アントニオ猪木 エピソード

アントニオ猪木

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/27 18:22 UTC 版)

エピソード

プロレス

  • 日プロ入門当初、ジャイアント馬場付き人を経験せずにすぐにアメリカ遠征に出され、デビュー前から給料も出ていたという完全に特別扱いだったが、猪木はその全く正反対で、力道山からはまるで目の仇のように厳しく育てられた。例えば、力道山にリングシューズを履かせる際、紐の掛け違いでも殴られたり蹴飛ばされたりしたほどであった。しばしば公衆の面前で殴られて恥をかかされた経験や日常的に「あご」「こじき野郎」と罵られた事実も後年に伝わっている[95]。それでも力道山が死去する前日に参加していた宴席に呼び出された際、元横綱・前田山(当時既に引退して年寄・高砂となっていた)が猪木の飲みっぷりを見て器の大きさを評したその横で力道山が嬉しそうな顔で頷いた姿を見て「自分への期待が初めて分かった。あの顔を思い出すと、それまでの恨みがすべて晴れた」と感じたといい、「オレは勝手に、あの時の師匠の顔は『今後のプロレス界を頼んだぞ』という遺言というか、メッセージだったと受け止めている」とまで受け止めるようになった[96]
  • 自身が力道山から理不尽な扱いを受けていたことから、東京プロレスを旗揚げした時にはレスラーが目下の人間をいじめるようなことは絶対にさせないと誓った。東京プロレス時代、給料の少なさを人のせいにして新間寿をリング上で袋叩きにしてやろうと企てた若手一派を諌めたこともある[97]
  • 過去にテレビ番組「とんねるずのハンマープライス」内で素人と対戦したり、力道山メモリアル内で滝沢秀明と対戦している。なお「ハンマープライス」で猪木との試合権を購入したのは諸富祥彦明治大学文学部教授である(リングネームは「ゾンビー諸富」)。
  • 「延髄斬り」は海外マットでもenzuigiriと呼称され、名詞として定着している。
  • 猪木は1961年5月から1963年10月まで馬場と16回対戦したが、16戦全敗で一度も勝てなかった。
  • 袂を分かってからジャイアント馬場を執拗に敵視し挑発してきたが、私生活ではホテル(キャピトル東急など)で馬場に会った際、「どーもどーも」と笑顔で握手に行き食事に勝手に同席した上、会計を馬場にまかせて去っていったなどの逸話が残されており、公私は別にしていた。渕正信は、1979年の「夢のオールスター戦」の控室で、両者がゴルフの話題で談笑していたことを証言している[98]。プライベートでは「馬場さん」「寛ちゃん」と呼び合う仲であった。馬場も挑発には乗らなかったが(そもそも馬場は「猪木をライバルと思ったことはない」と生涯語っていた)、新日本のNWA加盟に対して妨害工作を行うなど、内心ではかなり猪木を意識していたと考えられる。また、猪木が自らのタニマチであった佐川清を馬場に紹介し、佐川宅を二人で訪れて統一コミッション設立に向けた計画を話し合うなど、利害が一致する場合は両者は積極的なビジネス関係を結んでいた[99]
  • 猪木のトレードマークは、「ストロングスタイル」を表す黒のショートタイツであったが、日本プロレス時代にはオレンジ、黄色、赤、グリーンのショートタイツを着用していたこともある。新日本プロレス時代にも茶色、1975年にはウイルス性関節炎で休場していた後の復帰戦で師:力道山と同じ黒のロングタイツを着用して試合を行ったことが1度だけあり、この時のロングタイツはドン荒川のものを借りたという。
  • 猪木のもう一つのトレードマークに「赤いタオル」がある。これは現役時代、リングガウンを着る際に赤いタオルを首に巻いていたことによるもの[100]。その名残か、プロレスを引退した後の猪木は首に赤いマフラー(ストール)を巻いて行動することが多く、すっかりおなじみのスタイルになっている[101]
  • 成田空港で渡航前後に記者会見を行い、今後の自分の動向や、プロレス・格闘技界に意見を言う「成田会見」が定番である。
  • 力道山は、角界と関係修復を図る際、『猪木を一度大相撲に入門させ、十両になったらプロレスに復帰させる』という計画を持っていたが、猪木自身はこのことを知らなかった。
  • ミスター高橋によると、本当に猪木がリング上で失神したのは、1986年10月3日に後楽園ホールで行われたスティーブ・ウィリアムス戦だけであるとのこと[102]

