ペテルブルクの皇族たち
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「エカテリーナ (テレビドラマ)」の記事における「ペテルブルクの皇族たち」の解説
エカテリーナ2世(エカテリーナ・アレクセーエヴナ) - マリーナ・アレクサンドロワ ロシア帝国の黄金時代を確立したロマノフ王朝第8代皇帝(在位:1762年〜1796年)。アンハルト=ツェルプスト侯爵家の出身。 皇太子妃時代にはエカテリーナ・アレクセーエヴナ(Екатерина Алексеевна)、即位後は陛下または女帝陛下と呼ばれることが多い。 ドイツ人ゾフィー・アウグステ・フレデリーケ(Sophie Auguste Frederike)として生まれる。ロシア帝国の女帝エリザヴェータ・ペトロヴナの亡き婚約者がゾフィーの親戚だった縁から、皇太子ピョートル・フョードロヴィチの妃に選ばれた。 14歳でロシア入りしたゾフィーは誰よりもロシア通になるべくロシア語を猛勉強し、ロシア正教に改宗して「エカテリーナ・アレクセーエヴナ」 と改名する。そして、16歳でフョードロヴィチと結婚する。 結婚後も哲学や科学、軍事学を学び、後にモスクワ大学を創立することになるミハイル・ロモノーソフとも交流を持った。夫のフョードロヴィチはエリザヴェータ女帝の姉・アンナの息子にあたり、幼くして孤児になるが、子供のいなかった女帝に引き取られて皇太子に擁立されるという経緯があった。これが彼の心に暗い影を落としていた。ゾフィーと同じドイツ生まれで気が合いそうなものだが、実際には女帝を恐れ、ロシアを嫌うあまり兵隊の玩具とバイオリンで気を紛らわせている哀れな青年だった。エカテリーナを女帝の回し者だと決めつけて敵視し、子供など作るつもりがない、と拒否していた。しかしエカテリーナの努力と理解によって、フョードロヴィチが心を開きかけたと思いきや、恐ろしい伝染病・天然痘に襲われた。一命は取り留めたが、顔に醜い痘痕が残った。コンプレックスから再び心を閉ざすフョードロヴィチ。そうこうしているうちに、7年の歳月が過ぎた。 独身のエリザヴェータには血の繋がった後継者はフョードロヴィチしかいなかった。皇位の安泰のためにも早く息子を作ってほしい、と焦っていた。しかしフョードロヴィチは劣等感から女に興味を示さない。そこでとりあえず皇太子妃が子供を産んで「フョードロヴィチの子」ということにすればよい、と安直に考えた。「腹は借り物」と同じ考え方である。 エリザヴェータはエカテリーナに「愛人を持って跡継ぎを産め」とけしかけ、密命を受けたセルゲイ・ヴァシリエヴィチ・サルトゥイコフ公爵に口説かせる。エカテリーナにとっては、ロシアに来る途上に起きた馬車の横転事故で助けてくれた憧れの人でもあったので、あっさりと不倫関係に陥るのだった。 ある晩、すっかり不仲になっていたフョードロヴィチが不意に寝室に現れた。そこには理由があった。エリザヴェータはできれば正当な後継者が欲しかったので、フョードロヴィチに局所手術を施し、夫婦生活を送らなければ廃位する、と脅したのだ。怯えた彼は嫌々ながらも妻の寝室に来たのである。これにはエカテリーナも複雑な心境だった。 やがてエカテリーナは懐妊し、待望の男児パーヴェル・ペトロヴィチ大公(後のパーヴェル1世)を出産する。大喜びするエリザヴェータは「この子が未来のロシア皇帝である!」と叫びながらパーヴェルを連れ去り、エカテリーナには褒美としてネックレスを与えただけで、彼女が手ずから育てることを許そうとはしなかった。直後、役目を終えたサルトゥイコフもハンブルク駐在の大使としてロシアを去ることになり、縋り付くエカテリーナを振り払って立ち去っていく。エカテリーナは絶望のあまり、泣き崩れた。 2年後、宰相(首相)兼外相のアレクセイ・ペトロヴィチ・ベストゥージェフ伯爵の紹介で知り合ったペテルブルク駐在のポーランド公使として赴任してきた年下のスタニスワフ・アウグスト・ポニャトフスキ公爵から稚拙な恋文が届く。その夜、強引に私室に侵入してきた彼とそのまま一夜を過ごし、ポニャトフスキに"私のキュウリさん"という愛称をつけて戯れるのだった。しかし、秘密警察(諜報局)長官アレクサンドル・イヴァノヴィチ・シュヴァーロフ伯爵(英語版、ロシア語版)の手下がその様子をエカテリーナの寝室の隣にある隠し部屋の穴から伺っており、暫くの間見て見ぬふりをしていたエリザヴェータからやがて身を慎むよう忠告される。ポニャトフスキを帰国させた、とも聞かされるが、我が子も最愛のサルトゥイコフも、そして人生すらエリザヴェータに奪い尽くされて不満を募らせていたエカテリーナにとって、不満の捌け口となったポニャトフスキとのセックスは蹂躙された悲痛な現実から逃避するために自ら選んだものであり、その相手と別れされられようが最早痛くも痒くもなく、「全て陛下のせいですよ?」と棘のある微笑みを返して見せるのだが、快楽に身を委ねる中でエカテリーナはポニャトフスキの子・アンナ(ロシア語版、ポーランド語版)を宿していた。 フョードロヴィチとの夫婦仲を何とかしようと考えたエリザヴェータの命令で、夫婦共にイズマイロフスキー近衛連隊に赴任するが、そこでオルロフ家出身のグリゴリー・グリゴリエヴィチ・オルロフ中尉という豪快な将校に出会う。ところが彼はその場で秘密警察に逮捕される。シュヴァーロフと女のことで揉め事となり、彼と大立ち回りを演じた事件が罪に問われたのだった。近衛連隊が動揺をきたしたという理由でベストゥージェフ宰相の力を借りて彼を釈放させた事で、全員が連隊将校のオルロフ家の四兄弟から忠誠を誓われる。 やがてエリザヴェータが病に倒れると、フョードロヴィチが皇帝の座につく事に危機感を持ったベストゥージェフから、幼いパーヴェルを即位させエカテリーナを摂政にするというクーデターの計画を打診される。