世界保健機関(WHO)は、1945年に国連で国際的な保健機関の必要性について議論があって1948年4月7日に設置されました。この日は毎年世界保健デーとされています。他のいくつかの国際機関と同様、スイスのジュネーブに本部があります。加盟国は現在193カ国です。
毎年5月に世界保健総会が開催され、様々な保健上の課題を議論して意思決定を行っていますが、将来の世界保健総会での課題の検討など上位的な意思決定については、日本からを含む34人の委員から構成される実行委員会で行っています。
WHOには現在6つの地域事務局が各地にあり、日本は中国、韓国、ニュージーランドなどと同様に西太平洋領域に含まれており、その事務局(Western Pacific Regional Ofiice: WPRO)はフィリピンのマニラに設置されています。
たばこについては1980年代からの世界禁煙デーのほか、1998年にたばこのない世界構想(Tobacco Free Initiative: TFI)が設置され、また2003年にはたばこ規制枠組条約が成立、2005年に発効しています。これはWHO初の公衆衛生での国際条約です。
ダブリューエッチ オー 【 WHO 】 〔World Health Organization〕
WHO
世界保健機関 WHO World Health Organization
WHO憲章では「健康とは、完全な肉体的、精神的及び社会的福祉の状態」であるとし、その目的を、「すべての人民が可能な最高の健康水準に到達すること」と定めています。
この目的達成のためにWHOは、国際保健事業の調整、保健事業援助、伝染病・風土病撲滅、衛生状態改善、保健関連条約の提案・勧告、医療・衛生等の国際基準策定といった幅広い任務が与えられています。80年には天然痘の完全撲滅を宣言しました。近年は、HIVエイズやエボラ熱等の新種感染症への対処やリプロダクティブ・ヘルス、生命倫理等の分野でも積極的に貢献しています。
神戸には健康開発総合研究センターが設置されています。本部はジュネーブ、加盟国数は2000/8現在で191。日本は51年に加盟。
世界保健機関(WHO)
世界保健機関 (WHO, World Health Organization)
世界保健機関
【英】:World Health Organization,WHO
who
【原文】WHO
国際連合の一機関で、世界中の大きな保健問題に対処している。whoは、疾患制御、ヘルスケア、医療に関する標準の設定;教育および研究プログラムの実施;科学論文および報告の公開などを行っている。その主要な目標のひとつに、発展途上国の人々や良好なヘルスケアを受けていない人々におけるヘルスケアへのアクセスの改善がある。本部はスイスのジュネーブにある。「world health organization(世界保健機関)」とも呼ばれる。
世界保健機関、who
WHO
世界保健機関
世界保健機関は、1948年、55カ国のメンバーにより、国際連合の専門機関として設立され、60周年を迎える。当時の課題としては、マラリア、女性と子どもの健康、結核、性病、栄養、環境衛生であったが、現在でもこれらの問題は解決されていない。2008年現在、193カ国と2つのメンバーが加盟し、年一度、世界保健会議(WHA World Health Assembly)が開催され、グローバルヘルスの課題および解決策を協議する。ジュネーブに本部を持ち、6つの地域事務局(ヨーロッパ、アフリカ、東地中海、南東アジア、西太平洋、アメリカ)を有し、世界のすべての人々の肉体的、精神的及び社会的な健康を目指している。
具体的な活動としては、保健医療情報の収集公開や国際基準の設定、多国間協力の推進、災害対策、感染症対策、健康都市問題の取り組み推進があげられる。これまでの活動の一番大きな成果としては、1979年に天然痘を撲滅した事があげられる。その後は、拡大予防接種計画(EPI)、結核のための短期直接監視下治療(DOTS)、子どもへの幅広いケアのための小児期疾患総合管理対策(IMCI)、妊産婦対策に家族計画を含むリプロダクティブヘルス対策、緊急人道援助などを、重点活動として推進している。最近では、新たに発生した感染症やすでに克服されたと思われていた感染症の再興に対しての対策を新興・再興感染症」の問題として総合的・重点的に対策を講じている。(仲佐保)
参考URL:WHOホームページ http://www.who.int/en/
WHO【WHO】
世界保健機関
世界保健機関
(WHO から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/12/11 07:33 UTC 版)
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各国語表記 World Health Organization(英語) | |
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概要 | 専門機関 |