アゴ

その特徴的な尖ったアゴは猪木を猪木たらしめており、コンプレックスでしかなかったそのアゴをやがては武器にまで昇華させた。藤原喜明は「スリーパーをされると尖ったアゴが肩に食い込み非常に痛かった」と語っている。モハメド・アリとの対戦前の記者会見で、アリから「ペリカン野郎」とそのアゴをバカにされるが、猪木は「オレのアゴは尖っているからそれだけ強い」と、自分のアゴをアピールした。金的と並び鍛えようのない急所である喉元をガードしている、という意味でも武器であることは、本人も認めている。

また、アメリカでタッグを組んだことがあるヒロ・マツダは、「猪木のアゴはジャーマン・スープレックスの際に相手の背中に引っ掛かって邪魔になるから、綺麗なジャーマン・スープレックスにはならない」と語ったことがある。

かつて前妻の倍賞美津子がテレビ朝日徹子の部屋」に出演した際に、猪木の顎の深さを図ろうと、寝ている間に口を開けて、中指と薬指の2本を入れてみたら全部入ってしまった、と語っている。

猪木信者

  • 力道山も馬場も、その支持者は「ファン」であるが猪木のファンは「猪木信者」である。猪木信者の代表的な人物は春一番桑田佳祐桜井和寿和田竜二石橋貴明岡野雅行など多数に上る。信者は猪木のことを「会長」または「先生」と呼ぶのが特徴。森岡隆三は、サッカーアジア杯で優勝した際に「1! 2! 3! ダァ〜!」を行っていたが、その姿を見た彼の妻に「今度猪木のマネをしたら、離婚する」とまで言われたという。和田はテイエムオペラオー宝塚記念を勝った時には「ダァ〜!」(1! 2! 3!は無し)を、同年の有馬記念では「1! 2! 3! ダァ〜!」を行った。桑田佳祐は著書で「プロレスラーで一番イイ男はアントニオ猪木。プロ野球で一番イイ男は長嶋茂雄。怪獣ならやっぱりゴジラ」といった発言をしており[103]サザンオールスターズのライブの際、ライブ終了後に「1! 2! 3!ダァ〜!」をやるのがかつてのお約束であった。また、ダァ〜!ばかりか桑田はライブが佳境を迎え盛り上がると、何度となくアゴを突き出しファイティングポーズを取っていた。
  • 全日本プロレス中継の担当だった倉持隆夫アナウンサーも、日本テレビ退社後に、実は猪木信者であることをカミングアウトした。
  • 竹内睦泰は『これだけは知っておきたい 世界の宗教 知識と謎 80』において、「イノキイズム」を「わが国において、宗教を超え、もっとも信仰を集めている思想」と評価している。