エリザヴェータによって皇位を剥奪(ロシア語版)され、シュリッセリブルク要塞に幽閉されている前皇帝・イヴァン6世(17歳)と再婚して女帝になるというもう一つのプランも示されるが、いずれにせよフョードロヴィチの殺害は避けられないと聞き、関わることを拒否する。自身の好むと好まざるとに関わらず、重要かつ危険な立場にある事を思い知り、フョードロヴィチに帰国を願い出るが、パーヴェルを置いて行くよう求める彼との話し合いは決裂する。エリザヴェータは持ち直すが、クーデター計画が発覚し、女帝直々に関与を問い質される事態となる。 その後、娘のアンナが生まれ、エリザヴェータから祝福されるが、アンナは誕生から僅か2年で亡くなってしまう。だが悲しんでばかりいられない程、情勢は緊迫しており、病気がちだったエリザヴェータの余命がもう長くないのは誰の目にも明らかだった。そこへ戦場で英雄的な活躍を見せたオルロフが負傷のため一時的に帰還する。その知らせを聞いたエカテリーナはすかさずオルロフと再会し、馬車の中でついに結ばれる。クーデター計画の露見でベストゥージェフ宰相、アプラクシン元帥といった有力な支援者を失い、四面楚歌ともいえる状況の中でオルロフは唯一の頼りになる存在であり、エカテリーナはオルロフとのセックスの際、"あなたの息子が欲しい。力強くて逞しい息子が欲しいの!"と語るほどだった。しかし、その事実を察知したシュヴァーロフがエリザヴェータに報告、エカテリーナが愛人を持つ事を嫌うエリザヴェータの差し金でオルロフが東プロイセン・ケーニヒスベルクの前線へ送られるまでの僅かなひと時をともに過ごすことになる。 エリザヴェータは亡き婚約者・カール・アウグストの幻影を語りながら崩御した。フョードロヴィチが即位して皇帝ピョートル3世となった。この時すでに第三子となるオルロフの子を身籠っていたエカテリーナは皇后となるが、ピョートルの侍従・ブレクドルフからは「皇后陛下」と呼ばれなかった。 皇帝として権力を手にしたピョートルは側近らの意見には一切耳を貸さずに暴走を始め、ロシア国家を破壊するような彼の政策に国内の不満は高まっていた。そんな中、ピョートルから呼び出しを受けたエカテリーナは膨らんだ腹部を隠すためにショールで身を包んで現れた。ピョートルはエカテリーナを「罪深きマダム」と呼び、侍女だったエリザヴェータ・ロマノヴナ・ヴォロンツォヴァ(通称・リーザ)と再婚すると宣言した上で、エカテリーナを露骨に侮辱した。 それから2ヶ月後、エカテリーナはペテルブルク市内で起きた火事にピョートルが釘付けになっている隙 に男児・アレクセイ(ロシア語版)を出産。アレクセイは宮殿外に連れ出され、後にオルロフ家を介してシュクーリンという夫婦に預けられた。翌日、ピョートルがパーヴェルを廃嫡しようとしていると知り、我が子や自分がイヴァンのように一生幽閉される可能性に戦慄し、宮殿を脱出。追手に逮捕されそうになるが、駆けつけたオルロフとその兄弟達が応戦して辛くも危機を免れる。追い詰められたエカテリーナは我が子とロシア国家をピョートルから守るため、立ち上がる決意をする。 クーデター断行を決意した2ヶ月後、帰還を待っていた正規軍が到着。軍部やロシア正教会の支持を得、わずか100名ばかりの将校を従えてクーデター(ロシア語版)を敢行する。逃亡し、退位宣言への署名を強要されたピョートルはオルロフの弟・アレクセイ・グリゴリエヴィチ・オルロフ大尉によって殺害される。また、獄中の元皇帝・イヴァンはエカテリーナから釈放通知を受けるのだが、エリザヴェータの命令を忠実に守り、数日前にエカテリーナからエリザヴェータの命令を引き続き守るよう命じられた看守たちによって殺害される。 こうして、自分の立場を脅かしうる邪魔者を葬り去ったエカテリーナは遂にロシア帝国の玉座と帝冠を射止め、皇帝としての長大な称号を帯びるのであった・・・。 即位後は啓蒙思想による統治を志すが、地方視察で農奴の置かれた過酷な生活ぶりを目の当たりにし、専制政治による改革の必要性を痛感する。そんな中で勃発したオスマン帝国との戦争ではロシア帝国の悲願ともいえる南下政策の実現を優先課題に取り組むことになる。 一方の私生活では大きな問題が起きていた。結婚から7年間、処女のままで過ごしてきた反動からか、処女を捨ててからはセックスに人一倍力を入れており、即位した後もセックスに溺れて快楽を得る傾向が強まっていた。中でも、クーデターの立役者となり、伯爵(グラーフ)の爵位を得ていた愛人グリゴリー・オルロフとの関係は10年近くも続いており、夫のピョートルも既にこの世の人でないことから、けじめをつけるためにオルロフとの結婚と更なる妊娠・出産を熱望していた。 しかし、帝位への野心をひけらかす彼を警戒する外相のニキータ・イヴァノヴィチ・パーニン伯爵ら重臣たちはオルロフとの結婚に強く反対する。そこで次善の策として帝位継承法(ロシア語版)を発動し、後継者としての資質に問題があるパーヴェルを海外留学の名目で国外に追放し、アレクセイを後継者とする宣言を出そうと考えるが、オルロフと結婚してもアレクセイの「私生児」という立場は法律上変えられないとパーニンから忠告される。ならばパーヴェルに代わって後継者となり得る男子を産んでその子を皇帝にしようと、自身の年齢的な制約から一刻も早い結婚を望むのだが、一番信頼を寄せている私設秘書のイヴァン・イヴァノヴィチ・ベツコイ公爵(ロシア語版)も賛同せず、正教会のサンクトペテルブルク大主教・ガブリエルも頑として認めず、八方塞がりの状況に悔し涙を流すのだった。 そのオルロフが国境付近での小規模な戦闘から帰還、久々に熱烈に抱き合ってセックスに興じるが、彼は途中で体調不良を訴え、寝室から出て行ってしまう。その後、寝室から足が遠のいた彼に気を揉み、秘密警察長官・ステパン・イヴァノヴィチ・シェシコフスキー伯爵(ロシア語版)に身辺調査を命じるのだが、実は彼は戦闘で頭部を強打した後遺症の性的不能に苦しめられ、それを悟られまいとエカテリーナと夜を共に過ごす事を避けていたのだ。 