河端作兵衛とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 固有名詞の種類 > 人名 > 実業家 > 経営者 > 日本の実業家 > 河端作兵衛の意味・解説 

河端作兵衛

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/04 08:12 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
河端作兵衛

河端 作兵衛(かわばた さくべえ、1887年明治20年)2月 - 1955年昭和30年)11月19日[1])は、大正から昭和期の実業家。河端製作所創立者、貴族院勅選議員正五位[1]

経歴

東京出身。1912年(明治45年)慶應義塾大学法学部卒業[1]後、電気通信機部品等の製造経営者となる。戦時下で軍需会社を中心に、高周波用セラミックコンデンサを唯一扱う会社となった。以後、精密分野に従事し、現在の村田製作所に繋がる、森安静太や佐藤彦八(佐藤航空無線器材製作所 (現・太陽誘電)創設者)など数多くの技術者を河端製作所で育てた。

1946年(昭和21年)8月21日に貴族院議員に勅選され[2]交友倶楽部に所属し1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任した[1]

脚注

  1. ^ a b c d 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』116頁。
  2. ^ 『官報』第5883号、昭和21年8月23日。

参考文献

  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』1990年。

外部リンク





固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「河端作兵衛」の関連用語

河端作兵衛のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



河端作兵衛のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの河端作兵衛 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS