重症急性呼吸器症候群 感染拡大から終息まで

重症急性呼吸器症候群

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/14 17:56 UTC 版)

感染拡大から終息まで

中国南部でのアウトブレイク

2002年11月に、中華人民共和国広東省で最初のSARS症例が報告され、同月に同省で流行が発生した。最初の患者は広東省仏山市順徳区出身で、地元の村の管理責任者も務めていた農家の男性で[56][44][57][58][59]、仏山市の第一人民医院(英: The First People's Hospital)で治療を受けた。この男性の疾患原因特定は行われなかった[注釈 3]。感染制御に多少動いたものの、中国政府は、2003年2月までこの感染症の発生をWHOに公式報告しなかった。この情報公開の遅れが感染症対策の遅れに繋がり、結果として中国政府は国際的に多くの批判を受けることとなった[61]

アウトブレイクが最初に起きたのは2002年11月27日で、WHOのGOARN英語版の一角を成す、カナダグローバル・パブリック・ヘルス・インテリジェンス・ネットワーク英語版 (GPHIN) が、インターネット・メディアの監視を通じ、中国で「インフルエンザの流行」(英: "flu outbreak")が発生していることを突き止め、そのままWHOに報告した。現在GPHINでは、アラビア語中国語英語フランス語ロシア語スペイン語への翻訳に対応しているが、当時は英語・フランス語のみの対応だった。アウトブレイクに関する最初の報告は中国語文献だったため、英語でのレポートは2003年1月21日になってようやく作成された[62][63]

この報告を受け、WHOは中国当局に対し、2002年12月5日・11日に照会を行った。それまでの感染症アウトブレイクでは対応ネットワークが上手く機能していたものの、中国からのメディア報告がアウトブレイク発生から数ヶ月後にずれ込んだため、情報共有が遅れる元となった。第2回目のアラート発令後、WHOは病名、症例定義と共に、慎重な注意と封じ込め方法を共有するため、協調した世界的なアウトブレイク対応ネットワークの構築を発表した (Heymann, 2003)。WHOが対策を開始した時までに、世界中で死者は500人以上、加えて2,000人程度の感染者が発生していた[63]

4月上旬、蒋彦永英語版が中国での脅威を報告した後[64][65]、公式方針の転換があり、SARSはメディアでより大きく取り上げられるようになった。これにはアメリカ人のジェームズ・アール・ソールズベリー(英: James Earl Salisbury)の死が直接関わっていたとされる[66]。これとほぼ同じ頃、蒋彦永は北京の軍事病院で症例数が過少報告されていたことを告発した[64][65]。猛烈な追及の後、中国当局はWHOなど国際当局の現地調査を認めることになった。この調査により、地方分権化の拡大、繁文縟礼、不十分なコミュニケーションなど、成長過程にあった中国の保健政策を悩ます諸問題が明らかになった。

また、SARS予防策が広く知られておらず、流行地では看護や汚染物運搬の過程で、多くの医療スタッフが感染の危機に晒されたり、最悪の場合死に至ったりした[67]

世界への感染拡大

2002年から2003年にかけて、SARSが発生した地域

流行に一般の関心が向いたのは、2003年2月に、中国に渡航したアメリカ人ビジネスマンが、シンガポールへの飛行中に肺炎様の症状を呈した一件からだった。飛行機はベトナムハノイに立ち寄り、このビジネスマンはハノイ・フレンチ・ホスピタル英語版に搬送され、転院先の香港で死亡した[68]。一般的なプロトコルで看護を行ったにもかかわらず、この男性から複数の医療スタッフへ二次感染が起きた。イタリア人医師のカルロ・ウルバニは感染危機に気づき、WHOとベトナム政府の連携を要請して感染拡大阻止に尽力したが、その後自身もSARSに罹患して死亡した[69]

