になる」と診断されたこと、早く両親亡くし兄弟もいない孤独な身の上から解放されたいという思い高じエカテリーナの意に逆らってでも産むことを決意するソフィアが産もうとしているパーヴェルの子ロマノフ家血を引く息子であり、自身将来生まれパーヴェル嫡子地位を脅かす存在なるとし堕胎を迫るエカテリーナ厳しく叱責するが、最後にソフィアに「どんな処罰甘んじて受け入れますが、その代わり子供を産ませて下さい!」と泣きつかれたため、パーヴェル即刻別れることを条件に産むことを許される別れを告げるために訪れたソフィアから妊娠告げられ狂喜乱舞し、「生まれてくるのはきっと男の子だ。こうなったからには一刻も早く関係を宣言し結婚しようピョートル大帝先例もある。ピョートル大帝身分の低い女性エカテリーナ1世)と結婚したが、生まれた子(エリザヴェータ)は帝位継いだ。」とプロポーズするが、ソフィアは「私たち国家のことしか頭の中にない陛下エカテリーナ)に利用されただけ。この子を産めば、私たちには未来なんてないのよ!」とエカテリーナ策略で近づいたことを暴露し、「あなたのような子供にこの私が本気になるとでも思った?」と心にも無いむごい言葉パーヴェル突き放してしまう。それならばと、エカテリーナ結婚許可願い出ようとするが、「今は堪え忍ぶことを学ぶべきよ!」とソフィアに諭され、泣く泣く別れることに同意する。それでも、父親になった手前生まれてくる我が子に「大帝」を意味する称号与えることを約束するその後ソフィアエカテリーナから餞別として手厚い退職手当邸宅数人侍女乳母与えられ宮廷去り息子シメオンを産むが、そのシメオンにも一度しか会わせて貰えず、ただ一人心を許せた幼い弟・アレクセイ海外留学理由イギリスへ追放されたことから、エカテリーナへの憎悪はさらに深まっていく。 オスマン帝国との戦争の中で、敬愛する父・ピョートル3世再埋葬式が盛大に行われる事になり、心を高揚させ案を練っていたのだが、知らぬ間に計画中止されていた事を知り激高これまで積もり積もっていたエカテリーナへの怒り遂に爆発し、酒の勢い借りて女に拳銃向けてしまう。衝撃受けたエカテリーナから一切公式行事への出席食事中飲酒禁じられ、それはチェスマの海戦ロシア勝利するまでの1年間続く。やっと出席許可出た祝勝会出征していたラズモフスキー兄弟再会し友情確認し合う。その後ピョートルからソフィア結婚する事を明かされる。 「ソフィア妊娠生殖能力があると分かったからには結婚させて後継者としての自覚持たせれば自分への憎悪も収まるのではないか」と考えたエカテリーナによって、ヘッセン=ダルムシュタット方伯の3人の令嬢見合いをする事になる。末妹ルイーゼを気に入るが、自分と結婚で彼女が苦難の道歩む事になるのを哀れに思いエカテリーナ気に入った長姉ナタリア良いと言う。ところがナタリア結婚前からアンドレイ肉体関係を持つなど放埒な娘で、やがて結婚生活破綻するのだった。元から乗り気ではなかった結婚であったが、この件でもエカテリーナ深く恨む事となる。 ナタリア死後、再びエカテリーナ持ちかけた結婚話では、妻となる女性へ一方的な要求書き連ねた指示書」を作成するなど反発してみせる。エカテリーナナタリアの件で多少学んだのか、パーヴェル自身相手確認しプロイセンシュテッティン行けと言う。その相手ゾフィー知的穏やかな令嬢であり、初対面で話が弾みマリア・フョードロヴナ改名した彼女と再婚する。やがて生まれた皇室待望男児アレクサンドル(後の皇帝アレクサンドル1世)をエカテリーナ奪い取られてしまうが、自らの行い悔やんだエカテリーナが「文字教え時期になるまで」という条件付き赤子パーヴェル夫妻返す我が子抱きしめるマリアを見つめるパーヴェルの目に涙が浮かぶのだった程なくして夫妻ヨーロッパ諸国訪問することになり、一時的にロシア離れるその後、かつて自らが描いたスケッチをもとにエカテリーナ元老院広場に作らせたピョートル大帝騎馬像除幕式が行われることになり、帰国ロシア帝国の礎を築いたピョートル大帝末裔として、ピョートル大帝偉大な生涯思いを馳せるのだった・・・。 