特別機
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 09:25 UTC 版)
1950年代より、皇族や内閣総理大臣・閣僚の海外公式訪問の際には、日本航空の特別機が使用されていた。1990年代以降は日本国政府専用機の導入や経費削減のため、以前に比べると頻度が減少しているが、政府専用機を天皇が使用している際や閣僚級の海外公式訪問には、日本航空の特別機を使用することがある。このため、特別機専用機材が常に複数機割り振られてあり、必要になった際には、これらの機材が政府によりチャーターされ、特別機として運航されている。 また、ハイジャックや邦人救出、日本の団体スポーツ選手団の定期便が就航していない就航地への輸送などに際しては、過去の運航実績などから特別機やチャーター機を運航することも多い。1990年、湾岸戦争のきっかけとなったイラク軍のクウェート侵攻の際、クウェートに在留していた邦人を救出したり、湾岸戦争中、イラクで働いていてエジプトに避難していたベトナム人を輸送したりしたのは、日本政府がチャーターした日本航空の特別機だった。2010年アイスランドの火山噴火では、日本からニューヨーク経由でイタリアローマへ救援便を回航し、日本人救出第一便として日本へ運航したり、2022年ロシアのウクライナ侵攻でもロシアや紛争区域上空通過を避けるため日本から上空の偏西風など追い風も利用し北米アラスカ、カナダ北極圏、グリーンランド、アイスランドなど再度、大西洋横断ルートを使いロンドン線を運航し、その他の欠航している欧州線はロンドン乗り継ぎワンワールドコードシェア便を利用できる日本航空の体制でしかできない運航もしている。 1985年(昭和60年)のイラン・イラク戦争の際には、乗務員の安全が確保されていないとして、日本国政府の要請によるイラン在留邦人の救出を目的としたチャーター便の運航を拒絶しているとマスコミが伝えた。実際に、日本航空が戦争発生1980年の時点で定期便乗り入れを休止していたため現地駐在員がおらず、そのため、現地当局との調整時間が足りずに紛争当事国による安全保障が取れる状況ではなかった。3月17日にサッダーム・フセイン大統領が「イラン戦争区域宣言」を出して各国航空会社に対してイラン上空を航行禁止区域と設定したうえで、現地時間19日20時(日本時間20日午前2時、時差6時間)以降、イラン上空を航行するすべての航空機はイラク空軍の攻撃対象となる発表を行った。駐イラン大使から救援機の要請があり、外務省が日本航空へチャーター便の要請をしたのが日本時間で18日であった。さらに、現地時間18日にはイラク軍から「19日夜から空も戦争区域とする」との警告があったことや、定期便であるテヘラン発欧州便が軒並み欠航する状況であったことから、外務省は18日夕「チャーター機を出すとしても、テヘランまで乗り入れるのは難しい」と述べている。これを受け日本航空は18日夜までに「帰る便の安全が保障されない」として、乗り入れは断念する方針を固めた。その後、現地18日夕方になって駐イラン大使はトルコ大使から「明日(19日)、トルコ航空機が2機来る。空席があるから日本人の搭乗希望者数を教えてほしい」と申し出があり、在イラン邦人出国希望者約250人中215人がトルコ航空機によって出国したが、その他の航空会社で出国した人もおり、全員がトルコ航空で救出されたという話はマスコミが恣意的に伝えていることである。
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