伊勢神宮
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/01 09:45 UTC 版)
概要
伊勢神宮には天照坐皇大御神(あまてらしますすめおおみかみ。天照大御神)を祀る皇大神宮と、衣食住の守り神である豊受大御神を祀る豊受大神宮の二つの正宮があり、一般に皇大神宮は内宮(ないくう)、豊受大神宮は外宮(げくう)と呼ばれる[7]。
広義には、別宮(べつぐう)、摂社(せっしゃ)、末社(まっしゃ)、所管社(しょかんしゃ)を含めた合計125の社宮を「神宮」と総称する[8]。この場合、所在地は三重県内の4市2郡に分布する(後述)[9]。
他の多くの神社は仏教建築の影響を受け、瓦屋根や朱塗りの建物に変わっていったが、伊勢神宮は神明造という古代の建築様式を受け継いでいる。これは弥生時代の高床式倉庫が起源で、神へのお供え物をする特別な建物だったといわれている。また、式年遷宮が20年に一度行われる(後述)。
伊勢神宮は皇室の氏神である天照大御神を祀るため、歴史的に皇室・朝廷の権威との結びつきが強く[10]、南北朝時代に途絶するまで斎宮が設けられた。現代でも天皇・皇后が参拝[11]するほか、内閣総理大臣及び農林水産大臣が年始に参拝することが慣例となっている。
中世以降は皇室のみならず、「国家の総鎮守」として庶民を含むあらゆる階層から信仰を集め膨大な数の参拝者を生むようになり、とりわけ江戸時代には短期間で数百万人が参拝する「お蔭参り」が生じるなど、日本の信仰の中心地となった(後述)。
現在の祭主は黒田清子(第125代天皇明仁第1皇女子、第126代天皇徳仁妹)、大宮司は久邇朝尊[12]。
祭神
主祭神は以下の2柱。
主祭神以外については、各宮の項目を参照。
創祀
神話

天孫・邇邇芸命が降臨した(天孫降臨)際、天照大御神は三種の神器を授け、その一つ八咫鏡に「吾が児、此の宝鏡を視まさむこと、当に吾を視るがごとくすべし。」(『日本書紀』)として天照大御神自身の神霊を込めたとされる。この鏡は神武天皇に伝えられ、以後、代々の天皇の側に置かれた。しかし、第10代崇神天皇の治世に、鏡は大和笠縫邑に移され、皇女豊鍬入姫がこれを祀ることとされた。これは、崇神天皇5年に、疫病が流行り多くの人民が死に絶えたことで、天皇の側で神鏡を祀っているのが恐れ多いことであると考えられ、崇神天皇6年に従来宮中に祀られていた天照大御神と倭大国魂神(大和大国魂神)を皇居の外に移したのである。
その後八咫鏡は皇女の倭姫命に託され、倭姫命は天照大御神の神魂(すなわち八咫鏡)を鎮座させる地を求め旅をして各地を移動した。『日本書紀』に「倭姫命、菟田(うだ)の篠幡(ささはた)に祀り、更に還りて近江国に入りて、東の美濃を廻りて、伊勢国に至る。」とある通り、垂仁天皇25年3月に倭姫命は伊勢に至った(元伊勢伝承)。倭姫命が伊勢に至ると、天照大御神から「この神風(かむかぜ)の伊勢の国は常世の浪の重浪(しきなみ)帰(よ)する国なり。傍国(かたくに)の可怜(うまし)国なり。この国に居(を)らむと欲(おも)ふ」との神託が降り、伊勢の地に鎮座することが決まったのである。移動中に一時的に鎮座された場所は元伊勢と呼ばれている。なお『古事記』には、この経緯について崇神天皇記と垂仁天皇記の分注に伊勢大神の宮を祀ったとのみ記されている。
外宮は、平安時代初期の『止由気宮儀式帳』(とゆけぐうぎしきちょう)[注釈 4]によれば、雄略天皇22年7月に、天照大御神から雄略天皇に「吾一所に坐せば甚(はなはだ)苦し。しかのみならず大御饌も安く聞召(きこしめ)さず坐すが故に、丹波国(後に丹後国として分割)の比沼真奈井(ひじのまない)に坐す我が御饌都神(みけつかみ)、等由気大神(とゆけのおおかみ)を我が許に欲す」との神託があったとされ、この神託の通り、豊受大神を丹波国の真奈井原(まないはら)から伊勢山田原へ、天照大御神の食事を司るための神として遷座したことが起源とされる。