闘魂ビンタ

  • 国会議員当時の1990年(平成2年)5月16日、早稲田予備校での講演(題目「五月病に卍固め」)で、予備校生のパンチを腹部に受ける余興を行った。その中の予備校生一人は、実は少林寺拳法の有段者であり、力を込めて殴った。この不意打ちに準備できなかった猪木は反射的に予備校生にビンタを打ってしまった。予備校生は猪木ファンであり、ビンタを受けた直後に「ありがとうございました」と一礼した。この様子は、テレビカメラにより録画されており、全国に流れた。その後、縁起が良いと東大受験生が受験前に猪木にビンタをお願いし、全員合格を果たした。このことから、縁起ものの『闘魂ビンタ』が生まれた。その後も有名になり、女性の有名人までもテレビ番組中に闘魂ビンタ(近年は「闘魂注入」と表されるケースが多い)をねだるまでになっているが、2006年(平成18年)のテレビ番組で語ったところによると、最近は闘魂ビンタをあまりやりたくないとのこと。また、国際線のスチュワーデスから「闘魂注入ビンタしてください」と頼まれ、飛行機の中でしたと猪木自身もインタビューで語っていた[104]。一時期若い女性ファンからビンタでは無くキスして欲しいとせがまれ、その後他の女性達も次々と並びだて、キスをせがむ現象が起き、それを「闘魂注入キス」と呼ばれていた。
  • なお試合以外で一般人に初めてビンタを見舞った相手は当時テレビ朝日アナウンサーの佐々木正洋である。1990年2月10日東京ドーム大会において、アントニオ猪木&坂口征二vs橋本真也&蝶野正洋戦の試合前の控室で、『ワールドプロレスリング』のリポーター担当として「もし負けるということがあると、これは『勝負は時の運』という言葉で済まないことになりますが」と質問した佐々木に対して激怒し、「出る前に負けること考えるバカいるかよ!」と言った後にビンタを見舞ったのが最初であると言われている。

