『野鳥』の創刊とは? わかりやすく解説

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『野鳥』の創刊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/29 13:57 UTC 版)

中西悟堂」の記事における「『野鳥』の創刊」の解説

それまで日本人野鳥とのかかわり飼い鳥として籠の中の鳥鳴き声や姿を楽しむか、狩猟食肉対象としているものであった。悟堂はそのような習慣をやめて「野のは野に」と自然の中でを楽しむことを提唱した。その考えには少年時代からの仏教教育基づいた万物に命が宿るといった自然観影響見られる日本には「花鳥風月」言葉どおりテーマにした文芸絵画の歴史長い。悟堂は短歌や詩などの文芸あるいは絵といった方法で、愛護保護一般大衆訴え雑誌構想した1934年昭和9年)、誌名を「野鳥」と命名。悟堂が編集責任者となるが、実際会誌編集実務は、大正から昭和初期にかけ民俗考古学山岳関係の名著多数世に送り出した岡書院店主岡茂雄担った最初、岡は固辞したものの、中西懇請入れる形で創刊号編集刊行作業に当たり、1934年昭和9年5月創刊号から1935年昭和10年9月まで、岡が山岳関係の書籍扱った書房名義刊行される事となった。 岡によれば創刊号編集では、中西字数勘定などが不得手なため編集はかどらずやむなく岡が中西宅へ足を運んで実務こなしたまた、創刊当初は「野鳥やちょう)」と言う言葉知られておらず、「のどり」と読む人が多かったと言う1944年昭和19年9月戦前物資不足により用紙配給止まったことや、悟堂が福生町移住したことを機に機関誌野鳥』も停刊となるが、1947年昭和22年)に日本野鳥の会活動再開同時に再刊して今日に至る。

※この「『野鳥』の創刊」の解説は、「中西悟堂」の解説の一部です。
「『野鳥』の創刊」を含む「中西悟堂」の記事については、「中西悟堂」の概要を参照ください。

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