ナタリア・アレクセーエヴナ大公妃 - アリーナ・トムニコフ 皇太子パーヴェル最初の妃。ドイツ名ヴィルヘルミナパーヴェル成人と共に結婚したヘッセン=ダルムシュタット方伯令嬢道徳心欠片もない女性であり、見合い為にロシアへ向かう船内早くも迎え遣わされていたアンドレイ・ラズモフスキー性行為に及ぶ。パーヴェルへの罪悪感を口にするアンドレイに、自分処女でないから皇太子妃選ばれる訳が無い、と意に介さず船室一日中行為耽っていたのだが、この放埒大胆不敵な性格エカテリーナ若い頃自分似ている好意的に受け止め自身屈辱的な経験から医師による処女検査免除してしまう。当時エカテリーナ戦場から帰還したポチョムキン結ばれて有頂天になっており、本来の冷徹さを失っていた。 パーヴェルパーヴェルで、自分対すエカテリーナ日頃からの暴君ぶりに加えて相思相愛の仲だった愛妾ソフィアエカテリーナ策略自分の子妊娠し堕胎迫られ一件一個人間としての尊厳すら蹂躙され経験から、結婚相手に関して敢えて意志示さない事で反発心を剥き出しにしていた。そうした背景もあってエカテリーナ気に入られ難なく皇太子妃選ばれるのだが、結婚後は夫パーヴェル存在無視同時に8人の男性肉体関係持ちながら、いつかはエカテリーナに取って代わって女帝となる野望持ち複数大臣フランス国王ルイ16世密かに連絡取り合うなどの根回しをしていた。アンドレイとも関係を続けており、そんな中で彼がナタリア乳母手を出した事が発端となり、陰謀発覚するエカテリーナ正教会ペテルブルク大主教ガブリエル結婚無効申し立て国外追放言い渡すが、動じることなく妊娠を盾に拒否そればかりか、誰の子かと質すエカテリーナに「関係あります?私は未来ロシア皇帝を産むんですよ」と薄笑い浮かべて開き直った。しかし半年後、出産の際に胎児分娩されず体内死亡自身苦しみの中で周囲呪いの言葉吐きながら急逝する。 パーヴェルナタリア愛していなかったものの、妻の死を含めた一連の出来事嫌気差し再婚拒否するのだが、エカテリーナから「ナタリアアンドレイの手紙に結婚生活隅から隅まで書いていた。あなたは笑いものにされていたのよ!」と嘲笑される我慢ならず「全て母上のせいだ!」と怒りぶちまけて口論になる。エカテリーナは「ベッド女性征服出来ない男は情けない!」と、パーヴェル非があるかのように激しく罵るのだったマリア・フョードロヴナ大公妃 - タチアナ・リャリーナ 皇太子パーヴェル再婚相手ドイツ名ゾフィー・ドロテアエカテリーナと同じ城で生まれたことから、似た者同士とさえ言われていた。 ナタリア急死を受け、プロイセン国王フリードリヒ2世推薦によりパーヴェル後妻として迎えられヴュルテンベルク公フリードリヒ2世オイゲン令嬢取り立てて美しくはないが、学問好きの聡明で心あたたかい女性過去一度ナタリアと共にお妃候補上がる当時13歳であり、対象から外されていた。 前妻ナタリア不貞により結婚うんざりしていたパーヴェルは、ゾフィーへの一方的な要求書き連ねた指示書」なるものを作成し、それを手にプロイセンシュテッティンに向かう。 そんなパーヴェル庭園ひと時を過ごすのだが、穏やかで機知に富んだ会話パーヴェルの心を解き初対面にも関わらず心が通じ合うまた、パーヴェル示した指示書」を一読した際、「言葉のつづりに間違いがある」と問題点臆することなく指摘したマリア・フョードロヴナ改名しパーヴェル結婚夫婦仲良く、やがて皇室待望男児アレクサンドル(後の皇帝アレクサンドル1世)を出産する。ところがパーヴェル結婚前から「アレクサンドル」の名を用意し男児誕生を首を長くして待っていたエカテリーナによって生まれたその日のうちに赤ん坊連れ去られてしまう。そればかりかパーヴェルと共に首都から離れたガッチナ宮殿別居させられてしまった。悲しみ怒りのあまり宮殿から姿を消し大きな騒動となるのだが、ペテルブルク郊外のヴィーデンスキー修道院逃げ込んでいるのが見つかり連れ戻される。