その他

  • 新日本プロレスの社長を務めていたある頃まで、藤原喜明に「社長は自閉症」と陰で揶揄されるほど寡黙で何を考えているか分からない暗い性格であったが、自己啓発セミナーに通ったのをきっかけに明るく社交的になった[105]
  • 猪木は1967年に日本プロレスに復帰した直後に、東京都世田谷区に在った歌手の畠山みどりの邸宅を購入、1972年に新日本プロレスを旗揚げした際にはこの世田谷の猪木邸を新日本プロレスの道場兼合宿所に大改造した[106]
  • 20年ほど前、テレビ番組にて司会者から身長を聞かれ、「昔は189位あったんですけど、今はちょっと縮んで186位」と答えている。公称身長は191cm。なお、中学校に入学した時点で身長は既に180cmあったという。2013年6月にインタビューにて、「身長、体重は変わりましたか?」と質問され、「縮みましたね―。(現役当時は)189cm位だったんですよ。今はどうでしょうか?182がぎりぎりじゃないですかね。骨と骨の間のクッションが全部縮んでますからね。膝も全部……」と答えている。
  • 1986年(昭和61年)にアントニオ猪木と倍賞美津子の娘である猪木寛子がミュージカル『アニー』のアニー役で主演を務めており、ダブル主役の片割れは山尾志桜里。現在、猪木寛子は、猪木が運営していたインターナショナルスクールの生徒だった新日本プロレス前社長のサイモン・ケリー猪木の妻である。
  • よく大量の氷を入れた水風呂に入る。のちに猪木自身が語ったところによるとこれは「糖尿病で血糖値が上がった際、氷風呂に入り全身の筋肉をガチガチと痙攣させ血糖を消費させるため」だったらしい。医師は「とんでもないことだ」と驚愕し、「普通の人間は真似してはいけない」と語っている。
  • 「愛読書は朝日新聞」と語っている。
  • ある日、古舘伊知郎から1万円を借りたがそのことを忘れてしまった。当時若手だった古舘にとって1万円は大金であったが、相手は大スターであり、なかなか言うに言えず困っていた。ところがある日、猪木は急にそのことを思い出し、「いや〜、ごめんごめん」と30倍にして返した。
  • 「1! 2! 3! ダー!」は商標登録されている(登録商標としての表記は「1・2・3・ダァーッ」)。この登録商標を使ったラーメンが「1・2・3・ダァーッ麺」という名で発売されている。ちなみに猪木の「1! 2! 3! ダー!」が商標登録されていることは2004年(平成16年)3月3日のフジテレビの『トリビアの泉』で紹介された。なお、「ボンバイエ」、「猪木イズム」、「闘魂」も商標登録されている。
  • キューバパラオにアントニオ猪木の名前がつけられた「猪木アイランド」と呼ばれる無人島を所有している。2島ともキューバのフィデル・カストロから贈られたもの。元の島名からイソラ・アミーゴ・デ・イノキ(友人猪木島)と改名され、猪木は休暇の際に利用しているという。キューバ本島からかなり離れたカリブ海に浮かぶその島は、まわりを珊瑚礁に囲まれた平坦な島で、海面が上昇すれば海に沈んでしまいそうな島である。島の周りは白砂のビーチで海水は透きとおり美しく、背の低い木、草がはえている中にイグアナがいる。
  • 渡米時代アメリカ人の女性リンダと結婚し1児をもうけるが(誰が)死亡している。その後、倍賞美津子と1億円の結婚式を挙げて当時の話題になった。離婚後、22歳程離れた妻と3度目の結婚、離婚。その後、16歳年下の妻と4度目の結婚をした[107]。4人目の妻は猪木の肖像権、商標権、著作権管理をするマネジメント会社の副社長を務めていたが、2019年8月に死別している[108]
  • 1984年(昭和59年)発表(1983年(昭和58年)度)のいわゆる長者番付でプロスポーツ部門で1位(納税額8,268万円)になる
  • 圓鍔勝三が熱心なプロレスファンだったことが縁で空襲で焼失した池上本門寺東京都大田区、力道山の墓所が在る寺である)の仁王像再建の際、モデルを依頼され快諾。数十枚の写真撮影を行いこれをもとに仁王像が作られた。仁王像は近年修復され、本殿に安置されている。
  • ホームレスの人たちに食べ物を配るなどしてボランティア活動も積極的に行っている。自身も「俺はアメリカにしか家がないから日本ではホテル住まいだ。実質、日本ではホームレスだな」と語っている。年末になると炊き出しを自ら行い、9回目となる2009年(平成21年)では新宿の都庁前で行い2000人が集合、猪木のモノマネをするアントニオ小猪木らも参加し手伝っている。
  • 好物は納豆。オランダの柔道家ウィレム・ルスカとの異種格闘技戦の際、「私はチーズを食べているから強い」とするルスカに対し「俺は納豆を食べて強くなった」と発言したところ、納豆協会から表彰された。最低でも100回以上はコネ回し(アミノ酸やコラーゲンが出るから)、醤油ではなくフラックスオイルをかけて食べるという哲学がある(『闘魂レシピ』より)。他には函館漁港に水揚げされたイカを好む。
  • 「最後の晩餐」は、ふぐとブラジリアン・コーヒーを用意して欲しいと言う(『闘魂レシピ』より)
  • 39歳の時、糖尿病で血糖値が一時596にまでなったが、自然治癒で血糖値180まで下げ44日後にはカムバック戦を行った。インスリン注射の力で治すのは自分の哲学に反すると言っていた。その間の主食は主にキャベツであった(どんぶりにキャベツの千切りを平らげていた)。
  • 1970年12月20日(現地時間)、猪木は渡航先のブラジルの密林でに噛まれるというアクシデントに遭っている。この時期、猪木はトレーニングと『アントニオ猪木、ブラジルの秘境を行く』と銘打たれた映画撮影のために渡航していた。猪木らはブラジル空軍や陸軍などの協力[109] を得て、ボリビア国境に近い密林に入っていたが、猪木は猛毒を持つハララカ(ジャララカ)に左足の付近を噛みつかれた。幸いにも、軍隊が血清を携行していたことや、ヘリコプターなどでサンパウロ市内の病院に迅速に搬送されたことで、猪木は九死に一生を得た。その後、驚異的な回復力で同月23日には退院し、同月30日には日本へ帰国。翌1971年1月4日のシリーズ開幕戦から予定通り、出場している[110]
  • 2度目の参議院議員となった後の2015年2月6日、参院決算委員会で質問に立った際、安倍晋三首相の「元気ぶり」について言及し「私も健康には気をつけているが、首相がなぜ『元気なのかなあ』と私なりに分析をしたんです。国会答弁で立ったり座ったりを繰り返すから、首相も鍛えられているのではないかなと。私も若いころは師匠の力道山に屈伸運動を1000回、2000回とやらされました」と発言した[111]
  • 政界引退に前後して「息苦しさを感じるようになり、階段の上り下りに息切れするよう」になったため、2019年秋に診察を受けたところ「100万人に数人」の特定疾患とされる心アミロイドーシスに罹患していることが判明している[112]。 その後、2021年11月27日放送のNHK BSプレミアム『燃える闘魂 ラストスタンド 〜アントニオ猪木 病床からのメッセージ〜』にて、正式な病名は心アミロイドーシスではなく「全身性トランスサイレチンアミロイドーシス」だと公表した[38]

