『野球狂の詩』より登場とは? わかりやすく解説

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『野球狂の詩』より登場

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 02:23 UTC 版)

東京メッツ」の記事における「『野球狂の詩』より登場」の解説

岩田鉄五郎(いわた てつごろう) 野球狂を謳う球界至宝。「球聖」の異名を持つ。オーナーにも食って掛かり喧嘩できる人物である。200勝しての400敗は、自己最多15勝の投手の気の遠くなるような現役投手としての勲章である。左投左打、背番号18作中の設定日本球界フォークボール投げた投手第1号水原入団前の50代現役投手時代から、五利監督対等選手兼任助監督ヘッドコーチのような役割で、練習でのノック入団希望者との接触ドラフトでのくじ引きもやっている。愛称は「っつぁん」。投げときには「にょほほほ〜」という掛け声を出す。現在は兼任監督として80歳を越えて投げ続け鉄人水原バッテリー組んだ時は、日本プロ野球史上初の左の捕手となった。なお、打撃にも自信があるのか、数回代打(うち1回野手の島に替わって出て力道玄馬からタイムリー放っている。)や決勝スクイズなどのシーンもある。主演作は『よれよれ18番』、『脅迫スリーラン』、『鉄五郎バラード』、『ズタズタ18番』など多数。 『あて馬』では監督、続く『ジンクス』では監督の座を五利譲ったという設定だが他の回では一貫して現役投手だったという設定になっている『野球狂の詩平成編』第一話では数年前引退したことになっているのだが後の『新・野球狂の詩』では一貫して現役続行していたと思われる描写見られる岩田鉄五郎水島作品多く登場しているが『あぶさん』南海ホークススカウト)や『平成野球草子』などでは同じ名前の全くの別人として登場している。 水原勇気みずはら ゆうき) 1975年ドラフト1位アニメでは1977年ドラフト1位)、女性初のプロ野球選手背番号1。左のアンダースロー。 「ストレート変化球」(現在で言うところのムーヴィング・ファストボールだという説がある)および魔球ドリームボール」をキメ球にストッパーとして活躍ドリームボールの「唯一球」で王、谷沢ミヤーン原作ではシピン)、田淵若松衣笠という1978年当時のセの強打者たちをしとめた。 『平成編』では国立珠美プロ入り尽力、のちコーチに。以降現役復帰し投手兼任大リーグ移籍噂されるなど最初現役時上の活躍見せている。現在の背番号91という娘(1997年現在で中学生)がいるが、苗字水原のままであり、結婚などの詳細不明五利一平(ごり いっぺい) 現役時代捕手戦後まもなくの強打者178本塁打で.308、976打点引退後監督・コーチ歴任作中では基本的に監督だが、鉄五郎監督場合ヘッドコーチ)。監督として3回上の優勝歴あり。背番号110。『一本バット土俵入り』では「五利大作」と表記されている。2話目の『よれよれ18番』から登場しているが、主演作は7巻(単行本収録の『監督はつらいよ』のみ。 『ドカベン ドリームトーナメント編』において、新潟ドルフィンズヘッドコーチとして登場吉田心太郎(よしだ しんたろう交通事故遭った母親生き別れ警察官夫婦のもとに引き取られすくすく成長弱小明訓高校優勝導きメッツ入団1年目31勝(新人王最多勝沢村賞)、2年目32勝(最多勝防御率1位)3年目36勝を挙げMVP、と3年99挙げた怪童。しかし4年目開幕戦で肩を痛め以後二軍バッティング投手記憶障害負った母親治療費を稼ぐ為に奮起7年ぶりの先発100勝目達成する。右投右打、背番号18。のちに『乞食打者』で再登場しているが、アンダースローになり、背番号今度岩田清志と同じ21番変更になっていた。主演作一話目の『ふたり心太郎』。 国立玉一郎くにたち たまいちろう) 「スラッガー藤娘」と呼ばれる強打名守の三塁手で、メッツ主砲白新高校出身。右投右打、背番号29歌舞伎名門国立屋の七代目女形役者である。呼び名通り十八番演目は『藤娘』。国立屋は先々代までパッとなかったらしいが、玉一郎の父親の『勧進帳弁慶)』と玉一郎の『藤娘』により持ち直し隆盛している。ただし、父親弁慶衰えによる迫力低下見えており、玉一郎には歌舞伎専念して欲しいと強く思っている。 弟に小学生の玉二郎がおり歌舞伎役者志している。母親は「玉一郎の『藤娘』と比較してはかわいそうです」と貶しているが、小学生ながら『藤娘』や『鏡獅子』を見事にこなしており、その技量才能はけして低くない球界入り反対した父と鉄五郎との約束で「初打席三振なら即引退」とされたが、初打席国立大ファンである阪神大文字から逆転サヨナラ本塁打。なお1年目(おそらく1973年)は舞台との両立為に東京限定試合出場打率.333、10本塁打記録打撃さることながら舞いハチが刺すような優美な守備超一流。初主演の『スラッガー藤娘』では1年限り現役生活で、引退後歌舞伎の世界戻ったことになっているが、他の話では引き続きメッツ野球続け1974年には本塁打王獲得スポーツ記者山井英治とは、高校時代同じ野球部だった。主演作は『スラッガー藤娘』、『豪打鏡獅子』の二作。『野球狂の詩・平成編』から登場する国珠美は実娘。 『ドカベン ドリームトーナメント編』において、新潟ドルフィンズ選手として登場火浦健(ひうら けんメッツ不動エース。右投右打。背番号14北海道出身人呼んで「北の」。タイガース王島大介生き別れ双子の弟。実母加代がつけた名は「一郎」。 育ての親である侠客・政を殺した暴力団組長報復し傷害罪2年間服役。その後テスト入団メッツ入り74年20勝を挙げ最多勝利新人王獲得しメッツ優勝貢献阪神戦で9回二死満塁ピンチストレートかと思うほどスピード乗ったドロップ弟・王島大介三振打ち取りその夜実母再会以後同居始める。翌75年連続20勝で最多勝利獲得主演作は『北の・南の虎』。 引退後大阪ガメッツ監督となり、後に兼任投手に。その時背番号90。妻・彩子結婚2年亡くしている。『平成編』(『一郎二郎』、『南の虎再び』)において初めて、王島大介兄弟であることを告げた。後に『ドカベン ドリームトーナメント編』において、その王島と同じ阪神タイガースの選手として登場し兄弟で同じチームという実母願い叶った阪神での背番号は014。 岩田清志いわた きよし入団からわずか6年連続20勝、通算152挙げている右の下手投げ投手この段階で父である鉄五郎53歳ありながらまだ149であった)。右投右打。背番号21火浦健入団までは、メッツ投手陣屋台骨支える大エースであった火浦入団後も、日の本日下部立花と共に先発ローテーション一角として活躍鉄五郎の娘・塁子と結婚し婿養子として岩田家に入る。岩田武司の父である。現役時代鉄五郎引退勧告するなどしばし対立引退後仕事アメリカへ移住孤児院育ったといい、旧姓不明2話目の『よれよれ18番』から登場しているが、主演作3巻単行本収録の『脅迫スリーラン』のみ。 千藤光せんどう ひかる) 高校時代ノーヒットノーラン2回、甲子園決勝戦完全試合栃木県代表・江川一高優勝導き1972年メッツドラフト1位入団(ただし高校最後夏の大会1973年夏の大会で、メッツ入団後出場したオールスターゲーム1973年のもの)。投手としてだけでなく、強打俊足生かして走・攻・守派手なパフォーマンスを得意とするショーマン投手」。右投右打。背番号11。