略称 | 英語: WHO フランス語: OMS |
代表 | テドロス・アダノム |
状況 | 活動中 |
活動開始 | 1948年 |
本部 | スイス・ジュネーヴ |
公式サイト | World Health Organization(日本語) World Health Organization(英語) |
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世界保健機関(せかいほけんきかん、英: World Health Organization, WHO、仏: Organisation mondiale de la santé, OMS)は、人間の健康を基本的人権の一つと捉え、その達成を目的として設立された国際連合の専門機関(国際連合機関)である。略称は英語式(WHO)と仏語式(OMS)で異なる。日本をはじめ多くの国では英語略称のWHO(ダブリュー・エイチ・オー)が多用される。(以下「WHO」と表記する。読みについては後述)
1948年設立。本部はスイス・ジュネーヴ。設立日である4月7日は、世界保健デーになっている。
WHOでは「健康」を「身体的、精神的、社会的に完全な良好な状態であり、たんに病気あるいは虚弱でないことではない」(WHO憲章前文)と定義しており、非常に広範な目標を掲げている。
そのために、病気の撲滅のための研究、適正な医療・医薬品の普及だけでなく、基本的人間要請 (basic human needs, BHN) の達成や健康的なライフスタイルの推進にも力を入れている。また組織の肥大化と共に企業との癒着構造が問題として指摘されている。[要出典]
目次
WHOの活動内容
- 世界保健機関憲章第1条「すべての人々が可能な最高の健康水準に到達すること」を目的とする
- 情報の収集公開や国際基準の設定(国際疾病分類(ICD)の作成など)
- 多国間協力の推進
- 災害時緊急対策
- 感染症対策(痘瘡根絶、拡大予防接種対策)
- 都市に住む人の健康を守り、生活の質を向上させるため、WHO健康都市に対する取り組みの推進
組織
WHOの最高意思決定機関は総会である。総会には加盟国すべてが代表を送ることができる。総会においては3分の2の多数によって条約や協定を制定することができる。この条約は加盟国には強制力はないものの、加盟国はたとえ自国の代表が反対した条約でも18ヶ月以内に国内での採択に向けて何らかのアクションを起こさなければならない。また、総会においては34カ国の委員を3年任期で執行理事会理事に選出し、これによって構成される執行理事会が総会の執行機関となる。また、常設の事務局があり、総会の議決に基づき通常業務を行う。事務局長がWHOのトップとなる。事務局長は総会において選出される。[1]
2016年5月現在、194の国と地域が加盟している[2]。
右の図のように、世界に6つの地域事務局が置かれ、それぞれに管轄地域が与えられている。
歴代事務局長
代 | 肖像 | 氏名 | 就任日 | 退任日 | 出身国/地域 |
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1 | ![]() | ブロック・チゾム | 1948年7月21日 | 1953年7月21日 | ![]() |
2 | ![]() | マルコリーノ・ゴメス・カンダウ | 1953年7月21日 | 1973年7月21日 | ![]() |
3 | ![]() | ハルフダン・T・マーラー | 1973年7月21日 | 1988年7月21日 | ![]() |
4 | ![]() | 中嶋宏 | 1988年7月21日 | 1998年7月21日 | ![]() |
5 | ![]() | グロ・ハーレム・ブルントラント | 1998年7月21日 | 2003年7月21日 | ![]() |
6 | ![]() | 李鍾郁 | 2003年7月21日 | 2006年5月22日 | ![]() |
臨時 | ![]() | アンデルス・ノルドストレム | 2006年5月22日 | 2007年1月4日 | ![]() |
7 | ![]() | 陳馮富珍(マーガレット・チャン) | 2007年1月4日 | 2017年7月1日 | ![]() |
8 | ![]() | テドロス・アダノム | 2017年7月1日 | (現職) | ![]() |
付属機関
- 国際がん研究機関(IARC)
- WHO健康開発総合研究センター(WHO神戸センター、WKC)
歴史
全世界的な公衆衛生や健康に関する最初の国際的機関は、1907年12月に発足した国際公衆衛生事務局である。本部をパリに置いたこの機関は、12カ国が「公衆衛生国際事務局設置に関する千九百七年のローマ協定」[3]に調印することによって発足し、当初はヨーロッパだけを対象としたものだったのが、第一次世界大戦の勃発する1914年までには60カ国が参加するまでになっていた。第一次世界大戦後、発足した国際連盟は国際公衆衛生の専門機関を発足させようとしたが、国際公衆衛生事務局は原調印国であるアメリカ合衆国が国際連盟に不参加を決めたため、連盟とは別組織のままで存続することとなった。第二次世界大戦後、新たな健康に関する国際機関の設立が提唱され、1946年7月22日に国連経済社会理事会が世界保健機関の憲章を採択。連盟の保健局や国際公衆衛生事務局を解散して、1948年4月7日に世界保健機関が設立された[4]。 日本は1956年の国際連合加盟に先立つ1951年5月にWHOに加盟した。