同じ頃、戦場から負傷の身でオルロフの書簡をエカテリーナに届けたグリゴリー・アレクサンドロヴィチ・ポチョムキンという若い中尉がエカテリーナの元で看護を受け、回復後も軍服改良事業の監査役に任命されて宮殿に留まっていた。彼に何か心に感ずるものがあり、時折職場を訪れながら彼の女性関係を女官で友人のソフィア・ステパノヴナ・チャルトリスカヤ公爵夫人に探りを入れるなどしていたが、彼が密かに自分に思いを寄せていると知ると、「あなたに会えば私はとても幸せになるの」と素直な気持ちを手紙にしたため、彼と文通を始める。オルロフとの結婚や妊娠を望み、愛人関係を続ける一方で、女性を喜ばせる気の利いた言葉の一つも言わないこの朴訥な将校に心惹かれ始めていたのだった。 ところがオルロフは秘密裏に受けた手術により性的不能の回復と引き換えに生殖能力を失ってしまう。そうとは知らず、地方視察で暫くの間会わなかったオルロフと久しぶりに交わしたセックスで彼の異常なほどの精力に満足し、「なんて素晴らしいのかしら。こんなに気持ちのいいセックスは初めてよ。幸せ過ぎて死にそう。グリゴリー。あなたなしではとても生きていけないわ!(中略)男は疲れるけど女は元気になるわ。セックスには理解できない秘密があるのね」と喜びを語っていたが、それは手術後に起こる一過性の症状だという事実を、直後に届いた身辺調査の報告書と、治療に当たった医師・ピンクスの証言で知ることになる。 オルロフの背信行為に激しい衝撃を受けたエカテリーナは、あれほど望んでいた結婚と嫡子出産への意欲を完全に無くし、アレクセイの肖像画も撤去する。そしてポチョムキンに心が大きく傾きかけた時、突然彼から別れを告げる手紙が届く。ポチョムキンはオルロフ兄弟からリンチを受け、ベツコイの助力で戦場に去ったのだ。しかし突然遠く隔てられていた事で却って心が彼に引き付けられる。心の中でこれ程までにポチョムキンの存在が大きくなっていた事をオルロフはもとより自身も気づいていなかったのである。こうして、長年に渡って関係を続けてきたオルロフとの関係を絶ち切り、アレクセイも海外留学の名目でイギリスに追放する。そして戦場のポチョムキンと手紙を交わし続け、確かな愛を育んでゆく。 後継者問題では、侍医のロジャーソンから病弱なパーヴェルには生殖能力が無いのではと告げられ苦慮した結果、忠実な美貌の女官・ソフィアに「パーヴェルの子を妊娠するかどうか、身をもって確かめよ」という密命を下し、地方への視察旅行の最中にソフィアはパーヴェルを誘惑して彼の愛妾となる。「パーヴェルに子供が出来ないのなら、オルロフを次の皇帝にする」と、オルロフの裏切りを知らずにソフィアに内心を明かしていたが、思春期を迎えたパーヴェルは恋は盲目とばかりにソフィアにのめり込み、たちどころに彼女を妊娠させる。パーヴェルに生殖能力があることと、やがて生まれるであろうパーヴェルの子を後継者に出来ることに安堵したエカテリーナはもはや自ら無理をして嫡子を産むことはあるまいと、嫡子作りをパーヴェルに託してツェサレーヴィチ(皇太子)の称号を与えることにする。そしてソフィアには役目は終わったとして堕胎するよう命じるも、彼女は診察のために訪れた医師のピンクスから「堕胎すればもう二度と子供を産むことができない体になる」と診断されたことや、自身が天涯孤独の身であることを理由にエカテリーナの意に逆らってでも産むことを強く希望した。ソフィアが産もうとしているパーヴェルの子はロマノフ家の血を引く息子であり、自身と将来生まれるパーヴェルの嫡子の地位を脅かす存在になるとして堕胎を迫るエカテリーナは厳しく叱責するが、最後にはソフィアに「どんな処罰も甘んじて受け入れますが、その代わりに子供を産ませて下さい!」と泣きつかれたため、パーヴェルと即刻別れることを条件に出産を許すことにする。パーヴェルは当初、自分の子を宿したソフィアとの結婚も辞さない構えだったが、ソフィアに説得され、我が子に「大帝」を意味する称号を与えることと引き換えに別れることに同意する。ソフィアからは「出産後も宮廷に残りたい」と嘆願されるが、妊娠して退職したことを理由にこれを拒絶。それでも、餞別として手厚い退職手当と邸宅、数人の侍女と乳母を与えて宮廷から送り出すのだった。 後継者問題に解決の目処が立ち、対オスマン戦争の勝利も確実となり、肩に重くのしかかっていた問題が収束に向かう中でポチョムキンをペテルブルクに呼び戻す。そしてフョードロヴィチとの結婚以来の全てを明かし、告白を受け入れたポチョムキンと白夜の中で交わした愛の交歓の中で『魂』を捧げる。しかし、エカテリーナはポチョムキンに情熱を傾けていく一方で冷静な判断力を失い、パーヴェルの最初の結婚相手・ナタリアを見誤らせてしまうが、二番目の妻・マリアはパーヴェルと仲睦まじく、待望の跡継ぎ・アレクサンドルに恵まれる。その赤子に自ら帝王学を施そうとして夫妻から取り上げるが、大主教に「重荷を背負い過ぎだ」と諭され、自身がエリザヴェータから受けた苦痛を思い出して赤子を返してやる。そして帝国を維持するために今まで犯してきた様々な罪を強く意識させられ、ホルモゴルイを訪問する。ホルモゴルイでは新任の修道院長から3日間、囚人の暮らしを体験するよう要求され、神の許しと救いを得るために承諾。獄死したアントン・ウルリヒ公夫妻の墓の前で心からの懺悔をする。 そして白夜の中、ポチョムキンと二人だけでひっそりと結婚式を挙げて夫婦となる。はにかみながら「愛しき妻(Жена)」と呼ぶポチョムキンに抱擁され、密やかな幸福を噛みしめるのだった。 かつてパーニンに「私はただ幸せな家庭が欲しいだけよ」と語っていたエカテリーナはようやく、帝国の発展という夢も共に分かち合えるかけがえのない伴侶を得たのである。 シーズン2では、「パーヴェルは立派な皇帝になれない定めである。」「フランス国王・ルイ16世は”改革”でフランスを破滅させるだろう!」などと、ある種の預言めいた言葉を口にするのだが、それらは後にフランス革命や皇帝となったパーヴェルの失政によって現実のものとなる。 エリザヴェータ女帝(エリザヴェータ・ペトロヴナ) - ユリア・アウグ ロマノフ王朝第6代皇帝(在位:1741年〜1761年)。 