エジプト エジプトの概要

エジプト

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2014/04/15 08:35 UTC 版)

エジプト・アラブ共和国
جمهورية مصر العربية
エジプトの国旗 エジプトの国章
国旗 国章
国の標語:なし
国歌我が祖国
エジプトの位置
公用語 アラビア語
首都 カイロ
最大の都市 カイロ
政府
大統領 アドリー・マンスール(暫定)
首相 イブラヒーム・メフレブ(暫定)
面積
総計 1,001,450km229位
水面積率 0.6%
人口
総計(2011年 81,120,000人(???位
人口密度 76人/km2
GDP(自国通貨表示)
合計(2008年 8,965億[1]エジプト・ポンド (£)
GDP(MER
合計(2008年 1,621億[1]ドル(49位
GDP(PPP
合計(2008年 4,426億[1]ドル(28位
1人あたり 5,898[1]ドル
独立
 - 日付
イギリスより
1922年2月28日
通貨 エジプト・ポンド (£)(EGP
時間帯 UTC (+2)(DST:(+3))
ISO 3166-1 EG / EGY
ccTLD .eg
国際電話番号 20

西にリビア、南にスーダン、北東にイスラエルと隣接し、北は地中海、東は紅海に面している。南北に流れるナイル川河谷デルタ地帯(ナイル・デルタ)のほかは、国土の大部分が砂漠である。ナイル河口の東に地中海と紅海を結ぶスエズ運河がある。

国号

正式名称はアラビア語جمهورية مصر العربية (ラテン翻字: Ǧumhūrīyah Miṣr al-ʿarabīyah)。通称は مصر (標準語: Miṣr ミスル、エジプト方言: [mɑsˤɾ] マスル) 。

アラビア語の名称ミスルは、古代からセム語でこの地を指した名称である。なお、セム語の一派であるヘブライ語では、双数形ミスライム (מצרים, ミツライム) となる。

公式の英語表記は Arab Republic of Egypt 。通称 Egypt。形容詞はEgyptian。

日本語の表記はエジプト・アラブ共和国。通称エジプト漢字では、埃及と表記し、と略す。この漢字表記は、漢文がそのまま日本語や中国語などに輸入されたものである。

歴史

古代エジプト

「エジプトはナイルの賜物」という古代ギリシア歴史家ヘロドトスの言葉で有名なように、エジプトは豊かなナイル川デルタに支えられて世界四大文明の一つである古代エジプト文明を発展させてきた。エジプト人は紀元前3000年頃には早くも中央集権国家を形成し、ピラミッド王家の谷ヒエログリフなどを通じて世界的によく知られている高度な文明を発達させた。

アケメネス朝ペルシア

3000年にわたる諸王朝の盛衰の末、紀元前525年アケメネス朝ペルシアに支配された。

ヘレニズム文化

紀元前332年にはアレクサンドロス大王に征服された。その後ギリシア系プトレマイオス朝が成立し、ヘレニズム文化の中心のひとつとして栄えた。

ローマ帝国

プトレマイオス朝は紀元前30年に滅ぼされ、エジプトはローマ帝国属州となりアエギュプトゥスと呼ばれた。ローマ帝国の統治下ではキリスト教が広まり、コプト教会が生まれた。ローマ帝国の分割後は東ローマ帝国に属し、豊かな穀物生産でその繁栄を支えた。

イスラム王朝

7世紀にイスラム化。639年イスラム帝国将軍アムル・イブン・アル=アースによって征服され、ウマイヤ朝およびアッバース朝の一部となった。アッバース朝の支配が衰えると、そのエジプト総督から自立したトゥールーン朝イフシード朝の短い支配を経て、969年に現在のチュニジアで興ったファーティマ朝によって征服された。これ以来、アイユーブ朝マムルーク朝とエジプトを本拠地としてシリア地方まで版図に組み入れたイスラム王朝が500年以上に渡って続く。とくに250年間続いたマムルーク朝のもとで中央アジアカフカスなどアラブ世界の外からやってきたマムルーク(奴隷軍人)による支配体制が確立した。