天然痘の撲滅
WHOの功績の中でももっとも輝かしいものは、天然痘の撲滅に成功したことである。天然痘は非常に高い致死率を持ち世界各地で多大な死者を出した病気であったが、症状が明確に判別できるため対処しやすく、ヒト以外に感染することがないため人間のみの対策で対処でき、さらに種痘による完全な予防法が確立されていたことから、撲滅は原理的には可能であると考えられていた。こうしたことから、1958年に総会でソ連の生物学者ヴィクトル・ジダーノフが提案[5]した「世界天然痘根絶決議」の全会一致の可決で撲滅計画は始まったが、当初は人類すべてへの種痘による撲滅を目指していたため、医療や行政の整っていない発展途上国においては対策が行き届かず、撲滅にはほど遠い状態がつづいていた。そこでよりこの計画を推進するため、1967年には特別予算が組まれるとともに、10年後の1977年までに天然痘を撲滅させることが明確に謳われた。このときに方針が転換され、流行地域において賞金を懸けることで患者を発見し、患者が見つかるとその患者に接触した人物を根こそぎ調べ上げて徹底的にその周囲で種痘を行う、いわゆる封じ込め政策へと移行した[6]。このとき、世界には天然痘の患者が1000万から1500万人いると推定されていた。しかし、この封じ込め政策は功を奏し、患者数は激減していった。1970年代に入ると南アジアと南アメリカで相次いで撲滅が宣言され、1977年にソマリアで発見された患者を最後に天然痘は地球上から姿を消した。そして、患者が発生しなくなってから3年後の1980年、WHO総会は天然痘の撲滅を正式に宣言した。[7]
ポリオやその他感染症の撲滅計画
天然痘を撲滅したWHOが次に撲滅の目標に定めたのは急性灰白髄炎(ポリオ)だった。1988年には「世界ポリオ撲滅計画(Global Polio Eradication Initiative)」が開始され、2000年までのポリオ撲滅が謳われた。しかしその後計画は難航し、2016年現在、いまだパキスタン、アフガニスタン、ナイジェリアの3か国においてポリオ患者が発生している状態となっている。このほか、1995年には「アフリカ・オンコセルカ症対策計画(African Programme for Onchocerciasis Control)」が開始され、オンコセルカ症(河川盲目症)の撲滅が進められている。
多剤耐性菌について
WHOは2017年2月27日に多剤耐性菌の警戒リストを初めて公開した。このリストによると、最も危険度が高いものとして『アシネトバクター、緑膿菌、エンテロバクター』が挙げられた。その次に危険な物として『ヘリコバクター・ピロリ、サルモネラ』などが挙げられた。WHOは新たな抗生物質の開発を急ぐとともに抗生物質の適切な使用を呼びかけている。[1]
論争となった出来事
新型インフルエンザ、パンデミック誤警告と企業癒着問題
2009年から10年にかけての新型インフルエンザの世界的流行に際し、WHOのマーガレット・チャン事務局長は「今、すべての人類が脅威にさらされている」として、新型インフルエンザをすべての人類の脅威とする広報を行った。その後、新型インフルエンザが弱毒性である事が発覚するも、顕著な感染や死亡の被害が著しい事態を想定した警告であるフェーズレベル6/6と警告し、パンデミック(世界的大流行)を宣言した。 しかし初の「国際的に懸念される公衆衛生上の緊急事態」(PHEIC)の対象にまでになった新型インフルエンザは前例のない保健当局と科学者と製薬会社が強力に連携する体制をもたらしたが[8]、実際は他の季節性インフルエンザと大差ないレベルのインフルエンザで被害も小さなものであった[9]。
一連のWHOの誤報への批判が高まり[10]、これを重く見た欧州議会は、パンデミック宣言に至った経緯の調査に踏み出す事態となった。欧州議会のボーダルク前保健衛生委員長は、WHOの宣言は偽のパンデミックであったとして問題提起をしている。WHOの意思決定には製薬会社の意向が大きく影響した可能性が高いとしている。製薬会社は研究所などで働く科学者へ大きな影響力を持っており、この事と今回WHOが広く科学者の意見を求めた事がその影響力を強める原因になったと語っている。一方、新型インフルエンザワクチン製造なども行い、世界最大規模の製薬会社であるグラクソ・スミスクライン社(英国)は、製薬会社がWHOのパンデミック宣言に影響を与えているなどの認識は誤りであるとインタビューに応えている[11]。
2010年1月になるとワクチンが世界的に余剰状態となり、キャンセルや転売が相次ぐ事態となっている。
IAEAに従属