のち、打撃と足を活かすため遊撃手転向俊足強打三番打者として国立の前を打ち活躍する登場当初長髪であったが、オールスター戦ホームインした際に、実は十円ハゲを隠すためのカツラであった事が発覚その後パフォーマンス裏目に出て野次集中砲火遭い一時引退決意する。しかし、岩田鉄五郎言葉心機一転スキンヘッドとなる。遊撃手転向後は以前と同じ長髪カツラ着用しているが時折はずしているシーンみられる主演作は『ショーマン投手』。 島小太郎(しま こたろうプロ入り11年目から15年目まで相手先発投手左右を知るための「あて馬偵察要員)」としての出場のみという長い雌伏の時経て33歳レギュラーになった二塁手。右投右打。背番号3。「〜ぞなもし」という伊予方言台詞から、愛媛県出身思われるが、詳細不明鉄五郎レギュラー陣あまりにも不甲斐ないプレー切れて脳溢血倒れた際は適切な応急処置行いその後鉄五郎指名最終戦監督代行勤めスタメン一軍野手全員あて馬」にして、二軍選手主体としたメンバー主力選手対立しながらも、見事にAクラス入り決め勝利を収める試合決めたのは二軍選手として登録をしていた代打・島のサヨナラ内野安打5年間もの『あて馬』生活中も常に用具の手入れ怠らず、いつでも出場できる状態を保つなど、鉄五郎をして「18並んで3も欠番」と最高級賛辞を贈らせた選手で、「野球は魂でやるんだ」の名ゼリフを残した。『ガニマタ』では3番、『スラッガー藤娘』『乞食打者』では4番打っており、遅咲きながら打撃好成績収めた推測される後年エピソードでは2番6・7番などの下位打線一角として活躍している)。主演作は『あて馬』。 実は、主演作の『あて馬』以外ではセリフが全く無い。また、本来似ていない島虎谷がしばしば混同され描かれていた。力道玄馬に対して投手岩田鉄五郎代打送られ場面もある。 『へい!ジャンボ』では、同姓同名、顔もそっくりのヤクルトアトムズ捕手登場する野呂甚久寿(のろ じんくす) 名前は「甚九寿」または「甚久須」と表記される場合もある。外野手(主に中堅手)。両投両打背番号03背中ローマ字表記は英語の「JINXではなく、「JINKUSU(登場直後エピソードでは「NORO」という表記もあった)。投打とも左右がしばしば変化している。 飄々とした風貌で、グリグリ眼鏡のド近眼彼のジンクス」はもはや超能力預言の域で、五利監督らメッツナインを騙して無理やり倉庫監禁し、それによって彼らの命を飛行機墜落事故から救った国立不振スタメン外れた際には、三塁守ったこともある(『豪打鏡獅子』)。水原助力得て1979年7年目にしてヤクルト安田から初ホームランを打つ。この試合岩田鉄五郎200勝を達成している。実は78年末にメッツ買収した大日本建設御曹司である。主演作は『ジンクス』。 『ドカベン ドリームトーナメント編』において、新潟ドルフィンズ選手として登場河野(かわの) 甚久寿言葉通り北北西進路を」とった選手当時10年目不振レギュラーはずれていた。いわゆる水島風の「長島茂雄」顔のひとりである。右投右打、背番号10安打打った場面のない選手の一人登場作は『ジンクス』のみ。 虎谷虎之介(とらたに とらのすけ) 強打だが痔疾捕手主演作ガニマタにおいては35歳4番打者。右投右打、背番号691973年勝った方が優勝試合持病いぼ痔欠場するも、医師である兄の指示で、鉄五郎から荒療治受けて代打出場阪神江夏豊から代打サヨナラ優勝本塁打を打つ。以降76年帯刀守入団するまでメッツの正捕手の座を守りつづけたベテラン。兄、長男ともに彼とそっくりの顔である。『ガニマタ以降6・7番の下位打線を打つようになっている『ドカベン ドリームトーナメント編』において、新潟ドルフィンズ選手として登場金太郎きんたろう乞食打者一塁手、右投右打、背番号1→55日下部了入団に伴う)。