考証
津田左右吉の研究以来、歴史学においては『古事記』や『日本書紀』の応神天皇条以前の記述はほぼ史実として認められておらず[13]、上述の神話の伝承も、歴史的事実とは考えられていない。そのため、これまでに多くの研究者が、複数の学術分野から伊勢神宮の史実上の創祀年代について検討してきた。他方で、『日本書紀』の神宮創祀伝承の箇所の異伝に、神宮の創始を「丁巳年」と記していることについて、伝承の内容は史実でなくとも、干支に関しては実際の創祀年がそのまま記述された可能性が高いとして、丁巳に該当する西暦年の中から、最も可能性が高いと考えられる年号を伊勢神宮の創祀年と想定する見解も複数示された[14]。
これまでに提示されてきた伊勢神宮創祀年の主な説としては、垂仁朝説、5世紀後半の雄略朝説、6世紀前半の継体もしくは欽明朝説、6世紀後半の用明・推古朝説、7世紀後半の天武・持統朝説、7世紀末の文武朝説などが挙げられる[15]。
成立を最も早く見る垂仁朝説には、歴史学者の阪本広太郎、田中卓、岡田登らがいる[16]。阪本は、日本神話の神宮創祀伝承を史実として認める立場をとり、伝承の通り倭姫命が垂仁天皇25年に倭笠縫邑を発し、その後の伊勢までの巡行に1年を要したとして、丁巳年に当たる垂仁天皇26年に伊勢神宮が創祀されたとする説を提示し、その西暦年代については『日本書紀』の紀年法に従って機械的に換算した紀元前4年とした[16]。なお、阪本の説は、阪本が著し神宮司庁により発行された『神宮祭祀概説』が採用している説であり、現在の伊勢神宮の公式見解とされる[17]。岡田登も、神宮創始を垂仁天皇26年とした上で、それに該当する西暦年代については、『日本書紀』の讖緯説に基づく暦の修正、箸墓古墳の炭素年代測定に基づく年代、他の文献の崇神天皇・垂仁天皇の崩御干支などから、297年に比定した[17]。田中卓も、神宮創祀は垂仁天皇朝だとし、その西暦年代は3世紀であると推定した[18]。
5世紀後半の雄略朝説と見る立場の主な研究者には歴史学者の岡田精司らがいる[15]。岡田は、ヤマト王権が中国への朝貢を停止し、冊封体制から離脱を図った5世紀後半の雄略天皇の時代に、王権の強化を図る必要性から王権祭祀が改革され、東国経営の進展と相まって大王守護神の斎場が大和地域から伊勢地域に移されて伊勢神宮が成立したと主張した[19]。そして、雄略天皇の治世下でかつ丁巳年に該当する477年を、伊勢神宮の具体的な創祀年代と結論づけた[20]。岡田は、『皇大神宮儀式帳』にも「度会宮」の創始年として雄略天皇の「丁巳年」(すなわち477年)とあることに着目し、この「度会宮」は外宮を指すものではなく、内宮と外宮が分離する以前の最初期の伊勢神宮の呼称であるとし、477年成立説の根拠の一つとした[20]。
6世紀前半の継体もしくは欽明朝説をとる研究者としては直木孝次郎、前川明久、和田萃などがいる[15]。直木は、伊勢神宮はもともと皇室の氏神ではなく伊勢在地の神であったが、王権が東国経営の観点から伊勢地域を重視しはじめ、6世紀前半の欽明天皇の時代頃より伊勢の地方神が天皇から崇敬を受けるようになり、次第に皇祖神と習合し、天武・持統朝に伊勢神宮が国家最高の神社として確定したと主張した[21]。ただし、直木の「地方神昇格説」は、上述の岡田精司から「王権守護神は王権の呪術的権力の基盤であり、よほどの事情がない限り祭神の変更はあり得ないことで、地方神が王権神に昇格するようなことは、世界の宗教史上でも例を見ない」などと反論を受けている[22]。前川は、欽明天皇の時代にヤマト王権が三輪山の祭祀権を掌握し、三輪神の持つ農耕神的神格を、王権が祀る日神と習合させて天照大御神という神格を形成し、東国経営の基地として伊勢多気の地に遷座したとした上で、最終的に多気から度会に遷座されたのは、斉明天皇の治世下の「丁巳年」に該当する斉明天皇3年(657年)と推定した[23]。一方、和田萃は、6世紀前半で「丁巳年」に当たる537年を神宮の具体的な創祀年として推定している[14]。