1959年に結んだIAEAとの規定では、「IAEA(原発推進を掲げている)の許可なしに、放射線の影響における科学論文を公表してはならない」となっている[12]。WHO議長はこの事について「WHOがIAEAに従属しているので、健康は原子力に従属する」と発言している[13]。
読みについて
英語式略称の WHO は「ダブリュー・エイチ・オー」とイニシャル読みするのが正しく、「フー」とアクロニム読みにはしない。しかし、辞書によっては「フー」という表記も見られる[14][15]。
世界保健機関に対する顕彰
- メアリー・ウッダード・ラスカー公益事業賞(1976年)
- アストゥリアス皇太子賞(2009年)
主な出身者
脚注
- ^ 「世界地理大百科事典1 国際連合」p324-325 2000年2月1日初版第1刷 朝倉書店
- ^ “Countries”. 2016年6月1日閲覧。
- ^ 日本国外務省、公衆衛生国際事務局設置に関する千九百七年のローマ協定
- ^ 「世界地理大百科事典1 国際連合」p322-323 2000年2月1日初版第1刷 朝倉書店
- ^ Fenner, Frank (1988). “Development of the Global Smallpox Eradication Programme”. Smallpox and Its Eradication (History of International Public Health, No. 6). Geneva: World Health Organization. pp. 366–418. ISBN 92-4-156110-6 .
- ^ 「人類と感染症の歴史 未知なる恐怖を越えて」p24 加藤茂孝 丸善出版 平成25年3月30日発行
- ^ 「世界地理大百科事典1 国際連合」p330 2000年2月1日初版第1刷 朝倉書店
- ^ Abelina A (2011年). “Lessons from pandemic influenza A(H1N1) The research-based vaccine industry's perspective” (PDF). Vaccine 29: 1135–1138. doi:10.1016/j.vaccine.2010.11.042. PMID 21115061. オリジナルの2011年10月9日時点によるアーカイブ。 .
- ^ “(UPDATE) WHO declares first 21st century flu pandemic / Reuters”. ABS-CBN News. (2009年6月11日). オリジナルの2009年6月12日時点によるアーカイブ。 2014年6月25日閲覧。
- ^ WHO admits errors in handling flu pandemic Posted by NBS
- ^ Alex Newman (2010年1月5日). “Europe to Investigate WHO 'False Pandemic' Scandal”. The New American 2014年6月25日閲覧。
- ^ IPPNW12p
- ^ ECRR 2010年勧告49p
- ^ Weblio辞書の三省堂・大辞林の世界保健機関に「WHO。フー。」と記載がある。
- ^ 医師の転職支援「専門医局」サイトの用語集に「WHO(フー)」として、世界保健機関の記載がある。
関連項目
外部リンク
- 社団法人 日本WHO協会
- World Health Organization(日本語) - 世界保健機関(WHO)
- World Health Organization(英語) - 世界保健機関(WHO)
- International Agency for Research on Cancer(英語) - 国際がん研究機関(IARC)
- 台湾のWHO加盟
- WHO西太平洋地域内における健康都市連合日本支部
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Who
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/12/06 16:00 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動WHO、Who、who
一般
組織
作品名
音楽
- WHO (アルバム) - Ricken'sのアルバム。
- ¿WHO? - 木村カエラのアルバム。
- Who... - 浜崎あゆみの楽曲。アルバム『LOVEppears』に収録。
漫画
テレビシリーズ
- ドクター・フー (Doctor Who) - イギリスBBCで放映されているSFテレビドラマシリーズ。
情報処理
- Who (UNIX) - コンピュータにログインしているユーザの一覧を表示するUnix系オペレーティングシステムのコマンド。
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WHO!?
