アントニオ猪木との関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/24 03:30 UTC 版)
「ジョニー・パワーズ」の記事における「アントニオ猪木との関係」の解説
パワーズと猪木とは多くの相似点が指摘される。共に1943年生まれで1960年にプロレスデビュー、190センチを少し超える(公称)バランスの取れた身体と恵まれた容貌を持ち、早くから将来を期待された。一方、野心家で独立心が強く、若くして大きな組織を離れ、自らの団体を興した。プロレス以外の事業欲も旺盛な点、波乱の多い経営を続けてきた点も似ている。自らプロモートする興行で自身の試合が原因となり、大きな暴動騒ぎを起こしたことまで共通している。 2人の接点は、猪木のアメリカ修行時代に同じ地区で戦った記録はないが、パワーズの初来日は猪木が社長を務めた東京プロレスの旗揚げ興行であった。新日本プロレス登場もこの猪木との関係からと言われてきたが、確実な証言は乏しい。坂口征二も1970年頃にパワーズがプロモートするクリーブランド地区で試合をしており、対戦記録も残っていること、坂口が新日に合流した1973年4月からまもない同年8月に前述のロスでの猪木・坂口対パワーズ・パターソンの試合が実現していることからも、新日とパワーズとの関係を主導したのは坂口の可能性もある。
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アントニオ猪木との関係
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「ジー・コミュニケーション」の記事における「アントニオ猪木との関係」の解説
2010年(平成22年)6月7日にジー・テイストが新日本プロレスとの間で、プロレスラー・アントニオ猪木の肖像権等使用許諾契約を結んでおり、同グループでは猪木の名前を冠した居酒屋チェーン「アントニオ猪木酒場」を展開していたほか、かつて同グループ傘下だった常楽酒造から猪木の筆によるラベルを採用した焼酎「燃える闘魂」「道」を発売していた。また、猪木が2007年(平成19年)に旗揚げした新団体・イノキ・ゲノム・フェデレーション(IGF)に対しても支援を行っていた。しかし後に関係を縮小する方向に向かい、唯一残っていた「アントニオ猪木酒場」新宿店を2020年7月末に閉店したことで完全に関係が切れている。
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