登録名は「乞食金太郎」。主演作は『乞食打者』。 大きな体とおっとりした性格怪力スラッガー前年メッツ1位指名巨人志望という理由拒否しながら、翌年金満球団大阪アパッチ指名されると、喜んで入団した超高校級投手北大路数人幼馴染金太郎からは「数ちゃん」と呼ばれている)。その北大路草野球対戦しホームラン打ったことがある金太郎」(実は10歳の時(本編6年前)の話)という少年の噂を聞きつけた鉄五郎ほか各球団スカウトマークに会うが、たまたま国分寺球場外野席食事作っていたところをメッツナインと知り合い、それが元で金太郎正体知った鉄五郎即断メッツ入団その日試合で0対0の9回裏代打登場北大路から場外ホームラン放ち精神年齢10歳のままの金太郎には昔のままの「数ちゃん」の球に見える)、メッツは苦手・北大路からついに初勝利する『ドカベン ドリームトーナメント編』において、広島東洋カープ選手として登場丘知将(おか ともまさ)恐怖TO砲」の背の低い方。外野手、右投右打。背番号1077富樫入団時に譲って変更)。 1973年秋のドラフト2位草野球チーム中町)から入団当時24歳)。出来高給選手ライバルである唐部からは「おかちめんこ」と呼ばれている。左目の瞳を止めたまま右目の瞳を動かすことができる。 プロ入り打席では阪神江夏からピッチャー強襲内野安打出塁出塁していた唐部を生還させ初打点叩き出す同時に江夏負傷降板させ、ボーナス主張する鉄五郎却下される。この打点決勝点となり、メッツ開幕戦を飾る。その後新潟での阪神戦ではスミ1となるホームランたたき出し富樫平八郎に初勝利をプレゼントした主演作は『恐怖TO砲』。『監督はつらいよ』では作者五利監督混同したか、試合終了後場面で丘が岩田関西弁で「なんやて」と言い、丘の背番号が110になっている『ドカベン ドリームトーナメント編』において、新潟ドルフィンズ選手として登場唐部大樹(とうべ たいき) 「恐怖TO砲」の背の高い方。外野手。左投左打、背番号161973年秋のドラフト1位草野球チーム旭町)から入団当時24歳)。出来高給選手ライバルである丘からは「唐変木」と呼ばれている。 長身長いリーチ活かし打席の一番前立っていかなる変化球変化する前に叩くという特技を持つ。プロ入り打席江夏からヒット出塁相手ミス誘い強引に二塁打にした後、丘の内野安打生還する岩田鉄五郎海王対決した大洋戦では、8回裏鉄五郎執念スクイズ決勝ホーム踏んだ立花薫初登板した対阪神戦では初回先頭打者本塁打記録主演作は『恐怖TO砲』。 『ドカベン ドリームトーナメント編』において、新潟ドルフィンズ選手として登場富樫平八郎(とがし へいはちろう新潟西高校ではライバル日下部の影に隠れ高校時代1球しか公式戦投げ機会がなかったものの1970 - 1973年正しい年度は不明3位指名メッツ入団した投手背番号10。右投右打。4年間の下積み経て地元新潟での阪神戦先発自宅末期癌父親見守る中、9回表一死二塁ピンチ遠井吾郎をピッチャーライナー併殺打ち取り、初勝利を挙げる。その直前父親は息を引き取っていた。その後腱鞘炎投手断念恋人夕子言葉聞き入れ努力の末打者転向転向後、初打席ではサヨナラホームラン放って日下部勝利をもたらすその後「やるだけやってみる。それでだめなら、魚屋の嫁だ。それでもいいか?」と夕子プロポーズその後は、逆境に強いメッツ代打切り札としてさまざまなエピソード活躍している。勇気編では外野手として出場水原勇気初登板のオープン戦では阪神ルーキー沢村から甚久寿に代わって代打出場し大量点のきっかけとなるヒット公式戦でも水原の初リリーフ時に日の本に代わっての代打ホームラン決勝点叩き出し勝利をプレゼントしている。 『ウォッス10番』・『ガッツ10番』・『スラッガー10番』の10番3部作主演本作少女漫画家里中満智子との合作で、里中は主に女性子供作画担当日下部了(くさかべ りょう新潟西高から早稲田大学経て1974年ドラフト1位メッツ入団した投手。右投右打。背番号1、のち水原勇気譲って20富樫同級生対照的な日のあたる道を歩いてきた生まれながらスター選手メッツ入団した年度は、作中のどの描写基準にするかで判断分かれる日下部早稲田大学進学し同学年富樫メッツ入団したのはTO入団後なので73年ドラフト以降だが、劇中4年たって日下部メッツから指名されドラフト昭和49年1974年)のもので実質1年しか経っていないことになってしまう。そのオフ過ぎて富樫5年目)と日下部1年目)が一軍入りして臨んだ1975年5月7日(のはず)の試合は、描かれカレンダー曜日からみて1974年のままであり、対戦相手阪神監督金田正泰のままで、1975年からの吉田義男になっていない。 また、同じ1974年発表された『ルーキー15歳』では、火浦日下部の間で立花薫投球練習をしており、対戦相手阪神監督はやはり金田正泰。さらに、『おれは長島だ』では昭和49年1974年10月14日長島太郞最後試合投手の名が「日下部となっている(詳しく「野球狂の詩」→「矛盾点参照)。 1976年シーズン前半、水原勇気ドリームボール存在がもとでチーム内に亀裂生じかけた時にドリームボール関わる説明を迫る日下部に「日下部よ、たった2年プロ飯を食ったぐらいで…」と鉄五郎返しているところから、週間連載以降時系列では74年新人ということになり、火浦・唐部・丘らと同期入団ということになる(そうなるその4年前富樫入団時に先輩である」丘が背番号10を「俺の栄光10番を譲るんだからがんばってくれよ」と言って譲るシーン矛盾生じる)。ちなみに立花薫74年入団のため彼と同期のはずだが、水原入団1976年春のオープン戦では、阪神滅多打ち会い打たれています。ルーキー立花」と新人扱いされている。主演作はないものの、冨樫主演作、『ウォッス10番』・『ガッツ10番』・『スラッガー10番全て出演日の本盛ひのもとさかり) 投手、右投右打、背番号17野球よりも酒が好きな男。酒なしならエース級の実力秘めた主戦ならぬ酒仙投手ナインは何とか酒を取り上げようとするが、様々な小細工マウンドに酒を持ち込み試合中でも酒を飲もうとする。ピンチ迎えたマウンド上で酔いつぶれて寝込んでしまうこともしばしば。読みきり連載時どちらかといえば飄々としたマイペースな男として描かれていたが、勇気編では、ドリームボール存在チームメイトにもひた隠しにする鉄五郎反発し怒りのあまり利き腕右手鉄拳振るう激情家の一面見せる。名前の由来清酒銘柄日本盛」から。主演作は『よっぱらい投手』。 権田権介(ごんだ ごんすけ外野手選球眼良さ見込んで五利獲得した選手れっきとした登録選手だが、おとなしく自己主張しない性格なため、普段裏方のような仕事をしている。国立は彼を信頼しており、よくヘルメット内側クッション張りなどを頼む。対中日戦、秋田から上京した家族の前で金太郎代打として出場星野仙一からサヨナラとなる四球を選ぶ。のちに勇気編ではマネージャーとなっている。右投右打、背番号90主演作は『どんじり』。 北海安吉ほっかい やすきち) 内野手背番号0。右打。通称あばしり安。鉄五郎によると国立負けない程のスラッガーらしいが、作品中では1度バット振っていない。網走出所後、国分寺球場直行するも、間一髪間に合わず翌日アパッチ戦で9回裏・満塁場面で代打出場相手ビーンボール紛い投球怒り抑えつつ、顎をかするデッドボール選んで出塁連敗32止めたその後相手投手激怒した鉄五郎かばって代わりにアパッチ選手ほぼ全員一人ノックアウトそのまま網走逆戻りすることになる。その後伊達源三郎牢獄内で会話しているシーンもある。鉄五郎を「親分」と呼ぶ。主演作は『あばしり安』。『ストッパー』では復帰したらしくベンチに姿があったが、結局作中ではその実力は描かれないまま。途中でチャーリー・レーン背番号奪われてしまった。 帯刀守たてわき まもる) 1975年水原に次ぐドラフト2位で、ノンプロ音羽建設から入団した強肩強打捕手女性水原自分差し置いてドラフト1位指名されたことを不満に感じ一時入団保留するが、岩田鉄五郎促されて水原の球を受けてみてその理由納得入団決意した入団1年目からベテラン虎谷代わり捕手レギュラー獲得。後に『ストッパー』などでは三番五番打っていたことから打撃でも非凡であった推測される。右投右打、背番号22立花薫たちばな かおる) 15歳最年少、右の下手投げ投手背番号19小さな体と地面すれすれの低い位置からのアンダースロー武器メッツ入団大財閥名家立花家御曹司20時になると家に帰り家族食事をする家訓のためいつも完投できなかったが、構え低くする戦法ではじめ打ち込まれ対中日戦、20時前最後打者谷沢健一討ち取る為に自らの意思家訓を破る。マウンドの土を掘って究極サブマリン投法谷沢三振打ち取ると、父親はこれを喜び家訓22集合変更したちなみに薫の両親は完全な野球音痴、妹は多少ルール理解している)。20時に家族全員集合するという立花家家訓は、当時人気番組8時だョ!全員集合」と絡んでいるとみられる前項とも関連するが、当時女子禁制野球協約変更させるために鉄五郎仕組んだ水原勇気初登板(対阪神オープン戦)の先発務めたのは立花であり、初回阪神先頭打者中村勝広打ち取ったところで、水原勇気2番打者藤田平打席から緊急登板をしている(これは、水原先発にすると連盟から試合開始前段階無効試合とされかねないために、鉄五郎水原登板既成事実化するために仕組んだ策略である)。したがって、実は水原チーム逆転した段階降板しても、後続投手陣抑えれば勝利投手はなれたはずで、無理に5回を投げ切ることにこだわって田淵幸一逆転本塁打浴びる必要はなかったという指摘もされている。これは、おそらくこの試合描写長引いて作者である水島が、実は立花先発させていた事を忘れていたためと思われる主演作は『ルーキー15歳』。 長島太郎ながしま たろう) 巨人長島長嶋茂雄熱狂的ファンである三塁手毎年メッツ入団テスト受けて失敗していたが、1974年50m走6.2秒、遠投90mを記録して、ついに念願かなってテスト合格背番号30」を付ける(本人曰く「まったくよけいな0だ」)。前半戦一軍上がるも、チャンス併殺打倒れ、即降格。その年、メッツ最下位決まった後(火浦活躍メッツ優勝した話と矛盾し、少しパラレルワールド的)、国分寺球場での消化試合残り5試合一軍復帰し島小太郎から背番号「3」を譲り受けて8番サード先発出場本家長島そっくりのフォーム見事な安打走塁・守備見せる。後楽園長島茂雄現役引退する最終試合同日最終戦では、メッツベストオーダーの中、国立に代わって4番サードフル出場生涯最初で最後ホームラン放つ太郎はこれを最後に現役引退鉄五郎は、「ミスターに勝るとも劣らぬものは、燃え心とたゆまぬ努力だ」と賞賛する。右投右打。背番号303番最後の5試合)。主演作は『おれは長島だ!』。 高円寺三郎こうえんじ さぶろう背番号78捕手。右投右打。192Cm、100キロ超える巨漢入団4年目にして初のヒット打っても「外野ゴロになってしまうほどの足の遅さ故にその年限りで解雇され野球断念して相撲取り転向。しかし、相撲初白星の際も打撃想いをはせる野球狂である。その取組には序の口にもかかわらず鉄五郎五利国立から懸賞がついた。主演作は『一本バット土俵入り』。 芦田哲(あしだ てつ) 背番号50内野手。右投右打。元阪神タイガースの選手32歳のベテランだが10年在籍したタイガースを肩や足の衰え理由自由契約になり、阪神時代相性がよかった国分寺球場職員になるため訪問してきたところをその実績を鉄五郎買われメッツ入団1975年末のマガジン誌上載った選手名鑑によるとショート本職らしい)。球場特性味方にする頭脳派いぶし銀選手翌年開幕阪神戦9回裏のチャンス代打登場降雨中断後の国分寺球場独特の天候利用し、サヨナラタイムリーを放つ座右の銘は「敵を知り、己を知り地の利知れ」。主演作は『どしゃぶり逆転打』。 浦島大吉うらしま だいきち外野手背番号8、右投左打サギ師平源造ペテンからメッツ入団した貴重な左の代打金太郎と並ぶほどの巨漢で、悪球打ちを得意とする。実は3年前阪急からドラフト5位で指名受けていた元ノンプロ強打者であったが、狭心症持病のためプロ入りあきらめていた。そのこと知っていた五利が左の代打要員として獲得直後試合代打として起用されサヨナラポテンヒット(平曰く「ペテンヒット」)を放つ主演作は『ペテンヒット』。 大田原明おおたわら あきら) 外野手。右投右打。西鉄ライオンズ(後に太平洋クラブライオンズ時代全盛期六番レフト活躍し獅子王」と称されスラッガー。後に打撃衰えから太平洋クラブライオンズ自由契約になり、1975年メッツ拾われた。背番号80。妻亡き後、4人の子供を抱えて頑張通称「バットファーザー」。移籍打席代打逆転満塁HR放つも、前半戦不振にあえぐが、子供たち励まし努力でオールスターファン投票外野手部門3位選出され気迫バッティング代打逆転サヨナラ満塁ランニングホームラン放ってMVP獲得した主演作は『バットファーザー』。 ジョン・カスター大リーガー50歳で鉄五郎同年齢の「よれよれ大リーガー」(とはいえメジャー在籍期間はわずか7日間である)。右投右打、背番号4。外野手めったやたらと「突撃だ〜!」を連呼し、チームメイト士気を鼓舞するが、高齢のため選手としての実力はもはや高くはない。実は、オーナー衰え見えてきた鉄五郎に、同年齢のカスター張り合わせて刺激与え闘志蘇らせるために獲得した彼のハッパにもかかわらず、なかなかメッツ負け癖は止まらなかったが、ついには彼の身体張ったデッドボールでの出塁と、代打拒否した鉄五郎快打、そして2人命がけ走塁により逆転サヨナラ勝ちもぎ取るその後の話に全く出てこないところをみると、彼はこの年限り引退帰国した思われる)。主演作は『よれよれ大リーガー』。 サバ アフリカ出身酋長息子一回説明野球のルール覚えるほどの高い知能と、盗塁成功率100%奇跡の足を持つ代走専門選手背番号50通称「はだしの王様」。自然と一体感大事にし、大地の気を感じ取るため裸足のままプレイする。ほとんどリードもとらず、走るというより「跳ぶ」という形容がぴったりのその走塁ナイン刺激し積極果敢な走塁心がけようという機運生まれ多くファン獲得した。しかし日本大気汚染公害に体を蝕まれ静養のためその年限りで帰国ファン浄財チャーターされた特別機水島作品によく登場するJALDC-8)でケニア直航通訳の名は田尾主演作は『はだしの王様』。 武藤 兵吉(むとう へいきち) 「軍曹」のあだ名を持つ一軍半捕手。口はうるさいが人一倍選手思い人情家水原ドリームボール彼の夢から生まれたが、完成見ず志半ば広島東洋カープ移籍ドリームボール打倒野球人生賭けて挑む。『勇気編』は人生魔球ひとつに賭けてしまう野球狂・武藤物語でもある。右投右打。メッツ時代背番号30カープでは77。なおアニメ版では「ひょうきち」と読まれている。 