富樫平八郎(とがし へいはちろう)
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「東京メッツ」の記事における「富樫平八郎(とがし へいはちろう)」の解説
新潟西高校ではライバル日下部の影に隠れ、高校時代1球しか公式戦で投げる機会がなかったものの1970 - 1973年(正しい年度は不明)3位指名でメッツに入団した投手。背番号10。右投右打。4年間の下積みを経て地元新潟での阪神戦に先発。自宅で末期癌の父親が見守る中、9回表一死二塁のピンチに遠井吾郎をピッチャーライナー併殺に打ち取り、初勝利を挙げる。その直前に父親は息を引き取っていた。その後、腱鞘炎で投手を断念。恋人夕子の言葉を聞き入れ努力の末打者に転向、転向後、初打席ではサヨナラホームランを放って日下部に勝利をもたらす。その後「やるだけやってみる。それでだめなら、魚屋の嫁だ。それでもいいか?」と夕子にプロポーズ。その後は、逆境に強いメッツの代打の切り札としてさまざまなエピソードで活躍している。勇気編では外野手として出場、水原勇気初登板のオープン戦では阪神のルーキー・沢村から甚久寿に代わって代打出場し、大量点のきっかけとなるヒット、公式戦でも水原の初リリーフ時に日の本に代わっての代打ホームランで決勝点を叩き出し初勝利をプレゼントしている。
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