6世紀後半の用明・推古朝説をとる研究者には、歴史学者の鶴岡静夫などがいる[15]。推古天皇の在位下では、推古天皇5年(597年)が丁巳年に該当する。
7世紀後半の天武・持統朝説をとる研究者には、歴史学者の丸山二郎、建築学者の川添登らがおり、7世紀末の文武朝説をとる研究者には、神話学者の筑紫申真、仏教史学者の田村圓澄などがいる[15]。これらの所説は、「伊勢神宮成立」の定義の要件を、アマテラスという具体的な神格を祀る神社としての成立に求めるため、相対的に新しく神宮の成立を考えるのである[15]。
また、近年では考古学の分野における研究も進み、考古学分野では5世紀後半の雄略天皇朝の成立が最有力説となっている[24]。考古学者の穂積裕昌は、4世紀代に伊勢地域に築造されたと考えられる前方後方墳や円墳に、ヤマト王権で重んじられた銅鏡や腕輪形石製品・儀丈形石製品が副葬されていることから、この時点でヤマト王権と伊勢地域は繋がりを有してたと考え、また5世紀に入り南伊勢地域に久居古窯などの須恵器窯跡群が見られるようになり、同地で須恵器生産が開始されたと考えられることを王権と南勢地域との関係の証左と捉え、さらに伊勢神宮内宮から広範に出土する各種祭祀遺物から、内宮に当たる空間が5世紀の時点で巨大な祭場であったと結論づけ、5世紀後半の雄略朝を伊勢神宮成立の画期と評価した[25]。祭祀考古学者の笹生衛も、5世紀の各地の祭祀遺跡から出土する調理具類、紡織具類、琴、土師器・須恵器、製塩土器、案、高床倉部材などが、『皇太神宮儀式帳』に記載される伊勢神宮の祭儀で用いられる器具と一致すると指摘し、伊勢神宮の神宝・装束、祭式の構成は、5世紀以来の系譜を持つと指摘した[26]。また、考古学者の八賀晋は、全国に24面ある「画文帯同向式神獣鏡」が伊勢湾周辺だけで合計7面出土し、3割近くが伊勢地域に集中する事実に着目し、伊勢が祭祀の場としてヤマト王権により重んじられたことで、5世紀後半から6世紀中頃にかけて集中的に配布されたと指摘し、伊勢神宮の成立を雄略朝に想定した[25]。
他方で、伊勢神宮の存する南伊勢地域には、古墳時代を通じて前方後円墳はおろか際立った首長墳が築造されず、6世紀後半になってようやく横穴式石室をもつ高倉山古墳をはじめ後期古墳の築造が見られ始めることから、5世紀代にはヤマト王権と伊勢地域の関係は希薄であり、6世紀末になって初めて伊勢地域南部をも含めた伊地域全体が大和王権による統一管理体制下に入り、伊勢における王権の祭祀はそれと同時期の6世紀末に開始されたとする見解もある[25]。
注釈
- ^ 法人としての名称も「神宮」であり、事務をつかさどる機関として「神宮司庁」がある。主たる事務所の所在地は伊勢市宇治館町1番地(神宮司庁の所在地)。
- ^ 残りの6社は石清水八幡宮、賀茂別雷神社、賀茂御祖神社、松尾大社、平野神社、伏見稲荷大社、春日大社
- ^ 神宮で、神階が無いのは伊勢神宮と日前神宮、國懸神宮の3宮だけである[要出典]。
- ^ 延暦23年(804)に度会宮(外宮)禰宜・内人が神祇官に提出した外宮の伝承・祭祀などについて記した書。
- ^ カレンダーの日割りによっては1月5日又は6日になる場合もある。
- ^ ただし、2021年は新型コロナウイルス感染症の影響で参拝が見送られた。
- ^ 明治時代以降、式年遷宮の時に宇治橋が架け替えられるようになり、昭和24年(1949年)以降は式年遷宮の4年前に、架け替えられるようになった[要出典]。
出典
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