後に交通事故による下半身不随になってしまい、車椅子生活を余儀なくされる息子又三郎姓名異なるのは事故後の家庭の事情から)に自ら使用していたバッティンググローブを託し勇気はこのグローブから又三郎武藤親子であることに気づく)自ら成し得なかったドリームボール打倒挑む『ドカベン ドリームトーナメント編』においても元東京メッツ広島東洋カープ選手として登場。ドリームトーナメントの世界では水原ドリームボール打った後も引退せず打撃開眼しカープ4番捕手の名選手として現役続けている。 村田(むらた) 水原入団する前の1975年引退した投手プロ根性から出塁するために自分から球に当たるほどの熱血漢で体にその痣がいくつもある。武藤そのこと教えるために、手向けとして引退する村田背中水原に流させた。 平沢尚利(ひらさわ なおとし) 手薄な投手補強のために、1976年春に武藤交換トレード広島から移籍してきた左投手背番号30移籍後練習中に火浦に「がんばれよ」と声をかけられ「はい」と答えていたところから、まだかなり若い(20代前半選手思われる1976年開幕2戦目でリリーフ古巣広島相手投げたというコマがあるが、投球内容詳細不明(この試合では先発岩田清志以下投手陣打ち込まれ大敗している)。 小仏善兵衛こぼとけ ぜんべえ) 東京メッツ2軍監督現役時代投手。人の良さそうなとぼけた雰囲気醸し出しているが、実はかなりの切れ者1976年初夏には五利代わりに1軍代理監督務めた。のちに東京ボッツ監督就任背番号119大山おおやま東京メッツオーナー。色々あるが野球メッツこよなく愛する男(『よれよれ18番』では松川)。 尻間専太郎(しりま せんたろう東京メッツスカウト水原勇気発掘したことは有名。酒飲みであり、同じく飲んべえ日の本と、立花薫も彼がスカウトした。常に笑っているような顔が特徴1975年オフに、水原登場(週連載開始)まで、週刊連載にふさわしい新たな選手求めて、彼が全国スカウトし歩き回る様子描かれた。がんばれドリンカーズにも登場していて、尻間発言からするとメッツスカウトクビになり千葉ロッテマリーンズスカウトになっている。 大空孫市おおぞら まごいち) 東京メッツ球団職員。いつもは国分寺球場内外掃除している。もとは歌手志望低迷するメッツ応援し盛り上げるために、毎晩8時半に、正体隠してエルヴィス・プレスリー風の扮装国分寺球場神出鬼没登場メッツ応援歌を歌うと打線爆発するようになり、ファン盛り上がって連勝できるようになった主演作は『孫市オン・ステージ』。 大島丑吉おおしま うしきち) 低迷する東京メッツ買いたい田舎からやってきた老人第二次大戦野球選手だった息子を失う。必死で貯めたぼろぼろ300万円メッツ買おうとし、オーナー五利に「球団を買うには最低7億要るんだ!」と一笑に伏されるが、鉄五郎が「この金だって尊い血と汗の結晶だ!このお札をよう見てみぃ。」と二人たしなめ、その金でメッツ1日オーナーになる。その日大山オーナーと共に観戦し、実に精緻的確な観察眼でメッツナインの凡ミスとその原因である集中力のなさを指摘、「好球必打」と書かれた息子形見であるぼろぼろボール置いていく。その後契約金300メッツ非常勤顧問就任ぼろぼろ一万円札後日メッツ選手たちに「臨時ボーナス」として渡された。主演作は『メッツ買います』。 甲賀愛子(こうが あいこ) 東京メッツマスコットガール通称・愛ちゃん。実はアパッチスパイで、女の手手管メッツ選手たち篭絡アパッチ優勝一役買う主演作は『代打くノ一』。 しかしその手練は国立玉一郎だけには全く通じず、男なのに女性以上に美しい彼容姿見て敗北を悟る。最後アパッチ辞め、メッツナインの前からも姿を消した

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