ターザン・タイラーとは? わかりやすく解説

ターザン・タイラー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/05 09:45 UTC 版)

ターザン・タイラー
プロフィール
リングネーム ターザン・タイラー
ターザン・トゥールヴィル
ターザン・ボロ
ザ・ブート(La Botinne)
本名 Camille Tourville
ニックネーム 密林王
身長 185cm[1] - 190cm[2]
体重 120kg[1] - 129kg[2]
誕生日 (1927-12-04) 1927年12月4日[3]
死亡日 (1985-12-24) 1985年12月24日(58歳没)[4]
出身地 カナダ
ケベック州
モントリオール
スポーツ歴 ボクシング
デビュー 1949年[1]
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ターザン・タイラーTarzan Tyler、本名:Camille Tourville1927年12月4日 - 1985年12月24日)は、カナダプロレスラーケベック州モントリオール出身のフランス系カナダ人

ヒールの狂乱ファイターとして、モントリオールをはじめアメリカ合衆国南部WWWFなどで活躍した[1]。日本にも通算5回来日しており、「密林王」の異名で呼ばれた[1]

来歴

世界ヘビー級王者のユーボン・ロバートにスカウトされ、1949年にプロレス入りするが、ほどなくしてプロボクサーに転向[1]。北米各地でハード・パンチャーとして活動するも、右拳を負傷して1955年にプロレス界に復帰[1]ターザン・ボロTarzan Bolo)またはターザン・トゥールヴィルTarzan Tourville)のリングネームで各地を転戦後、1961年アメリカ合衆国中西部NWAセントラル・ステーツ地区にてターザン・タイラーTarzan Tyler)と改名[3]。同年11月10日、サニー・マイヤースを破りセントラル・ステーツ・ヘビー級王座を獲得している[5]

以降、悪役レスラーとしてその名を轟かせ、1964年2月24日にはテキサス州ヒューストンでのジョン・ポール・ヘニングとの試合において、反則負けの裁定に怒ってレフェリーを暴行、大暴走の末に手錠をかけられ警官隊に連行されるという、プロレス史上に残る伝説的な事件を起こした[6]

その後はフロリダを主戦場に、フレッド・ブラッシー金髪コンビを結成、1965年1月27日、エディ・グラハム&サム・スティムボートからフロリダ版のNWA世界タッグ王座を奪取している[7]。同年はWWWFに初登場し、9月27日にニューヨークマディソン・スクエア・ガーデンにてブルーノ・サンマルチノWWWF世界ヘビー級王座に挑戦[8]。以降1966年にかけて、東部各地でサンマルチノに再三挑戦した[9]

1967年9月、日本プロレスに初来日[10]。10月6日に福島にて、同じく初来日のカウボーイ・ビル・ワットとのコンビでジャイアント馬場&吉村道明からインターナショナル・タッグ王座を奪取する[11]。王座海外流出阻止を期した日本側は、吉村に代えてアントニオ猪木を馬場のパートナーに起用し、BI砲が誕生。10月31日、大阪府立体育館でワット&タイラーを破り、タイトル奪還に成功した[11][12]。この翌日の11月1日、タイラーは蔵前国技館で馬場のインターナショナル・ヘビー級王座にも挑戦している[6]。日本プロレスには1968年4月と1970年4月にも来日し、ワールドリーグ戦の第10回大会と第12回大会に出場した[13][14]

1969年10月18日にはAWAのテリトリーだったネブラスカ州オマハにおいて、スタン・プラスキーを破りAWA中西部ヘビー級王座を獲得[15]。以後、フロリダでのジャック・ブリスコとの抗争を経て、1971年4月よりWWWFに再登場[16]キャプテン・ルー・アルバーノマネージャーに迎え、新王者のペドロ・モラレスに挑戦する一方、6月3日にルーク・グラハムとのコンビで初代のWWWF世界タッグ王者に認定された[17]ルイジアナ州ニューオーリンズで行われたとされる架空のトーナメント決勝戦において[18]ディック・ザ・ブルーザー&ザ・シークを破り優勝したとして戴冠[19])。同年11月12日にはジートベポザ・モンゴルズを下し、WWWFインターナショナル・タッグ王座も獲得している[20]

1972年7月、地元のモントリオールにて、アンドレ・ザ・ジャイアントツームストーン・パイルドライバーで首を負傷[6]、再起不能を宣告される[4](以降、アンドレはツームストーン・パイルドライバーを自ら禁じ手とした[1])。その後、奇跡的に復活し、1973年4月にはマッドドッグ・バションエドワード・カーペンティアイワン・コロフラーズ・アンダーソンらと共に国際プロレスに来日[21]。4月28日の江刺大会ではグレート草津、5月5日の北九州大会ではストロング小林との金網デスマッチが行われた[21]1976年1月には全日本プロレスへの来日も実現、全盛時の迫力は失われていたものの、同時参戦していたレイ・スティーブンスと金髪タッグを組み、馬場やジャンボ鶴田ともシングルマッチで対戦した[22]

1977年からはモントリオールに定着し、セーラー・ホワイトジル・ポワソンと組んでカーペンティアやスパイロス・アリオンドミニク・デヌーチなどと対戦[23]。以降、1980年までモントリオール地区の興行に単発的に出場[3]、引退後の1980年代ディノ・ブラボージノ・ブリットが主宰していたプロモーションにてヒールのマネージャーを務めていた[4]

