伊勢神宮 信仰

伊勢神宮

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/21 06:38 UTC 版)

信仰

伊勢神宮への信仰である「伊勢信仰」は、身分の貴賎や職業を問わず広い階層の間で成立し、膨大な数の参宮者を生み出した。伊勢神宮は、長い歴史を通じて日本人の信仰の中心に位置してきた。

概史

前史

古代においては伊勢神宮は民衆から離れた存在であった。延暦23年(804年)に成立した『皇大神宮儀式帳』には

「王臣家ならびに諸民、幣帛を進めせしめず。重ねて禁断す。若し欺事をもって幣帛を進むる人をば流罪に准し、これを勘え給う。」

として王臣・庶民の幣帛を私幣として禁止する条目(私幣禁断)があり、さらに『延喜式』巻4「大神宮式」には

「凡そ王臣以下、たやすく大神に幣帛を供するを得ず。その三后・皇太子もしまさに供すべきものあらば、臨時に奏聞せよ。」

とある通り、東宮・皇后の幣帛も臨時の許可が必要な私幣に分類されていて、伊勢神宮は律令国家全体を司る国家神として、律令の代表者である天皇のみが祭祀を行うものと厳格に捉えられていた[62]。ただ『大神宮諸雑事記』において、承平4年の記録に勅使やそれに付随する人数が「参宮人十万」もしくは「千万」と比喩で表現されている(写本によって数が異なる)通り、伊勢神宮への奉幣にあたっては勅使と膨大な数の付き人が都から参宮しており[63]、そういった人々が都へ帰った際に口頭で神宮について広めることにより徐々に伊勢神宮の存在が多くの人々に知られるようになったと考えられている[64]。また、古代において神宮の神田神郡とされた地域や神宮の神戸とされた戸の人々は神宮への年貢の運搬やその他の労役に際して神宮へ赴き、神宮の存在を知ったものと考えられる[65]

伊勢信仰の成立

このように平安初期まではあくまで天皇や貴族、都の住民などを中心とする信仰しか成立しておらず、庶民層や東国まで神宮の信仰が広がることはなかった。この状況が変わり始めるのが、律令制が弛緩して荘園制が成立する平安時代中期以降である。もともと、伊勢神宮は神戸や神田、神郡からの年貢を経済基盤としていたが、律令制度の崩壊と荘園制の成立に伴い、こういった経済基盤が揺らぎ始めた[66]。そこで、伊勢神宮では11世紀ごろから新たに役夫工米制度が生じた[66]。これにより、神宮の下級神職である権禰宜が役夫工米使となって各地に成立した荘園に在庁官人と共に入り込み、権門勢家や有力寺社の荘園であっても不輸不入の特権を無視して徴税を行うことが許された[35](徴税を担当した神職を口入神主と称する)。この制度により、各荘園において在地の支配者として年貢の納入などを行っていた田堵名主下司開発領主などの豪農層や武士団が伊勢神宮を権門勢家を上回る権威として認識するようになった上、徴税に当たっては口入神主から神宮の神威が説かれたり、伊勢神宮への祈願を取り次いで貰ったりしたことから、土豪層において伊勢信仰が広がり、伊勢神宮を本所と仰いで領地を寄進する例も増えた[67]。こういった上級武士層の伊勢信仰は、元寇における神風伝説などにより、鎌倉時代中期以降御家人地頭級武士層にも広がり、彼らが強い影響力を持った農村にも次第に伊勢信仰が浸透した[68]。また、伊勢神宮に寄進された領地は神宮御厨と称され、年貢が神宮へ納められたが、この御厨に伊勢神宮の神を勧請して天照大御神や豊受大神を祭神とする神明神社が建立されるようになったことも、さらに東国を含む全国の神宮領内の民衆に伊勢信仰が広がる要因の一つとなった。