  1. ^ a b 2013年(平成25年)7月10日参議院比例代表選出議員選挙選挙長告示第1号「平成二十五年七月二十一日執行の参議院比例代表選出議員の選挙において、政党その他の政治団体から参議院名簿の届出があった件」
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  8. ^ 長兄は同行せず。祖父は渡航中に船上で毒性のある未熟なバナナを食べて死去。
  9. ^ なお陸上部の前にバスケットボール部に入っていた。ただし「うまくないから」という理由で退部。
  10. ^ 『Gスピリッツ Vol.16』P64「カンジ・イノキのアメリカ武者修行」(2010年、辰巳出版ISBN 4777808017
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  12. ^ ジャイアント馬場一代記漫画「ジャイアント台風」(作:梶原一騎、画:辻なおき)の作中で馬場が「後にアントニオ・ロッカにちなんで、猪木寛至くんに「アントニオ」というリングネームをつけた」と語る場面がある[要出典]
  13. ^ a b NWA World Tag Team Title [E. Texas]”. Wrestling-Titles.com. 2015年4月1日閲覧。
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  17. ^ a b 『Gスピリッツ Vol.16』P60-61「カンジ・イノキのアメリカ武者修行」(2010年、辰巳出版、ISBN 4777808017
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  21. ^ 試合前に長州力の不意打ちのラリアットをくらいピンフォール負けするなど、非常に苦しいトーナメントであった。
  22. ^ a b 猪木は一休の言葉として紹介したが、実際には、文言に多少の相違はあるものの、もとは清沢哲夫の「道」という詩であったと見られる。[1]
  23. ^ このスカイダイビングに猪木は10億円の保険を掛けていた。
  24. ^ モハメド・アリの娘や猪木の娘(サイモン猪木の妻)などが参戦を表明していた。
  25. ^ 日系アメリカ人では過去にミスター・フジが殿堂入りしている。
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  27. ^ http://www.sanspo.com/geino/news/20121120/sot12112020380001-n1.html
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  30. ^ 「整理される訳にはいきません」アントニオ猪木氏から見放されたNEWが開幕戦で存続求める署名活動 - スポーツ報知・2017年6月2日
  31. ^ 猪木氏の「整理発言」で大ピンチ IGFは再び存続を訴えたが… - 東京スポーツ・2017年6月7日
  32. ^ アントニオ猪木氏設立のIGF 猪木夫人に返金訴訟 - 日刊スポーツ・2017年6月28日
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  35. ^ ジャイアント馬場没後20年追善興行に猪木、初代タイガー、新間寿、坂口征二、ハンセンらが集結!76歳のマスカラスが空を舞い勝利!新日本vs全日本の全面対抗戦は全日本に軍配?!” (日本語). バトル・ニュース (2019年2月20日). 2019年2月20日閲覧。
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  107. ^ 4度目の結婚も発覚! アントニオ猪木や川越シェフ…実はバツ2以上の芸能人4人!
  108. ^ 猪木妻死去も遺言守り仕事のスケジュール変更せず - 日刊スポーツ 2019年8月28日
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  112. ^ 100万人に数人の難病…アントニオ猪木が語る「闘って死にたい」 - 女性自身 2020年10月19日
  113. ^ アントニオ猪木、有馬温泉で殺人事件に巻き”. ニュースウォーカー (2016年5月19日). 2016年5月25日閲覧。






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