症状の重症度と、病院スタッフへの院内感染は国際保健当局に危機感を持って捉えられ、当局は肺炎感染症の拡大を危惧した。2003年3月12日、WHOはグローバル・アラート英語版を発令し[2][14]アメリカ疾病予防管理センター (CDC) もこれに続いてアラートを発表した[70][71]。WHOは続く3月15日に、広東省香港への渡航自粛勧告を出す異例の措置を取った[3]。SARS感染拡大は、トロントオタワサンフランシスコウランバートルマニラ、シンガポール、台湾、ハノイ、香港で見られ、中国国内では広東省、吉林省河北省湖北省陝西省江蘇省山西省天津市内モンゴル自治区などに拡大した[72]。この際、WHO西太平洋事務局の責任者として、押谷仁が陣頭指揮に当たった(その後、2005年に東北大学教授就任)[73][74][75]

香港

香港、メトロポール・ホテル9階の見取り図。この階に宿泊し、後に死亡した男性がスーパー・スプレッダーと考えられている

香港では、2003年3月29日に病院から患者集団の発生が報告され、これが当地初のコホートとなった[76]。2月に香港へ到着した中国の医師がインデックス・ケースになったと考えられ、九龍にあったメトロポール・ホテル(英: The Metropole Hotel)の9階に宿泊し、16人の宿泊客に感染を広げた(医師はその後死亡し、SARSによる初の死者だと推定されている)[3][59][77][78]。ここで感染した宿泊客は、香港国際空港から旅客機で、カナダシンガポール台湾ベトナムなどに向かい、到着先で感染をさらに拡大させた[79][80]。香港での流行は世界的流行の一助となったが、背景にはこの医師のようなスーパー・スプレッダーの存在があった[81][82][83][84]

香港第2の流行が起きたアモイ・ガーデンズの外観

香港では、クイーン・メアリー病院英語版: Queen Mary Hospital)、プリンス・オブ・ウェールズ病院英語版(英: Prince of Wales Hospital)という2つの病院が流行発生の中心地となった[10][80]。この病院での流行後、アモイ・ガーデンズと呼ばれる高層マンション群でも集団感染が発生した。この流行のインデックス・ケースは、プリンス・オブ・ウェールズ病院で慢性腎臓病の治療を受けており、アモイ・ガーデンズに弟を訪ねて行った男性と推定されている[80]。トイレ排水システムを通じてウイルスを含んだエアロゾルが浮遊し、これが感染拡大の一助になったと考えられているほか[85][86]齧歯類ゴキブリの関与も示唆されている[80]。香港市民は、市民への情報提供が遅すぎるのではないかと心配し、sosick.org と呼ばれるウェブサイトを立ち上げて、SARSに関する情報を随時発表するよう香港政府への働きかけを強めていった[87]

トロント

カナダトロントでのSARS初報告は、2003年2月23日のことである[88]。メトロポール・ホテルに宿泊し、香港旅行から帰国した女性に始まり[80]オンタリオ州の257人がウイルスに感染した。トロントでのアウトブレイクには2つの流れがあり、第2波では、トロントの大病院内で、偶発的なウイルス暴露を受けた患者・見舞客・スタッフ間にSARSが拡大した。WHOは2003年6月末に、トロントをSARS流行地から外した[89]

カナダ政府公式の反応は、アウトブレイク発生後数年に渡って広く批判され続けた。オンタリオ州の SARS Scientific Advisory Committee(SARSに対する科学的助言委員会)の副委員長だったブライアン・シュワルツ(英: Brian Schwartz)は、公衆衛生当局の準備と、アウトブレイク時の緊急対応に対し、「ごくごく基本的で、よくても最小限と言ったところ」(英: “very, very basic and minimal at best”)と回想している[90]。当時の対応を批判する人々は、お粗末な概要のまま施行された医療関係者保護用のプロトコルと、ウイルス感染が拡大している時に必要な、感染者洗い出しシステムの欠陥について指摘する。SARSアウトブレイクに対する恐れと不確かな情報のせいで、暴露リスクを取るくらいならと医療スタッフが辞職していき、結果として当該地区ではスタッフ不足に悩まされることになった。