オスマン帝国

1517年にマムルーク朝を滅ぼしてエジプトを属州としたオスマン帝国のもとでもマムルーク支配は温存された(エジプト・エヤレト英語版)。

ムハンマド・アリー朝

1798年フランスナポレオン・ボナパルトによるエジプト遠征をきっかけにエジプトは近代国家形成の時代を迎える。フランス軍撤退後、混乱を収拾して権力を掌握したのはオスマン帝国が派遣したアルバニア人部隊の隊長としてエジプトにやってきた軍人、ムハンマド・アリーであった。彼は実力によってエジプト総督に就任すると、マムルークを打倒して総督による中央集権化を打ち立て、経済軍事の近代化を進めて、エジプトをオスマン帝国から半ば独立させることに成功し、アルバニア系ムハンマド・アリー家による世襲政権を打ち立てた(ムハンマド・アリー朝)。しかし、当時の世界に勢力を広げたヨーロッパ列強はエジプトの独立を認めず、また、ムハンマド・アリー朝の急速な近代化政策による社会矛盾は結局、エジプトを列強に経済的に従属させることになった。

イギリスの進出

1869年にエジプトはフランスとともにスエズ運河を開通させるが、その財政負担はエジプトの経済的自立に決定的な打撃を与え、イギリスの進出を招いた。1882年アフマド・オラービーが中心となって起きた反英運動(ウラービー革命)もイギリスによって武力鎮圧され、エジプトはイギリスの保護国となる。1914年には、第一次世界大戦によってイギリスがエジプトの名目上の宗主国であるオスマン帝国と開戦したため、エジプトはオスマン帝国の宗主権から切り離された。さらにサアド・ザグルールの逮捕・国外追放によって反英独立運動たる1919年エジプト革命が勃発し、英国より主政の国として独立した。

独立・エジプト王国

大戦後の1922年2月28日エジプト王国が成立し、翌年イギリスはその独立を認めたが、その後もイギリスの間接的な支配体制は続いた。

エジプト王国は立憲君主制を布いて議会を設置し、緩やかな近代化を目指すが、第二次世界大戦前後からパレスチナ問題の深刻化や、1948年から1949年パレスチナ戦争第一次中東戦争)でのイスラエルへの敗北、経済状況の悪化、ムスリム同胞団など政治のイスラム化(イスラム主義)を唱える社会勢力の台頭によって次第に動揺していった。

エジプト共和国

この状況を受けて1952年、軍内部の秘密組織自由将校団クーデターを起こし、国王ファールーク1世を亡命に追い込みムハンマド・アリー朝を打倒(エジプト革命英語版[2])、生後わずか半年のフアード2世を即位させ、自由将校団団長のムハンマド・ナギーブが首相に就任して権力を掌握した。さらに翌年の1953年、国王を廃位し共和政へと移行、ナギーブが首相を兼務したまま初代大統領となり、エジプト共和国が成立した。

ナーセル政権

ガマール・アブドゥル=ナーセル第二次中東戦争に勝利し、スエズ運河を国有化した。ナーセルの下でエジプトは汎アラブ主義の中心となった。

1956年、第2代大統領に就任したガマール・アブドゥル=ナーセルのもとでエジプトは冷戦下での中立外交と汎アラブ主義(アラブ民族主義)を柱とする独自の政策を進め、第三世界アラブ諸国の雄として台頭する。同年にエジプトはスエズ運河国有化を断行し、これによって勃発した第二次中東戦争(スエズ戦争)で政治的に勝利を収めた。1958年にはシリアと連合してアラブ連合共和国を成立させた。しかし1961年にはシリアが連合から脱退し、国家連合としてのアラブ連合共和国はわずか3年で事実上崩壊した。さらに1967年第三次中東戦争は惨敗に終わり、これによってナーセルの権威は求心力を失った。