初代皇帝・ピョートル1世(大帝)(在位:1682年〜1725年)と第2代皇帝・エカテリーナ1世(在位:1725年〜1727年)の娘。 周りの者たちはエリザヴェータ・ペトロヴナ(Елизавета Петровна)と呼んでいる。 クーデター(ロシア語版)で遠縁にあたるイヴァン6世から皇位を剥奪して即位。結婚前に亡くなった婚約者ホルシュタイン=ゴットルプ家のカール・アウグストが忘れられず、公式には独身のままだった。 後継者がいなかったので、プロイセンに嫁いだ姉の息子で、孤児のピョートル・フョードロヴィチを皇太子として迎えた。そしてカール・アウグストの姪にあたるゾフィー(エカテリーナ)を皇太子妃候補に選び、後に「エカテリーナ・アレクセーエヴナ」のロシア名を与えたが、この「エカテリーナ・アレクセーエヴナ」とは、母・エカテリーナ1世の名前である。 ロシアに到着したゾフィーと宮廷の謁見の間で初めて対面した際、ゾフィーがおぼつかないロシア語で挨拶をすると驚き、ロシア語が話せるのかと問うと彼女は「ロシア語を話せないと靴も直せません」と答え、破顔大笑したエリザヴェータは彼女を気に入る。 32,000着の服を保有していると言い、女性として着道楽な一面も見せる。その際、「毎日違う服を着ても87年7ヶ月と4日はかかる」と即座に計算したエカテリーナに驚嘆する。 寵臣アレクセイ・グリゴリエヴィチ・ラズモフスキー(英語版、ロシア語版)伯爵とは秘密結婚するほど愛し合っていた。 秘密警察長官のアレクサンドル・イヴァノヴィチ・シュヴァーロフ(英語版、ロシア語版)伯爵を使い、エカテリーナをロシアにやって来た当初から厳しく監視していた。エカテリーナの部屋の壁には覗き穴があけてあり、隠し部屋の中で監視人がエカテリーナの会話を逐一記録するという徹底ぶりであった。エカテリーナに随行してロシア入りしていた母親のヨハンナにも、家臣のイヴァン・イヴァノヴィチ・ベツコイ公爵を送り込んで愛人関係を結ばせて監視下に置く。 自らもクーデターにより皇位を簒奪した事から、陰謀に対しては非常に敏感なのであるが、監獄に幽閉している前皇帝・イヴァンについては処刑すべきかどうか、何度か検討したものの、結局は命を奪う事は無かった。 エリザヴェータの悩みは、フョードロヴィチ夫妻が不仲で子供が生まれないことであった。そこで策を講じ、エカテリーナに愛人を持てと仄めかし、セルゲイ・ヴァシリエヴィチ・サルトゥイコフ公爵をけしかける一方、フョードロヴィチには「夫婦生活を送って子供を作らなければ廃位する」と脅して、妻を無理矢理押しつけた。その結果、後に皇帝・パーヴェル1世となる皇子パーヴェル・ペトロヴィチ大公が誕生した。大喜びしたエリザヴェータは「この子が未来のロシア皇帝である!」と叫びながら新生児を連れ去り、エカテリーナに任せることなく自分で育てる気満々だった。千辛万苦の末にパーヴェルを産んだエカテリーナには褒美としてネックレスを与えたが、用済みとなったサルトゥイコフをロシア大使に任命してハンブルクに赴任させた。 その後、ラズモフスキーと秘密裏に結婚し、パーヴェルの即位までの中継ぎとして彼に帝位に即くよう望むが、ラズモフスキーは固辞する。父であるピョートル大帝が皇帝の一存で後継者を指名する権利が認められていた帝位継承法(ロシア語版)を定めたためにこのような事も可能であった。しかしピョートル大帝自身が後継者を指名せずに崩御したため、后妃・エカテリーナが産んだエリザヴェータが即位するまでの16年間に4人の皇帝が即位し、その都度、周囲を巻き込む凄まじい骨肉の争いが起きていたのが実情である。 ある日、シュヴァーロフから「エカテリーナがポーランドのロシア公使・ポニャトフスキ公爵と愛人関係にある」との報告を受け取った。エカテリーナにしてみれば、パーヴェルも恋人も出産祝いのネックレスもエリザヴェータから与えられたものの、ネックレス以外は全て奪われたわけで、悲痛な現実から逃避するために恋愛に溺れる必要があった。その点では兵隊遊びとバイオリンに耽溺するフョードロヴィチと共通していた。すなわち、エリザヴェータは絶対専制君主として、2人の人生を操っていたのである。 しばらくの間は泳がせてみたものの、後にエカテリーナを呼びつけ、ポニャトフスキを帰国させたと申し渡す。だが、エカテリーナはポニャトフスキを国外追放されようがもはや痛くも痒くもない上に、この時既にポニャトフスキとの娘・アンナを妊娠していた。そして、全てを奪ったエリザヴェータに「全て陛下のせいですよ?」と棘のある冷笑を返して見せるのだった。エリザヴェータは驚愕すると同時に怒り、修道院送りにすべきかとラズモフスキーに相談した結果、フョードロヴィチと共にイズマイロフスキー近衛連隊に大佐(連隊長)として赴任させる事にする。 やがて健康を害し、プロイセンとの戦争の最中、帝国の行く末を憂いながら崩御する。死の直前、ラズモフスキーに帝位を譲ると発言したが、遺書が見つからず、「うわ言」という事で処理された。 エカテリーナはエリザヴェータに対し内なる反抗心を抱き続けていたが、後年、女帝として帝国を治める立場になると、かつてのエリザヴェータと寸分違わぬ姿勢で事に当たるのであった。 ピョートル3世(ピョートル・フョードロヴィチ大公) - アレクサンドル・ヤツェンコ 皇太子にしてエカテリーナの夫。ロマノフ王朝第7代皇帝(在位:1761年〜1762年)。 周りの者たちは(ピョートル・)フョードロヴィチ(Пётр Фёдорович)と呼んでいる。 皇子パーヴェル・ペトロヴィチ大公の父親とされるが、エカテリーナはフョードロヴィチより先にセルゲイ・ヴァシリエヴィチ・サルトゥイコフ公爵と肉体関係を結んでおり、真相は不明である。 エリザヴェータ女帝の姉・アンナとカール・フリードリヒの間に生まれたため、カール・ペーター・ウルリヒのドイツ名を持つ。 お妃候補たちの肖像画を見る中で、「5年前に会ったことがあるが、気に入らない。