だが、茫然としているところにエカテリーナ現れ赤ん坊返してくれる。エカテリーナペテルブルク大主教ガブリエルに諭されて自らの苦痛思い出し、「文字教え時期になるまで」という条件付きながら、両親の元で育てる事を許したのだ。涙ぐみながら我が子キスするマリアを見つめるパーヴェルの目にも光るものがあった。程なくして一家仲睦まじくヨーロッパ諸国への旅行へと旅立ちピョートル大帝騎馬像除幕式にも夫婦揃って列席するアレクセイ・グリゴリエヴィチ・オルロフロシア語版) – アレクサンドル・ブラトフ イズマイロフスキー近衛連隊連隊長だったエカテリーナ連隊大尉だったグリゴリー・グリゴリエヴィチ・オルロフとの間に生まれた6歳少年。後にボーブリンスキー伯爵家創始者となる。叔父アレクセイ・グリゴリエヴィチ・オルロフ伯爵(父・グリゴリーの弟)とは同姓同名愛称アリョーシャ誕生に際してエカテリーナ自分で「アレクセイ」と命名したのでそれでいい主張し命名するのは父親権利だからと言ってイヴァン」と命名しようとしたオルロフ睨み合うが、結局はエカテリーナ希望叶ってアレクセイ」と命名される誕生直後に母・エカテリーナクーデターロシア語版)を起こして即位すると一旦はシュクーリンという夫婦預かり宮廷外で育てられていたが、1768年居並ぶ廷臣たちを前にアレクセイ・グリゴリエヴィチ・オルロフ1762年4月11日生まれ父君グリゴリー・グリゴリエヴィチ・オルロフ伯爵閣下母君ロシア女帝陛下エカテリーナ・アレクセーエヴナ様である。これより皇帝一族としての権利与えられロマノフ家一員となる。」と公式に宣言されロマノフ家の血を一滴引いておらず、オルロフ姓を名乗るになったにも関わらずエカテリーナ己が腹を痛め産んだ息子ということで「皇子」として皇族に列せられる肉親愛情知らない孤独な少年で、口がきけない振りをしていたが、異父兄の皇太子パーヴェル・ペトロヴィチ大公(後のパーヴェル1世と共に暮らすことになり、弟として心を開く肖像画描きに来た宮廷画家・ロコトフに「母上嫌いだ母上怒らせるとズメイ・ゴルイニチ(ドラゴン)の餌にされる」と言いエカテリーナ恋しく思うどころか恐れている様子を伺わせた。 父親オルロフにも会った記憶無く、「悪党だ」と言い宮殿に連れて来られた時が初対面であったその際オルロフ振る舞いぶりを見たエカテリーナメイド頭のフョークラに命じてアレクセイパーヴェルに引き会わせる。 そしていきなりオルロフから生殖能力見極めるための下半身検査を受けさせられる侍医ロジャーソンは「こんな幼児意味がない」と拒否するが、オルロフ怒鳴られたため不承不承行いその様子を見ていたエカテリーナアレクセイ抱きしめ、オルロフ横暴謝罪したこうした事情から両親には頑なに心を閉ざし一度も口を利かなかった。 しかし逆に口を利かないからであろうか、腹黒い男として知られる宰相外相パーニンから「私は独りぼっちです。誰も愛さなかった罰なのです。あなたのような息子欲しかった」と孤独な本心明かされるまた、パーヴェルからも「自分人生なんて無いんだ!」と、母・エカテリーナ人生奪い尽されている実情自嘲気味に告白される。 やがて、オルロフエカテリーナ新し愛人となるグリゴリー・アレクサンドロヴィチ・ポチョムキン中尉暴行加えた廉で失寵すると、海外留学名目イギリス追放される事になる。パーニンに諭され、自分から母を愛そうとしなかったからだと気づき、涙を流す。「『ママ愛してる』と僕が言った母上驚いてイギリス行かせる事をやめるんだ」と僅かな望みを語るが、別れの日、エカテリーナ見送りに来るのを出発間際まで待ち続けていたが母は遂に姿を見せなかった。そして「僕が皇帝になったら君を大臣として迎える」と言うパーヴェルに「よく勉強して良い大臣になる」と約束しロシア去って行く。

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