サーダート政権

1970年に急死したナーセルの後任となったアンワル・アッ=サーダートは、社会主義的経済政策の転換、イスラエルとの融和など、ナーセル体制の切り替えを進めた。1971年には、国家連合崩壊後もエジプトの国号として使用されてきた「アラブ連合共和国」の国号を捨ててエジプト・アラブ共和国に改称した。また、サーダートは、経済の開放などに舵を切る上で、左派に対抗させるべくイスラーム主義勢力を一部容認した。しかし、サーダートは、イスラエルとの和平を実現させたことの反発を買い、1981年イスラム過激派ジハード団によって暗殺された。

ムバーラク政権

アラブの春で失脚するまで30年以上に渡り長期政権を維持したホスニー・ムバーラク

代わって副大統領から大統領に昇格したホスニー・ムバーラクは、対米協調外交を進める一方、イスラム主義運動を厳しく弾圧して国内外の安定化をはかるなど、開発独裁的な政権を20年以上にわたって維持した。ムバーラクが大統領就任と同時に発令した非常事態法は、ムバーラクが追放されるまで30年以上に渡って継続された[3]

90年代には、イスラム集団などが、外国人観光客などを狙ったテロを起こした。1997年にはイスラム集団によるルクソール事件が発生している。1999年にイスラム集団は武装闘争放棄を宣言し、近年、観光客を狙った事件は起こっていない。

エジプト革命

チュニジアジャスミン革命に端を発した近隣諸国の民主化運動がエジプトにおいても波及、2011年1月、30年以上に渡って独裁体制を敷いてきたムバーラク大統領の辞任を求める大規模なデモが発生した。同2月には大統領支持派によるデモも発生して騒乱となり、国内主要都市において大混乱をまねいた。大統領辞任を求める声は日に日に高まり、2月11日、ムバーラクは大統領を辞任し、全権がエジプト軍最高評議会に委譲された。同年12月7日にはカマール・ガンズーリ英語版を暫定首相とする政権が発足した。その後2011年12月から2012年1月にかけて人民議会選挙が、また2012年5月から6月にかけて大統領選挙が実施されムハンマド・ムルシーが当選し、同年6月30日の大統領に就任したが、人民議会は大統領選挙決選投票直前に、選挙法が違憲との理由で裁判所から解散命令を出されており、立法権は軍最高評議会が有することとなった。

ムルシー政権

2012年11月以降、新憲法の制定などをめぐって反政府デモや暴動が頻発した(2012年-13年エジプト抗議運動英語版)。ムルシー政権は、政権への不満が大規模な暴動に発展するにつれて、当初の警察改革を進める代わりに既存の組織を温存する方向に転換。ムハンマド・イブラヒームアラビア語版が内相に就任した2013年1月以降、治安部隊による政治家やデモ隊への攻撃が激化。1月末には当局との衝突でデモ参加者など40人以上が死亡したが、治安部隊への調査や処罰は行われていない[4]。なお、イブラヒーム内相は、国民が望むならば辞任する用意がある、と2月に述べている[5]。ムルシー政権は発足後約1年後の2013年7月3日、軍部によるクーデターによって終焉を迎えた[6]。なお、イブラヒームは、クーデター後に成立したベブラーウィー暫定内閣でも続投している。