彼女とは結婚しない」と元からエカテリーナを拒否していた。 思慮が浅く、兵隊の人形で遊び、尊敬するフリードリヒ2世のプロイセン式軍隊の真似事をするのが趣味であるが、一方で演劇も好み、バイオリンを巧みに弾くなど芸術家肌の面も持つ。「20年間、自由を渇望していた」と即位後に告白したように、13歳でロシアに連れて来られて以来、意に沿わない人生を歩まされていた。 エリザヴェータに伴われて行ったペトロパヴロフスク要塞で拷問を受ける囚人を見、幽閉されている幼い前皇帝・イヴァン6世に初めて会う。イヴァンの境遇に同情し、「壊れているけど、ごめんよ」と兵隊人形を1つ与えるのだが、要塞内で目にした事がよほど精神的に堪えたのか、引き上げの際に卒倒する。そのように気が優しいところがあり、皇位継承者としては不適格な性格であった。その上、ドイツ人であることを誇りとするあまりロシアを見下し、たしなめられようがエリザヴェータを「陛下」ではなく「叔母さん(тётушка、チョートゥシカ)」と呼び続けるなど、逆にロシア人らしく生きようとし、宮廷に馴染もうと努力するエカテリーナとは全く反りが合わない。 子供を作ればそれをエリザヴェータが帝位継承者とし、自分は用済みにされてイヴァンのように監獄に幽閉されると怖れており、エカテリーナと寝室を共にしようとしない。それでも夫婦として互いに歩み寄ろうという気持ちは持っていたが、天然痘に罹患して醜い容貌となったことから「みんな俺の死を願っていたんだろう。復讐してやる!」と疑心暗鬼に陥り、エカテリーナとの間にも決定的な溝を作ってしまう。しかし7年後、医師から包茎である事を知らされたエリザヴェータにより強制的に手術を受けさせられ、エカテリーナがエリザヴェータの差し金でサルトゥイコフ公爵と肉体関係を持つと、これまたエリザヴェータの差し金でエカテリーナと初めてベッドを共にする。やがて生まれてくるであろうエカテリーナの子供(パーヴェル)がピョートルとの閨事によって妊娠した、という体裁を整えるためである。 やっとの思いで産んだパーヴェルをエリザヴェータに奪われ、「息子を取り返して!」と助けを求めて縋って来た出産直後のエカテリーナを「そんな格好で来るな!」と嫌悪感もあらわに冷たくあしらった。自らの保身のためである。さらに、「皇帝に即位したら、俺に逆らった者は全員処刑してやる!」と言ってのけた。 パーヴェルには「俺の子じゃないと皆が言ってる」と不愉快に思いこそすれ関心を示す事は無かったが、2歳を迎えたパーヴェルに聖名祝日の日に初めて会うと、父親としての愛情が胸にこみ上げて来、戸惑いながらも優しく遊んでやるのだった。そしてこの時の事はパーヴェルの記憶の中に深く刻まれる。 その翌年、ポーランド公使・ポニャトフスキ公爵を愛人にしたエカテリーナを修道院送りにしようとしたエリザヴェータからイズマイロフスキー近衛連隊の大佐(連隊長)に任ぜられ、エカテリーナを伴って赴任せよと命じられる。プロイセン贔屓のフョードロヴィチは乗り気ではなく、赴任こそしたものの、近衛連隊内でエカテリーナが人望を集めるさまを目の当たりにするだけだった。 エリザヴェータが健康を害し、動揺が広がる中、宰相のアレクセイ・ペトロヴィチ・ベストゥージェフ伯爵らによるクーデター計画が発覚した。彼らはフョードロヴィチを幽閉し、ポーランド公使・ポニャトフスキ公爵を愛人にしていたエカテリーナを摂政か皇帝に即位させるかして利用しようとしていたのだ。自身の立場の危うさからパーヴェルを連れての帰国を願い出たエカテリーナに「好きにすれば良いが、パーヴェルを連れて行くことは許さない。俺の子だから」と言ったところ、「あなたの子じゃないわ!」と返され激高、立ち去ろうとする彼女に石の胸像を投げつけた。それは婚約時代に初めて彼女に贈ったプレゼントであった。胸像は後頭部を直撃し、エカテリーナは気を失う。この時、エカテリーナはポニャトフスキとの子・アンナを妊娠中であり、「親子共々殺すところだったではないか!」とエリザヴェータから激しい叱責を受ける。 やがてエリザヴェータが死の床に伏せると人目も憚らず大喜びし、早くも皇帝気取りになり横暴な振る舞いを始める。即位してピョートル3世となるが、頭脳明晰で軍部とも良好な関係を維持していたエカテリーナへの劣等感から寵姫エリザヴェータ・ロマノヴナ・ヴォロンツォヴァ(通称・リーザ)を皇后にしようと企てた上、「世界を変えてやる」と大言壮語、軍部やロシア正教会の存在意義を否定するような施策を打ち出したことで批判を浴びる。また、イヴァンを釈放して結婚式に招待したい、彼とは友人になれるかも知れないし、寛容な皇帝として歴史に残るぞ、と発言、周囲を呆れさせる。 だが、そのリーザとの結婚まであと一歩のところで軍部やロシア正教会の支持を受けたエカテリーナがクーデター(ロシア語版)を敢行。反撃に打って出ようとするも、頼みの綱ともなり得た秘密警察は個人的な嫌悪から先に自身が解体させていたのだった。その秘密警察の長官だったシュヴァーロフから「パーヴェルを人質にしてはどうか?」と提案されるが、「卑劣にも程がある」と拒否、オラニエンバウムの遊戯要塞に逃亡する。しかしそこで護衛に当たる将校たちに「俺は最低の指揮官で最低の皇帝だ」と武装解除を命じ、解散させる。そして一人残る決意を示した侍従をも逃がすのだった。誰もいなくなった要塞の庭でリーザを相手に、亡命し子供を作り家族で幸せに暮らすという儚い夢を語るが、騎馬隊がなだれ込んでくる。「これで終わりか?皇帝として何も残せなかった。恥しか残せない人生だった」と語り、共に死を覚悟したリーザと固く抱き合う。その後、夏宮殿内の劇場に軟禁され、馬に乗ったまま室内に侵入してきたオルロフ兄弟によってリーザとも引き離されてしまう。オルロフの言うがままに退位宣言を書かされた後、ひとり舞台に立ち、彼らの前でバイオリンを弾く。そして背後から忍び寄ったアレクセイ・グリゴリエヴィチ・オルロフ大尉によって絞殺される。