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/05/03 05:14 UTC 版)
『WHO!?』(フー)は、板本こうこの漫画。少女漫画雑誌「mimi」(講談社)で連載された。単行本は講談社KC mimiより全8巻で刊行された。1997年にはTBS系列でテレビドラマ化された。
あらすじ
高校3年生の東山風子(ふうこ)は、父親の転勤を機に、東京は向島にある大福屋(だいふくや)という和菓子店の長男・吉生と結婚する。店を切り盛りするしっかり者の母親をはじめ、父親・おじいちゃん・おばあちゃん・姉・妹・弟の8人家族に飛びこんだ、風子の新しい生活が始まる。
テレビドラマ
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ドラマ |
TBS系の「花王 愛の劇場」枠で、1997年9月1日から10月31日に放送された。放送時間は月曜から金曜の13:00-13:30(JST)。全9週、45回。
キャスト
- 東山風子 - 星野真理(現・星野真里)
- 高校3年生。将来の夢は「お嫁さん」。たまたま通りかかった「大福屋」の店頭で吉生を見て、一目ぼれする。
- 大福美乃 - 木の実ナナ
- 和菓子店「大福屋」の女将。吉生の母。
- 大福吉生 - 正木蒼二
- 「大福屋」の和菓子職人。
- 大福吉乃 - 杉本彩
- 大福吉美 - 渋谷琴乃
- 大福吉郎 - いしいすぐる
- 三枝美里 - そめやゆきこ
- 田村愛 - 前田亜季
- 大福吉兵衛 - 奥村公延
- 大福家のおじいちゃん。
- 大福カツ - 銀粉蝶
- 大福サダ - 花原照子
- 大福吉造 - 石橋正次
- 小倉 - 田中優樹
- 由美 - 真家瑠美子
スタッフ
- 脚本 - 宇山圭子、村田恭子、田中裕之
- 演出 - 日名子雅彦、岡島明、北川学
主題歌
- 「Feel」GARDEN
TBS 花王 愛の劇場 | ||
---|---|---|
前番組 | 番組名 | 次番組 |
ラブの贈りもの2 (1997.7.21 - 1997.8.29) | WHO!? (1997.9.1 - 1997.10.31) | さしすせそ!? (1997.11.3 - 1997.12.26) |
Who!
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2013/06/21 09:10 UTC 版)
Who! | |
---|---|
ジャンル | SF漫画 |
漫画 | |
作者 | 佐々木淳子 |
出版社 | 東京三世社 |
掲載誌 | 少女コミック他 |
レーベル | マイ・コミックス シティコミックス ベルコミックス |
発売日 | 1981年2月10日(マイ・コミックス) 1983年9月1日(シティコミックス) 1993年5月31日(ベルコミックス) |
巻数 | 1 |
話数 | 7 |
テンプレート - ノート | |
ウィキプロジェクト | 漫画 |
ポータル | 漫画 |
![]() |
---|
『Who!』(フー)は、佐々木淳子による日本の漫画短編集。佐々木の描く数々のSF漫画の中でも、小学館の『少女コミック』(以下、少コミと略)収録作品を始め、比較的初期の短編作品を集めた作品集である。1981年に東京三世社からマイ・コミックスとして発売。後に1983年にシティコミックス、1993年にベルコミックスとしてそれぞれ同社から発売されており、収録作品の内容や順序は多少異なる。
収録作品
- 赤い壁
- のこされたこころ
- メッセージ
- 『少コミ』1979年9月30日増刊号掲載。シティコミックス版には未収録。
- サミオ・イーノ少年は、500年前に難病のために冷凍睡眠となった女性メグミ・イワクラに遭遇し、彼女が自分の前世だと確信する。やがて治療技術の確立によりメグミは覚醒するが、それにつれて次第にサミオの体調の変化が現れる。
- ミューンのいる部屋
- 『少コミ』増刊デラックス1979年1月27日号掲載。
- 幼い母子家庭児のフィルは孤独な生活の中、いつしか空想の幻と遊ぶことを覚えた。幻は当然フィルにしか見えず、母は彼を奇異な目で見る。だがある日、その幻が見えるという少女ミューンが現れる。
- 母はやさしくほほえんで
- 『少コミ』1979年2月25日増刊号掲載。
- 羽柴佳澄は、どんなことでも決して怒らない優しい母にいつも頼ってしまう。学校でのふとしたトラブルから取り返しのつかない事態に陥った佳澄は、母にすべてを打ち明ける。
- Who!
- 『少年少女SFマンガ競作大全集』(東京三世社)Part7に掲載。わずか4ページのショートショート作品。
- 自転車事故で気絶した少年。目覚めてみると、周囲に人が誰もいない。どこへ行っても、翌日になっても、誰もいない。当惑する彼は、ついに1人の女性を見つける。
- リディアの住む時に…
- 『少コミ』1978年5月3日増刊号掲載。独創的なアイディアや短いページ数の中での構成力など、佐々木の初期作品の中でも傑作として評価が高い[1]。
- 主人公ゼブ・ウィンタースは山奥でのドライブ中、ビイという少女に出会う。なぜかゼブのことを知っていたビイは自分の館での葬儀の場に彼を招く。そこにいた9人の女性は、7歳から71歳まで8歳ずつ年齢が異なり、9人全員が同じ顔をしていた。
脚注
固有名詞の分類
- WHOのページへのリンク