1985年12月24日交通事故により58歳で死去[4]

エピソード

  • リングネームの由来は、学生時代にセントローレンス川を泳ぎ切り "ターザン" とあだ名されたことによるものだという[1]
  • 生肉を常食していたとされ、手錠事件での暴走も、対戦相手のジョン・ポール・ヘニングが試合前のテレビインタビューで「生肉食いの臭い奴」とタイラーを侮蔑してみせたのが一因だといわれている。

得意技

獲得タイトル

スタンピード・レスリング
セントラル・ステーツ・レスリング
  • NWAセントラル・ステーツ・ヘビー級王座:1回[5]
NWAサウスウエスト・スポーツ
NWAミッドサウス・スポーツ
  • 世界ヘビー級王座(ジョージア版):2回[26]
  • NWAジョージア・ヘビー級王座:1回[27]
  • NWA世界タッグ王座(ジョージア版):1回(w / レニー・モンタナ)[28]
  • NWAインターナショナル・タッグ王座(ジョージア版):2回(w / レニー・モンタナ)[29]
チャンピオンシップ・レスリング・フロム・フロリダ
ジャパン・レスリング・アソシエーション
アメリカン・レスリング・アソシエーション
  • AWA中西部ヘビー級王座:1回[15]
ワールド・ワイド・レスリング・フェデレーション
インターナショナル・レスリング・アソシエーション
  • IWA北米ヘビー級王座:1回[33]

脚注

  1. ^ a b c d e f g h i j k 『THE WRESTLER BEST 1000』P35(1996年、日本スポーツ出版社
  2. ^ a b Tarzan Tyler”. Cagematch.net. 2022年2月21日閲覧。
  3. ^ a b c Tarzan Tyler”. Wrestlingdata.com. 2014年12月17日閲覧。
  4. ^ a b c d Tarzan Tyler”. Online World of Wrestling. 2014年12月17日閲覧。
  5. ^ a b NWA Central States Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2014年12月17日閲覧。
  6. ^ a b c d e 『世界名レスラー100人伝説!!』P120-121(2003年、日本スポーツ出版社、監修:竹内宏介
  7. ^ a b NWA World Tag Team Title [Florida]”. Wrestling-Titles.com. 2014年12月17日閲覧。
  8. ^ The WWE matches fought by Tarzan Tyler in 1965”. Wrestlingdata.com. 2014年12月17日閲覧。
  9. ^ The WWE matches fought by Tarzan Tyler in 1966”. Wrestlingdata.com. 2014年12月17日閲覧。
  10. ^ JPWA 1967 Diamond Series”. Puroresu.com. 2022年6月27日閲覧。
  11. ^ a b c NWA International Tag Team Title Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年6月4日閲覧。
  12. ^ 【猪木さん死去】坂口征二戦“黄金コンビ”初のシングル対決ほか/名勝負ベスト30&番外編”. 日刊スポーツ (2022年10月1日). 2022年12月21日閲覧。
  13. ^ JPWA 1968 The 10th World League”. Puroresu.com. 2022年6月27日閲覧。
  14. ^ JPWA 1970 The 12th World League”. Puroresu.com. 2022年6月27日閲覧。
  15. ^ a b AWA Midwest Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2023年1月4日閲覧。
  16. ^ The WWE matches fought by Tarzan Tyler in 1971”. Wrestlingdata.com. 2014年12月17日閲覧。
  17. ^ a b History of the WWE World Tag Team Championship”. WWE.com. 2010年6月4日閲覧。
  18. ^ Luke Graham”. Online World of Wrestling. 2010年6月4日閲覧。
  19. ^ a b WWWF World Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年6月4日閲覧。
  20. ^ a b WWWF International Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2011年7月15日閲覧。
  21. ^ a b The IWE matches fought by Tarzan Tyler in 1973”. Wrestlingdata.com. 2014年12月17日閲覧。
  22. ^ The AJPW matches fought by Tarzan Tyler in 1976”. Wrestlingdata.com. 2014年12月17日閲覧。
  23. ^ The IW matches fought by Tarzan Tyler in 1977”. Wrestlingdata.com. 2014年12月17日閲覧。
  24. ^ Stampede International Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2015年2月20日閲覧。
  25. ^ NWA World Tag Team Title [E. Texas]”. Wrestling-Titles.com. 2014年12月17日閲覧。
  26. ^ World Heavyweight Title [Georgia]”. Wrestling-Titles.com. 2014年12月17日閲覧。
  27. ^ NWA Georgia Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2014年12月17日閲覧。
  28. ^ NWA World Tag Team Title [Georgia]”. Wrestling-Titles.com. 2014年12月17日閲覧。
  29. ^ NWA International Tag Team Title [Georgia]”. Wrestling-Titles.com. 2014年12月17日閲覧。
  30. ^ NWA Florida Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2014年12月17日閲覧。
  31. ^ NWA Florida Brass Knuckles Title”. Wrestling-Titles.com. 2014年12月17日閲覧。
  32. ^ NWA Southern Heavyweight Title [Florida]”. Wrestling-Titles.com. 2014年12月17日閲覧。
  33. ^ IWA North American Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2024年5月5日閲覧。

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