この時34歳、戴冠式も行われぬまま、その治世は僅か6ヶ月余りで"幕引き"となった。 パーヴェル・ペトロヴィチ大公(後の皇帝・パーヴェル1世) - エゴール・シャラショフ(シーズン1の3歳時) → パーヴェル・タバコフ ツェサレーヴィチ(皇太子)。 エカテリーナや臣下たちからはパーヴェル・ペトロヴィチ(Павел Петрович)または皇太子殿下と呼ばれている。 14歳の美少年で、唯一の正統な皇位継承者。後のロマノフ王朝第9代皇帝(在位:1796年〜1801年)。 シメオン(母親は愛妾のソフィア・ステパノヴナ・チャルトリスカヤ公爵夫人)や帝室待望の皇子・アレクサンドル(母親は皇太子妃マリア・フョードロヴナ)の父親。 後継者としての資質に不満を持つエカテリーナから精神面・肉体面の全てに渡って厳しく干渉を受け続けたため、エカテリーナを憎み、ついには拳銃を向ける事件を起こす。 公式にはエカテリーナと皇太子ピョートル・フョードロヴィチ大公(後のピョートル3世)との息子だが、エカテリーナと肉体関係を持ったセルゲイ・ヴァシリエヴィチ・サルトゥイコフ公爵との子供である可能性も高い。 純真な心を持っているがゆえにエカテリーナの行動に悉く反感を抱くのだが、女帝であると同時にロマノフ家の家長でもある彼女の圧倒的な権力の前にはどうすることもできず、常に無力感を噛みしめながら成長していく。 幼少期は祖母にあたるエリザヴェータ女帝が手ずから養育し、エカテリーナの即位後は宰相兼外相のニキータ・イヴァノヴィチ・パーニン伯爵が養育係を務める。幼い日の記憶の中にある優しかった父を慕い、心の中で父を理想化していることがエカテリーナを苛立たせる。家庭教師のポローシンからアレクセイ・オルロフ伯爵の手紙を見せられた際、彼が父を殺害した犯人だと確信する。 既に無人となり、荒れ果てていたエリザヴェータの宮殿で偶然父の肖像画と遺品のバイオリンを見つけて喜び、自室に持ち帰っていたが、御前会議の最中に聞こえたバイオリンの音色に忌まわしい記憶を蘇らせたエカテリーナに見咎められて激しく言い争い、結局は取り上げられてしまう。心の中で父に自分の無力を詫びながら、献身的だった家庭教師のポローシンまで解任したエカテリーナへの怒りを鬱屈させる。 また、自分が皇帝になればという前提で父の巨大な騎馬像をネヴァ川の畔に建てることを計画し、スケッチまで書き上げるのだが、エカテリーナにそのスケッチを取り上げられた上、ピョートルではなく、帝都・サンクトペテルブルクの創建者でもあるピョートル大帝の記念碑を建立するという壮大な事業にすり替えられてしまう。 宮廷から去ろうとしていたポローシンの力になろうと馬車に乗せるが、パーニンに見つかってしまう。そしてパーニンが「事態は深刻です。オルロフ伯爵が皇帝になろうとしています。彼の息子(アレクセイ)が宮殿に引っ越してくれば正当な後継者である皇太子殿下(パーヴェル)は押しのけられる。殿下が今、女帝陛下(エカテリーナ)の不興を買う事がどれ程危険な事かわかっているのですか!」とポローシンを責めるのを目の当たりにする。驚いて「今の話は本当か?」とパーニンに問いかけるが、彼は「殿下が皇帝になるために必ず全力を尽くします。ロシアにとって大切な事です。だから馬鹿な真似はやめて頭を使うのです」とエカテリーナに謝罪するよう厳しく求めるのだった。 異父弟のアレクセイには噂話から悪い印象を抱いていたが、実際に会った彼は口のきけない振りをしている聡明な少年で、同行したエカテリーナ付きのメイド頭・フョークラには「乳母ではなく侍従が必要だ。このことを母上(エカテリーナ)に伝えるように」と命じる。そしてお互いに両親を愛していないという共通点からたちまち意気投合、「弟が出来て嬉しい」と握手する。また、自らがパーニンに忠告されたように「絶対に陛下の機嫌を損ねてはならない。逆らったところで何も得るものがない」とさっそく兄貴風を吹かせ、ビリヤードを教えて一緒に遊ぶなど、アレクセイと出会った事で初めて肉親の温もりを知る。 室内に篭もりがちの生活を心配したエカテリーナは夏を前に科学芸術アカデミー長官・キリル・グリゴリエヴィチ・ラズモフスキー伯爵(ロシア語版)の御曹司でやんちゃな兄弟のピョートル(ロシア語版)とアンドレイを友人としてツァールスコエ・セロー にある夏の離宮に送り込み、彼らと活動的な夏を過ごさせるのだが、彼らとは後に女性を巡ってそれぞれに三角関係となり、アンドレイは宮廷を揺るがす大スキャンダルを引き起こす事になる。 病弱であるが故に侍医のロジャーソンから生殖能力の有無を疑問視されたため、エカテリーナから奔放な未亡人の女官ソフィア・ステパノヴナ・チャルトリスカヤ公爵夫人を愛妾として差し向けられる。ソフィアの誘惑に屈して肉体関係を持つと恋は盲目だと言わんばかりに相思相愛の仲になり、セックスでは若さも手伝ってか、疲れも見せず、ソフィアの肉体に溺れていった。ソフィアはパーヴェルの欲望を持て余しながら自分の罪深さに涙していたが、程なく彼女の妊娠が判明する。 当初はソフィアの妊娠を知らされず、そのソフィアもエカテリーナから「任務は終わったのだから」と堕胎を命じられていた。しかし、堕胎の相談のために訪れた医師のピンクスに「堕胎すればもう二度と妊娠できない体になる」と診断されたこと、早くに両親を亡くし、兄弟もいない孤独な身の上から解放されたいという思いが高じ、エカテリーナの意に逆らってでも産むことを決意する。ソフィアが産もうとしているパーヴェルの子はロマノフ家の血を引く息子であり、自身と将来生まれるパーヴェルの嫡子の地位を脅かす存在になるとして堕胎を迫るエカテリーナは厳しく叱責するが、最後にはソフィアに「どんな処罰も甘んじて受け入れますが、その代わりに子供を産ませて下さい!」と泣きつかれたため、パーヴェルと即刻別れることを条件に産むことを許される。 別れを告げるために訪れたソフィアから妊娠を告げられて狂喜乱舞し、「生まれてくるのはきっと男の子だ。こうなったからには一刻も早く関係を宣言し、結婚しよう。