メイ・ヤング
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/05 14:33 UTC 版)
メイ・ヤング | |
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プロフィール | |
リングネーム | メイ・ヤング ザ・クイーン ザ・グレート・メイ・ヤング |
誕生日 | 1923年3月12日 |
死亡日 | 2014年1月14日(90歳没) |
出身地 | ![]() オクラホマ州サンドスプリングズ |
スポーツ歴 | レスリング ソフトボール |
デビュー | 1939年8月20日 |
ジョーニー・メイ・ヤング(Johnnie Mae Young、1923年3月12日 - 2014年1月14日[1])は、主にWWEなどで活躍したアメリカ合衆国の女子プロレスラー。
1939年にデビューして以来、同年代のファビュラス・ムーラとともに長きにわたり活躍を続け、2008年にはWWE殿堂入りを果たす。ムーラ亡き後もWWEで元気な姿を見せるなどファンを楽しませていた。
来歴
少女期にアマチュアレスリングの選手として男子に混じって活躍。一方でソフトボール選手としても全国チャンピオンに輝いた。
高校在学中の1939年にプロレスラーデビュー。ミルドレッド・バークに挑んだ。
1954年、バークとともに来日。蔵前国技館で日本初[2]の女子プロレス興行を開いた。
1956年、NWA世界女子王座を懸けたバトルロイヤルに出場したが獲得ならず(王座獲得はファビュラス・ムーラ)。
1968年、NWA全米女子王座を獲得。
1999年9月9日のスマックダウンでWWE(当時はWWF)初登場。以来、WWEのリングにスポットながら上がり、ビンス・マクマホンを困らせるコメディスキットでWWEを盛り上げた。2000年にはミス・ロイヤルランブルに出場。孫ほど年の離れたディーバたちを抑えて優勝。
その後もスキット等に度々登場したり、WWEの番組内で誕生日が祝われたりしている。
2017年に彼女の名前を冠した女子選手のトーナメント大会WWEメイ・ヤング・クラシックを開催[3]。
入場曲
- 1965 (Steve Vaus)
- Oh Baby!
得意技
- エルボードロップ
- ブロンコバスター
獲得タイトル
- NWAフロリダ女子王座:1回
- NWA全米女子王座:1回
- NWA世界女子タッグ王座:1回(パートナーはエラ・ワルデク)
- WWE殿堂:2008年度(インダクターはパット・パターソン)
- 名誉WWEディーヴァズ王座(2013年に90歳の記念としてビンス・マクマホンから授与される)
特筆事項
- WWEメイ・ヤング・クラシック - 2017年に開催された彼女の名前を冠したトーナメント。
脚注
- ^ [1] - WWE.COM - 2014年1月15日12時03分
- ^ メイ・ヤングさん死去 女子プロレス先駆日刊スポーツ2014年1月16日閲覧
- ^ WWE announces 32-competitor Women’s Tournament coming to WWE Network this summer
外部リンク
固有名詞の分類
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