自由民主党 (日本)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/31 04:04 UTC 版)
自由民主党 Liberal Democratic Party | |
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総裁 | 岸田文雄 |
副総裁 | 麻生太郎 |
幹事長 | 茂木敏充 |
参議院議員会長 | 関口昌一 |
成立年月日 | 1955年11月15日[1][2] |
前身政党 |
自由党[注釈 1][2][3][4] 日本民主党[2][3][4] |
本部所在地 |
〒100-8910 東京都千代田区永田町1-11-23北緯35度40分42.6秒 東経139度44分29.1秒 / 北緯35.678500度 東経139.741417度 |
衆議院議席数 |
259 / 465 (56%) |
参議院議席数 |
117 / 248 (47%) |
都道府県議数 |
1,283 / 2,643 (49%) |
市区町村長数 |
3 / 1,739 (0%) |
市区町村議数 |
2,179 / 29,608 (7%) |
党員・党友数 |
1,091,075人 (2023年12月31日現在[6]) |
政治的思想・立場 |
右派[注釈 4][18] 保守主義[B] (国民保守主義[23][24]) (社会保守主義[25][26][27][28]) (財政保守主義[25]) (伝統保守主義[29]) 包括政党[30][31][32][33] ナショナリズム[29] 自由主義[34][35][36][37] 憲法改正[注釈 5][19][40] 経済的自由主義[注釈 6][42][43] 反共主義[19][44][45][46][注釈 7] 国家主義[48] |
機関紙 | 『自由民主[49][50][51]』 |
政党交付金 |
176億4771万8000 円 (2019年7月29日決定[52]) |
党旗 | |
国際組織 |
国際民主同盟 (1983年 - 1997年[53]) |
法人番号 | 4010005002276 |
公式サイト | jimin.jp |
シンボルマーク「明るい太陽のもとで、自由にのびのびと暮らす人びと[54]」 党歌「われら」(作詞 岩谷時子、作曲 山本直純[54]) |
略称・通称は「自民党[20][34][58]」、「自民[59]」。1字表記の際は「自」[59]。
2012年(平成24年)12月以降、公明党と自公連立政権を構成している[60][61][62][63][64]。
注釈
- ^ 2010年代に存在した同名の政党とは無関係。
- ^ 衆議院議長の額賀福志郎を含む
- ^ 参議院議長の尾辻秀久を含む
- ^ 党内には中道右派[A] や、日本会議所属議員を中心とした極右[12][13][14][15]・超国家主義[16][17]とされる勢力も存在する。
- ^ 憲法改正(あるいは自主憲法制定[38])は自民党立党以来の党是であり[39]、2010年の綱領では「日本らしい日本の姿を示し、世界に貢献できる新憲法の制定を目指す」としている[19]。
- ^ 西沢保・池田幸弘によれば、日本政治では純粋な経済的自由主義は見つけにくいという。自由民主党の中には、公共支出やケインズ経済学の重要性を未だ信じるメンバーも、大幅な赤字のためにこの方法を採用したがらないメンバーもおり、経済政策に関して様々な態度がある[41]。
- ^ 地方選では自民党と日本共産党が共闘することがある[47]
- ^ 上州戦争、森奥戦争などの「名物選挙区」も存在した。
- ^ 新党名を自由民主党とすること、次期内閣首班として鳩山が政務を担うこと、緒方が中心となって党務を担うこと、党執行部が日常的な党務を運営すること、重要問題は代行委員の合議によること、代行委員には鳩山・緒方・三木・大野、幹事長には岸、総務会長には石井光次郎、政調会長には水田三喜男が就任すること[75]。
- ^ さらに、残った無所属の小沢貞孝も後に社会党入りしたため、二大政党以外は退潮傾向にあった共産党の1人だけだった。
- ^ 社会党は自民党の半分程度であったが、全議席の1/3を確保して自民党の目指す憲法改正を阻止することには意義があった。以降概ねこの議席比率が維持できたため、「一と二分の一政党制」とも呼ばれた。
- ^ 従来の記録では日本国憲法下では羽田内閣(羽田孜首相)の64日、明治憲法下では東久邇宮内閣(東久邇宮稔彦王首相)の54日。当内閣は発足から投票日までの28日に特別国会召集までを加えた日数になる。
- ^ 細野豪志、平沼正二郎、西野太亮、三反園訓。細野は11月5日、西野は12月7日に自民入党が認められた。平沼は党籍を有しながら公認漏れだったが、11月8日に自民会派入りが認められた。
- ^ 離党した6名のうち後に自民党に復党したのは・西岡武夫(1980年)、河野洋平(1986年)、山口敏夫(同)。新自クを離党したのは小林正巳(1980年)と、参議院議員の有田一寿(1979年8月)。
- ^ ちなみに単独過半数を回復した251人目は北村直人である。
- ^ この例を適用されたのが改革クラブから移籍した松下新平で、当時の総裁だった谷垣禎一に直接面会して了承されている[要出典]。
- ^ もっともかつて“世界一の金持ち政党”といわれた中国国民党本部(野党転落を期に現在は売却)やフランス共産党本部(世界的建築家オスカー・ニーマイヤー設計)など、大規模な党本部施設をもつ政党は少なくない。
- ^ 党則89条の1では「党本部」宛に提出することとなっているが、実務は幹事長が受け付ける。
- ^ この適用例としては2005年に逮捕された中西一善がいる。
- ^ 直近の例としては郵政解散の時の亀井郁夫がいる。亀井はその後、国民新党へ移籍した。
- ^ この例外として上川陽子がいる。
- ^ そのために復党が議題に上らなかった例として郵政解散のときの野呂田芳成がいる。
- ^ また党分裂に積極的に関与したという理由で新党の最高幹部が除名される例もあり、最近では旧国民新党代表を経験した亀井静香や綿貫民輔、旧たちあがれ日本で共同代表を務めた与謝野馨、新党改革元代表で第19代東京都知事の舛添要一らがいる。
- ^ 例外として渡辺孝一は比例名簿上位登載を連続4回。
- ^ この例に静岡5区で4回連続小選挙区敗退した吉川赳がいる。吉川は1回目と4回目が比例復活当選、2回目は復活できなかったが、3回目は選挙後1年半近く経ってから繰り上げで比例復活した。詳細は「吉川赳#来歴」を参照
- ^ この例に埼玉5区から4回連続、合計5回比例復活した牧原秀樹がいる。牧原は立憲民主党初代党首の枝野幸男と戦っている。
- ^ この例に静岡6区から3回連続比例復活した勝俣孝明がいる。
- ^ 森田健作は2003年の総選挙で中西一善に地盤を譲った後、千葉県知事選挙に立候補するまで「東京都衆議院選挙区第二支部長」であった。「森田健作#衆議院議員」も参照
- ^ この例に静岡5区で旧希望の党から鞍替えした細野豪志がいる。細野は第49回衆議院総選挙で当選後、入党を認められた。詳細は「細野豪志#自由民主党入党以後」を参照
- ^ a b c d e 道徳再武装運動会員
- ^ a b c d アメリカ対日協議会関係者
- ^ a b 同一閨閥に属する大久保利通・牧野伸顕と並び、従一位に叙されている。
- ^ これが為、アジア・太平洋地域に集団安全保障体制は存在しない。[要検証 ]
- ^ 総務省HP。以下端数は切り捨て。
- ^ 電通出身の自民党"世襲議員"は近年であれば、高村正大、平井卓也、中山泰秀などがいる。
出典
- 自由民主党 (日本)のページへのリンク