ピョートル大帝の先例もある。ピョートル大帝は身分の低い女性(エカテリーナ1世)と結婚したが、生まれた子(エリザヴェータ)は帝位を継いだ。」とプロポーズするが、ソフィアは「私たちは国家のことしか頭の中にない陛下(エカテリーナ)に利用されただけ。この子を産めば、私たちには未来なんてないのよ!」とエカテリーナの策略で近づいたことを暴露し、「あなたのような子供にこの私が本気になるとでも思った?」と心にも無いむごい言葉でパーヴェルを突き放してしまう。それならばと、エカテリーナに結婚の許可を願い出ようとするが、「今は堪え忍ぶことを学ぶべきよ!」とソフィアに諭され、泣く泣く別れることに同意する。それでも、父親になった手前、生まれてくる我が子に「大帝」を意味する称号を与えることを約束する。その後、ソフィアはエカテリーナから餞別として手厚い退職手当と邸宅、数人の侍女と乳母を与えられて宮廷を去り、息子のシメオンを産むが、そのシメオンにも一度しか会わせて貰えず、ただ一人心を許せた幼い弟・アレクセイも海外留学を理由にイギリスへ追放されたことから、エカテリーナへの憎悪はさらに深まっていく。 オスマン帝国との戦争の中で、敬愛する父・ピョートル3世の再埋葬式が盛大に行われる事になり、心を高揚させ案を練っていたのだが、知らぬ間に計画が中止されていた事を知り激高、これまで積もりに積もっていたエカテリーナへの怒りが遂に爆発し、酒の勢いを借りて彼女に拳銃を向けてしまう。衝撃を受けたエカテリーナから一切の公式行事への出席と食事中の飲酒を禁じられ、それはチェスマの海戦でロシアが勝利するまでの1年間続く。やっと出席の許可が出た祝勝会で出征していたラズモフスキー兄弟と再会し、友情を確認し合う。その後、ピョートルからソフィアと結婚する事を明かされる。 「ソフィアの妊娠で生殖能力があると分かったからには結婚させて後継者としての自覚を持たせれば自分への憎悪も収まるのではないか」と考えたエカテリーナによって、ヘッセン=ダルムシュタット方伯の3人の令嬢と見合いをする事になる。末妹のルイーゼを気に入るが、自分との結婚で彼女が苦難の道を歩む事になるのを哀れに思い、エカテリーナが気に入った長姉ナタリアで良いと言う。ところがナタリアは結婚前からアンドレイと肉体関係を持つなど放埒な娘で、やがて結婚生活は破綻するのだった。元から乗り気ではなかった結婚であったが、この件でもエカテリーナを深く恨む事となる。 ナタリアの死後、再びエカテリーナが持ちかけた結婚話では、妻となる女性への一方的な要求を書き連ねた「指示書」を作成するなど反発してみせる。エカテリーナもナタリアの件で多少は学んだのか、パーヴェル自身で相手を確認しにプロイセンのシュテッティンに行けと言う。その相手、ゾフィーは知的で穏やかな令嬢であり、初対面で話が弾み、マリア・フョードロヴナと改名した彼女と再婚する。やがて生まれた皇室待望の男児・アレクサンドル(後の皇帝・アレクサンドル1世)をエカテリーナに奪い取られてしまうが、自らの行いを悔やんだエカテリーナが「文字を教える時期になるまで」という条件付きで赤子をパーヴェル夫妻に返す。我が子を抱きしめるマリアを見つめるパーヴェルの目に涙が浮かぶのだった。程なくして夫妻はヨーロッパ諸国を訪問することになり、一時的にロシアを離れる。 その後、かつて自らが描いたスケッチをもとにエカテリーナが元老院広場に作らせたピョートル大帝の騎馬像の除幕式が行われることになり、帰国。ロシア帝国の礎を築いたピョートル大帝の末裔として、ピョートル大帝の偉大な生涯に思いを馳せるのだった・・・。 ナタリア・アレクセーエヴナ大公妃 - アリーナ・トムニコフ 皇太子・パーヴェルの最初の妃。ドイツ名はヴィルヘルミナ。 パーヴェルの成人と共に結婚したヘッセン=ダルムシュタット方伯令嬢。 道徳心の欠片もない女性であり、見合いの為にロシアへ向かう船内で早くも迎えに遣わされていたアンドレイ・ラズモフスキーと性行為に及ぶ。パーヴェルへの罪悪感を口にするアンドレイに、自分は処女でないから皇太子妃に選ばれる訳が無い、と意に介さず、船室で一日中行為に耽っていたのだが、この放埒で大胆不敵な性格をエカテリーナは若い頃の自分に似ていると好意的に受け止め、自身の屈辱的な経験から医師による処女検査を免除してしまう。当時、エカテリーナは戦場から帰還したポチョムキンと結ばれて有頂天になっており、本来の冷徹さを失っていた。 パーヴェルはパーヴェルで、自分に対するエカテリーナの日頃からの暴君ぶりに加えて、相思相愛の仲だった愛妾のソフィアがエカテリーナの策略で自分の子を妊娠し、堕胎を迫られた一件で一個の人間としての尊厳すら蹂躙された経験から、結婚相手に関しては敢えて意志を示さない事で反発心を剥き出しにしていた。そうした背景もあってエカテリーナに気に入られ、難なく皇太子妃に選ばれるのだが、結婚後は夫パーヴェルの存在を無視、同時に8人の男性と肉体関係を持ちながら、いつかはエカテリーナに取って代わって女帝となる野望を持ち、複数の大臣やフランス国王・ルイ16世 と密かに連絡を取り合うなどの根回しをしていた。アンドレイとも関係を続けており、そんな中で彼がナタリアの乳母に手を出した事が発端となり、陰謀が発覚する。 エカテリーナは正教会のペテルブルク大主教・ガブリエルに結婚の無効を申し立て、国外追放を言い渡すが、動じることなく妊娠を盾に拒否。そればかりか、誰の子かと質すエカテリーナに「関係あります?私は未来のロシア皇帝を産むんですよ」と薄笑いを浮かべて開き直った。しかし半年後、出産の際に胎児が分娩されず体内で死亡、自身も苦しみの中で周囲に呪いの言葉を吐きながら急逝する。 パーヴェルはナタリアを愛していなかったものの、妻の死を含めた一連の出来事で嫌気が差し、再婚を拒否するのだが、エカテリーナから「ナタリアはアンドレイへの手紙に結婚生活の隅から隅まで書いていた。あなたは笑いものにされていたのよ!」と嘲笑されると我慢ならず「全て母上のせいだ!」