神社建築
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/29 14:04 UTC 版)
本殿の起源
神社は、古くはヤシロ(社)といい、このヤシロとは本来は「屋代」の意味で、神を祭る仮小屋や祭壇を指した[2]。ヤシロのシロは、穢れを付着させるための身代わりとされるカタシロ(形代)などのシロと同意である[2]。
神の依代である神籬は、最も小さなヤシロといえる[2]。また、広い意味では祭壇や、忌竹や注連縄などで俗界と区切られて聖域とされた祭場全体も含めて、ヤシロ、つまり、一時的な神の仮住まいといいうる[2]。
神の仮住まいに過ぎなかったヤシロは、寺院において仏像を祀る仏教の影響から、御神体を常祭する「神社」へと変貌していった[2]。神社において、最も重要な御神体の鎮座する内陣を備えた建物が「本殿」とされ、御神体を拝むための「拝殿」や、神域を区切る鳥居などの設備が整備されていった[2]。なお、本来の姿から変貌を遂げていった後も、多くの神社では、御神霊と因縁のある霊域(磐座など)で祭りが行われている[2]。
神社建築の成立に影響を与えたと考えられるのが神宮寺の建立である。神宮寺は神社に建てられた寺院のことで、神仏習合の初期段階で登場した。神宮寺の建立により、神社は仏教建築の直接の影響を受けたが、隣接するためにかえって神社建築と寺院建築の差異を求めるようになったと考えられる。
拝殿の起源
拝殿の成立は本殿よりも後である。現在でも伊勢神宮・春日大社・宇佐神宮・松尾大社など拝殿を持たない古社は多い。 拝殿は祭神の祭祀のための施設であるが、本来、神社の祭祀は本殿の正面の露天の祭場で行われていた。本殿は、その起源を祭壇に求められるように、祭祀の対象であって、祭祀を行う場でなかったのである。
祭祀において、神職らは祭場の左右に着座し、そこから中央の祭場に赴いて祭儀を行ったが、祭場が屋内になると、中心の祭場が幣殿となり、神職着座の場が回廊となった。回廊の入口には楼門が建てられた。このように祭祀の形態にあわせて、楼門と回廊と幣殿が建てられたが、これらを持つに至らない小規模な神社は、やがてその機能を圧縮して、ひとつの社殿にその機能を備えさせることにした。これが拝殿である。
建築様式
古典的神社建築(本殿)の類型
古典的な神社建築(本殿建築)は、以下のように分類することができる。
- 柱の下に土台を持つもの
- 心御柱(しんのみはしら)を持つもの
- 内部が2室に分かれるもの
柱の下に土台を持つものは流造・春日造に代表される。柱を地面に直接建てたり、礎石などの基礎を設置したりせずに、社殿の最下部に井桁を組み、その上に柱を建てる。これは社殿を移動させることを前提とした様式で、祭祀のときのみ社殿を設置し、祭祀を行わないときには社殿を設置していなかったという、上古の祭祀方法の名残ではないかと言われている。また、「神籬」(上古の仮設の祭壇)が発展して、常設の社殿となったのではないかといわれる。
流造・春日造のいずれも床下を壁で隠蔽している。これは神社建築一般の特徴でもあるが、社殿と設置された地面とのつながりに神聖性を求めることによる。言い換えると、社殿の神聖性の根源は置かれている場所に求めることができる。すなわち、神体とされる領域や磐座などの上に仮設の祭壇を置いて祀った神籬の形式を受け継いだものではないかということが、ここからも指摘できる。
- 境内社や小祠に用いられる様式で、流造や春日造の階を省略して棚を付けた見世棚造という小型社殿様式があるが、これは省略形というよりはむしろ神社建築の原形に近いともいえるかもしれない。
このように、起源を上古に求めることができ、「柱の下に土台を持つもの」は神社建築の中でも古い形式と考えられる。
心御柱を持つものは神明造と大社造である。この様式の特徴は、心御柱・棟持柱を持ち、掘立柱であることである。心御柱は、社殿の中央にある柱を指すが、建築構造上、意味をなさない柱であり、本来は神の依代であったと考えられる。神明造では社殿本体と完全に分離している。棟持柱は母屋の梁を支える他の柱と違って棟に届く柱のことである。
そして棟持柱を含めて、全ての柱が礎石を使わず地面に穴を掘って建てる掘立柱である(現在の出雲大社は土台の上に建つ)。掘立柱は原始住居以来の建築に使われるものである。
内部が2室に分かれるものは住吉造と八幡造である。どちらも本殿内部に前後2室もっている。住吉造は後室に神座があり、八幡造は前後の室にそれぞれ神座(昼の神座と夜の神座)があるのであって、両者は厳密には区別されるが、もともと1室の本殿が分化して2室になったものではないという意味で共通である。大鳥造や天皇が大嘗祭のときに祭儀を行う大嘗宮もこれに含まれると考えられる。
本殿の建築様式
本殿の建築様式は大きく平入と妻入に分けられ、さらに屋根の形状を以て分類することが多い。それ以上の細部をみると、各神社独特の様式であることが多く、種類が多くなりすぎて、分類の意味をなさなくなる。最古の様式は神明造や、大社造、住吉造といった直線的な形状の屋根を持つものとされるが、現在一般的によく見られる様式は流造で、春日造がこれに次いでおり、いずれも流線的な形状の屋根となっている。
平入形式
- 本殿の様式としては最も多く、全国的にも広く分布し、次のような発展型もある。
- 入母屋造の発展型乃至変形がある。
妻入形式
複合社殿形式
本殿が拝殿などの他の社殿と結合したもので八棟造と総称できるが、以下の様式名で呼ばれるものもある。
複合社殿形式の場合であっても、例えば「流造の本殿を持つ権現造」というように、本殿の建築様式を独立して扱うことになっている。
拝殿の建築様式
拝殿も大きく平入と妻入に2分でき、切妻造か入母屋造が一般的である。
- 平入拝殿
- 棟が横に通っているものである。最も一般的な様式といえる。着座する人々が本殿に対面するようになる。
- 妻入拝殿
- 棟が縦に通っているものである。本殿への通路としての性格を持ち、縦長となる奥の部分は幣殿も兼ねている。拝殿が成立する以前の回廊形式だったころの幣殿が変化したものとも考えられる。
また上とは別に次の形式をとるものもある。
- 割拝殿
- 特異な拝殿
割拝殿 石上神宮摂社出雲建雄神社(国宝)(奈良県天理市)
構造体
神社の構造には歴史的には木を使ったものが多く、最近では鉄筋コンクリート造のものも増えている。関東大震災以前は、現在は重要文化財に指定されている築地本願寺をコンクリートで建築した伊東忠太ですら、「神社は人間の住宅ではなく、神霊の鎮座する場所である」のような思想のもと、神社は永久に木造であり、その精神は変わらないというような主張をしていた。しかし、関東大震災で1,568箇所の神社が罹災し、そのうち神田神社をはじめ約130箇所が焼失し、「神社は火事に遭って簡単に焼け失せてしまっては困る」という考えが台頭してきた。[3][4]
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