社会の反応

感染した野生動物を食べてウイルス感染することへの恐れから、中国南部や香港では、公的な取引禁止や、食肉市場での取引減少などの動きが見られた[91][49]。中国では、美食の街として知られ、多くの動物種を食肉として扱う広東の伝統が、SARSアウトブレイクを起こした重要な原因のひとつと指摘されることが多い。

トロントに住むアジア人たちは、トロントでSARSアウトブレイクが発生した際、少数民族として差別を受けた。地元の擁護団体は、アジア人たちが、地元住民やタクシードライバーに無視されたり、公共交通機関の利用を避けたりしたと報告している[92]ボストンニューヨーク市では、エイプリルフールの悪ふざけとして噂が回り、中華街に経済的損失をもたらした[93]

WHOの渡航自粛勧告もあり[3]、世界的に流行地への渡航を控える傾向が見られ、これらの地域の観光業や航空業は大きなダメージを受けた[94]

SARS陰謀論

また、この病気はアジア人、特に中国人を標的として意図的に流行させられたものだとするSARS陰謀論も出た[95][96]

日本での対応

中国での流行を受けて、厚生労働省は2003年4月3日に、SARSを感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律(感染症法)の「新感染症」に指定した[97]。その後4月7日に、WHO指針(厚生労働省から3月18日発表)に専門家の意見を加えた独自の管理指針を通達した[98]。ウイルス特定後の同年7月14日に指定感染症となった後[99]、感染症法の改正[100]を受け、同年11月5日に第一類感染症となった。その後2007年4月1日の感染症法改正施行[101]で、分類が見直されて第二類感染症へ変更された。

2003年5月には、観光旅行で来日して近畿地方を訪れた台湾人医師が、帰国後SARSコロナウイルス陽性と分かる一件があり、国立感染症研究所や大阪市保健所などが調査を行ったが、二次感染は確認されなかった[102][103][104][105]

日本では管理指針に示された「疑い例(Suspected case)」・「可能性例(Probable case)」が複数発生したが、他疾患の診断が付くなどしていずれも後に否定された[14][106]

またSARS感染患者搬送用の救急車や治療・入院を行う病院が整備された。2003年7月には日産自動車の関連会社である日産車体京都府へ重症急性呼吸器症候群患者対応救急車の第1号車を寄贈したのを皮切りに、同様の車両が多くの自治体に導入されている[107]

封じ込めの成功

国・地域別に見た感染者数の推移(2003年3月から7月)。香港を中心とした流行の後、中国本土・カナダ・台湾での流行がこれに引き続いた

世界保健機関は、2003年7月5日にSARS封じ込め成功を発表した[注釈 4][108][109]

封じ込め成功後も、2003年12月と2004年1月、さらに同年4月から5月に、中国で3例のSARS散発例と、実験室での偶発的暴露で感染した3例が報告され、総勢14名が感染したことが分かっている[106][110]。うち1件では、感染した看護師の女が、複数人に感染を広げたことが分かっている[106][110][111]

封じ込め成功の声明でWHOが示したように[108]、研究者の安全確保が必要であり、SARSコロナウイルスの研究をする際には、活性ウイルスではBSL-3相当の施設が必要であり、不活化ウイルスではBSL-2の施設が望ましい[112]


注釈

  1. ^ 介護や同居、キスなどが挙げられており、近くを通り過ぎたり、同じ部屋で短時間過ごすなどでは感染しないとされている[8]
  2. ^ 経歴調査で、最初期の感染者に食用動物を扱う販売業者やレストランの従業員がいたことも判明していた[44][45][46]
  3. ^ この患者は後に回復した[60]。最初の死者は、香港での流行のインデックス・ケースとなった中国人医師と考えられている[59]
  4. ^ ここでいう「封じ込め」とは新たなヒト=ヒト感染や感染拡大の可能性が無くなったことを示すもので、感染者がいなくなったことを示すわけではない。実際にWHOの声明でも、「サーベイランスの網をくぐり抜ける患者がいるかもしれない」として、感染状況に引き続き注視するよう呼びかけている[108]

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