と怒りをぶちまけて口論になる。エカテリーナは「ベッドで女性を征服出来ない男は情けない!」と、パーヴェルに非があるかのように激しく罵るのだった。 マリア・フョードロヴナ大公妃 - タチアナ・リャリーナ 皇太子・パーヴェルの再婚相手。ドイツ名はゾフィー・ドロテア。 エカテリーナと同じ城で生まれたことから、似た者同士とさえ言われていた。 ナタリアの急死を受け、プロイセン国王・フリードリヒ2世の推薦によりパーヴェルの後妻として迎えられたヴュルテンベルク公フリードリヒ2世オイゲンの令嬢。 取り立てて美しくはないが、学問好きの聡明で心あたたかい女性。過去に一度ナタリアらと共にお妃候補に上がるも当時13歳であり、対象から外されていた。 前妻ナタリアの不貞により結婚にうんざりしていたパーヴェルは、ゾフィーへの一方的な要求を書き連ねた「指示書」なるものを作成し、それを手にプロイセンのシュテッティンに向かう。 そんなパーヴェルと庭園でひと時を過ごすのだが、穏やかで機知に富んだ会話でパーヴェルの心を解き、初対面にも関わらず心が通じ合う。また、パーヴェルが示した「指示書」を一読した際、「言葉のつづりに間違いがある」と問題点を臆することなく指摘した。 マリア・フョードロヴナと改名してパーヴェルと結婚、夫婦仲は良く、やがて皇室待望の男児・アレクサンドル(後の皇帝・アレクサンドル1世)を出産する。ところがパーヴェルの結婚前から「アレクサンドル」の名を用意し、男児の誕生を首を長くして待っていたエカテリーナによって生まれたその日のうちに赤ん坊は連れ去られてしまう。そればかりか、パーヴェルと共に首都から離れたガッチナの宮殿に別居させられてしまった。悲しみと怒りのあまり宮殿から姿を消し、大きな騒動となるのだが、ペテルブルク郊外のヴィーデンスキー修道院に逃げ込んでいるのが見つかり連れ戻される。だが、茫然としているところにエカテリーナが現れて赤ん坊を返してくれる。エカテリーナはペテルブルク大主教のガブリエルに諭されて自らの苦痛を思い出し、「文字を教える時期になるまで」という条件付きながら、両親の元で育てる事を許したのだ。涙ぐみながら我が子にキスするマリアを見つめるパーヴェルの目にも光るものがあった。程なくして一家は仲睦まじくヨーロッパ諸国への旅行へと旅立ち、ピョートル大帝の騎馬像の除幕式にも夫婦揃って列席する。 アレクセイ・グリゴリエヴィチ・オルロフ(ロシア語版) – アレクサンドル・ブラトフ イズマイロフスキー近衛連隊の連隊長だったエカテリーナと連隊の大尉だったグリゴリー・グリゴリエヴィチ・オルロフとの間に生まれた6歳の少年。後にボーブリンスキー伯爵家の創始者となる。叔父のアレクセイ・グリゴリエヴィチ・オルロフ伯爵(父・グリゴリーの弟)とは同姓同名。愛称はアリョーシャ。 誕生に際してエカテリーナは自分で「アレクセイ」と命名したのでそれでいいと主張し、命名するのは父親の権利だからと言って「イヴァン」と命名しようとしたオルロフと睨み合うが、結局はエカテリーナの希望が叶って「アレクセイ」と命名される。 誕生直後に母・エカテリーナがクーデター(ロシア語版)を起こして即位すると一旦はシュクーリンという夫婦が預かり、宮廷外で育てられていたが、1768年、居並ぶ廷臣たちを前に「アレクセイ・グリゴリエヴィチ・オルロフ、1762年4月11日生まれ。父君はグリゴリー・グリゴリエヴィチ・オルロフ伯爵閣下、母君はロシア女帝陛下エカテリーナ・アレクセーエヴナ様である。これより皇帝一族としての権利を与えられ、ロマノフ家の一員となる。」と公式に宣言され、ロマノフ家の血を一滴も引いておらず、オルロフ姓を名乗る事になったにも関わらず、エカテリーナが己が腹を痛めて産んだ息子ということで「皇子」として皇族に列せられる。 肉親の愛情を知らない孤独な少年で、口がきけない振りをしていたが、異父兄の皇太子パーヴェル・ペトロヴィチ大公(後のパーヴェル1世)と共に暮らすことになり、弟として心を開く。 肖像画を描きに来た宮廷画家・ロコトフに「母上は嫌いだ。母上を怒らせるとズメイ・ゴルイニチ(ドラゴン)の餌にされる」と言い、エカテリーナを恋しく思うどころか恐れている様子を伺わせた。 父親のオルロフにも会った記憶が無く、「悪党だ」と言い、宮殿に連れて来られた時が初対面であった。その際のオルロフの振る舞いぶりを見たエカテリーナはメイド頭のフョークラに命じてアレクセイをパーヴェルに引き会わせる。 そしていきなりオルロフから生殖能力を見極めるための下半身の検査を受けさせられる。侍医ロジャーソンは「こんな幼児に意味がない」と拒否するが、オルロフに怒鳴られたため不承不承行い、その様子を見ていたエカテリーナはアレクセイを抱きしめ、オルロフの横暴を謝罪した。こうした事情から両親には頑なに心を閉ざし、一度も口を利かなかった。 しかし逆に口を利かないからであろうか、腹黒い男として知られる宰相兼外相のパーニンから「私は独りぼっちです。誰も愛さなかった罰なのです。あなたのような息子が欲しかった」と孤独な本心を明かされる。また、パーヴェルからも「自分の人生なんて無いんだ!」と、母・エカテリーナに人生を奪い尽されている実情を自嘲気味に告白される。 やがて、オルロフがエカテリーナの新しい愛人となるグリゴリー・アレクサンドロヴィチ・ポチョムキン中尉に暴行を加えた廉で失寵すると、海外留学の名目でイギリスに追放される事になる。パーニンに諭され、自分から母を愛そうとしなかったからだと気づき、涙を流す。「『ママ、愛してる』と僕が言ったら母上は驚いてイギリスに行かせる事をやめるんだ」と僅かな望みを語るが、別れの日、エカテリーナが見送りに来るのを出発間際まで待ち続けていたが母は遂に姿を見せなかった。そして「僕が皇帝になったら君を大臣として迎える」と言うパーヴェルに「よく勉強して良い大臣になる」と約束し、ロシアを去って行く。
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