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  1. ^ a b c d IMF Data and Statistics 2009年4月27日閲覧([1]
  2. ^ 片山正人「現代アフリカ・クーデター全史」叢文社 2005年 ISBN 4-7947-0523-9 p49
  3. ^ エジプト副大統領が野党代表者らと会談、譲歩示す
  4. ^ 「『アラブの春』の国で繰り返される悪夢」 エリン・カニンガム Newsweekニューズウィーク日本版 2013年3月5日号
  5. ^ “I will leave my position if people want: Egypt's interior minister”. アハラムオンライン. (2013年2月2日). http://english.ahram.org.eg/News/63894.aspx 2013年5月8日閲覧。 
  6. ^ “エジプトのクーデターに至る過程:朝日新聞記事再録”. 朝日新聞. (2013年7月9日). http://middleeast.asahi.com/watch/2013070800008.html 2013年7月13日閲覧。 
  7. ^ 鈴木恵美「エジプト革命以後の新体制形成過程における軍の役割」、『地域研究』第12巻第1号、京都大学地域研究統合情報センター、2012年3月28日、 135-147頁、 ISBN 978-4-8122-1178-6ISSN 1349-50382012年6月17日閲覧。
  8. ^ エジプト・アラブ共和国 基礎データ ”. 各国:地域情勢. 外務省(日本). 2012年6月17日閲覧。
  9. ^ エジプト基礎情報~政治・外交 ”. エジプト情報. 在エジプト日本国大使館 (2011年7月30日). 2012年6月17日閲覧。
  10. ^ 2011年12月現在では、定数498議席のうち、3分の2(332議席)が政党(連合)リストによる比例代表制で、3分の1(166議席)が小選挙区制で選出される
  11. ^ 鈴木恵美. “エジプト”. 中東・イスラーム諸国の民主化. NIHU プログラム・イスラーム地域研究、東京大学拠点. 2012年6月15日閲覧。
  12. ^ エジプト・シャラフ内閣が総辞職表明 デモの混乱で引責 朝日新聞 2011年11月22日
  13. ^ エジプト軍議長「近く挙国一致内閣」とテレビ演説 朝日新聞 2011年11月23日
  14. ^ エジプト軍議長、元首相に組閣要請 選挙管理内閣を想定 朝日新聞 2011年11月25日
  15. ^ [2] 朝日新聞 2012年6月15日
  16. ^ エジプト議会、解散へ 大統領選にも影響か 日テレNEWS24 2012年6月15日
  17. ^ カイロ共同 (2012年6月18日). “エジプト、軍が議会に解散命令 憲法裁判所の判断で”. 47NEWS (共同通信): pp. 6. http://www.47news.jp/CN/201206/CN2012061701001315.html 2012年6月18日閲覧。 
  18. ^ エジプト・アラブ共和国 基礎データ ”. 各国:地域情勢. 外務省(日本). 2012年6月17日閲覧。
  19. ^ エジプト基礎情報~政治・外交 ”. エジプト情報. 在エジプト日本国大使館 (2011年7月30日). 2012年6月17日閲覧。
  20. ^ Egypt”. CIA-The World Factbook. 2012年6月15日閲覧。
  21. ^ Aperçu Historique”. 最高憲法裁判所. 2013年8月27日閲覧。
  22. ^ Current Members of the Court”. 最高憲法裁判所. 2013年8月27日閲覧。
  23. ^ 貫洞欣寛 (2012年6月9日). “エジプト司法が逆襲 ムバラク裁判「判決批判許さん」”. 朝日新聞. http://digital.asahi.com/articles/TKY201206080567.html?ref=comkiji_txt_end 2012年6月15日閲覧。 
  24. ^ 中東要人講演会”. 2012年9月9日閲覧。
  25. ^ Judiciary Authority”. Egypt State Information Service. 2013年8月29日閲覧。
  26. ^ エジプトでイスラーム政党が認可”. [中東研ニュースリポート]. 日本エネルギー経済研究所 中東研究センター (2月21日). 2012年5月19日閲覧。
  27. ^ 『アフリカを知る事典』、平凡社、ISBN 4-582-12623-5 1989年2月6日 初版第1刷  p.58
  28. ^ エジプト:ガザ、出入り自由に 検問所開放、外交転換鮮明に
  29. ^ The Middle East and North Africa 2012 (58th ed.). Routledge. (2011). p. 380. ISBN 978-1-85743-626-6. 
  30. ^ 「朝倉世界地理講座 アフリカⅠ」初版所収「ナイル川の自然形態」春山成子、2007年4月10日(朝倉書店)p198
  31. ^ ミリオーネ全世界事典 第10巻 アフリカⅠ(学習研究社、1980年11月)p206
  32. ^ 2014 Global Cities Index and Emerging Cities Outlook (2014年4月公表)
  33. ^ IMF
  34. ^ The Dairy Star of Egypt 2007年1月23日
  35. ^ a b c d CIA World Factbook "Egypt" 2010年1月31日閲覧。
  36. ^ 諸外国の学校情報(国の詳細情報) 日本国外務省
  37. ^ 福岡県立大学人間社会学部紀要 田中哲也


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