さらに、伊勢信仰に先行して庶民に広がっていた熊野信仰も伊勢信仰の拡大を手伝った。熊野大社には、「蟻の熊野詣で」と呼ばれるほど人々が大挙して参拝していたが、この際に伊勢路を通ると、必ず伊勢神宮を通ることになり、それにより伊勢神宮に立ち寄る人も増加した[69]。熊野大社は、早くから浄土信仰と結びつき三山が浄土とされたこともあって、僧徒の参拝も積極的に受け入れていたため、もともと仏法を忌避していた伊勢神宮も僧徒の参拝を認めるようになり、中世には重源貞慶叡尊無住一遍虎関師錬後深草院二条などの僧侶や出家者が伊勢神宮に参拝し、手厚くもてなされている[70]。このような仏教者の伊勢信仰の高まりにより、両宮を金剛界胎蔵界とみなす両部神道など神仏習合系の神道説が形成されていく。

中世後期に入ると、戦乱の影響や、荘園制度の崩壊などにより、御厨からの収益から断たれて神宮経済は危機的状況となったため、御師の活動が一層本格化した[71]。御厨などの土地関係を離れて全国的に檀家を広げてゆくようになり、その活動内容も御厨などの社領管理から、参宮に際して宿泊や観光案内を提供するなどの直接的な業務が中心となった[72]。檀家の階層も、室町時代には御師の檀家帳に商人や苗字を持たない百姓の名まで記載されるようになっていることから、旧来の武士層からさらに広い庶民階級にまで広がったと考えられる[73][74]。御師の活動の変化に伴い、その担い手も「神人(じにん)」と呼ばれた旧来の神職層から、手代として人々との直接的な接触に慣れてきた「神役人(じやくにん)」と呼ばれる新興の町人層に変化し[75]山田三方や宇治会合と呼ばれる宇治山田の町衆による自治組織も形成された[76]。また、「御師株」と呼ばれた御師の職権の売買も行われるようになった[76]

伊勢信仰の発展

近世に入ると、伊勢信仰は一層発展する。その背景の一つには、各村で形成された伊勢講がある。伊勢講とは、伊勢信仰を持つ複数の人々が集まって参詣のための費用を出し合い、講員の中からくじ引きで選ばれた人が代参をするための集まりのことである[77]。その史料上の所見は、京都の中流貴族山科教言が著した日記『教言卿記』の応永14年(1407年)条に「神明講」とあるものである。伊勢講は次第に農民層の間でも結成されるようになり[78]、治安の回復や関所の撤廃、輸送組織の発達など交通事情が大幅に改善する江戸時代に入ると、参宮の機運が高まり[79]、郷村制の発達とともに伊勢講が一般化し、全国に広がっていった[80]。伊勢参宮のための積立費用の支出は村の公的な支出を記した帳面に記され、伊勢御師へ渡す初穂料は、山手米、判銭などと並んで村の租税の一環として、無高の者も含めて村民の石高ごとに所定の初穂料を徴収することが定められている[81]など、伊勢講は村全体で公的に構成されるようになっており、近世には伊勢講はほぼ全国の村に形成されていた。伊勢講は、講親や講元などと呼ばれる講のリーダーが選ばれ、年に数回程度講員同士の親睦も兼ねた寄り合いが行われて代参の日程などについて話し合われ[82]、代参は主に農閑期にあたる正月から4月にかけて集中して行われた。伊勢講への加入期間が一定程度長ければ、すべての講員が一生に一度は伊勢神宮に参詣できる仕組みとなっており[83]、数年に一度は全員で参拝する総参りを行うなど、講員全員が楽しめるように各講で工夫がされていた[84]。伊勢講に加入できたのは、代参費用を支払うことができる本百姓などの正規の村民であり、下男、召使い、子供などの下級階層は認められなかった。そこで、彼らは主人に無断で家を飛び出し、伊勢神宮へと向かう抜け参りによって参宮を目指した。江戸時代には、伊勢参宮に限っては無断で抜け出したとしても罪悪視されず認められる風潮があり[85]、伊勢神宮側も1626年の『伊勢大神宮神異記』で抜け参りを止めた主人に神罰が下る話を集めるなど、抜け参りを推奨した[86]

残存する数少ない旧御師邸宅跡の一つ、御師葉山太夫門。嘉永6年に創建され、もともと常盤町にあったが、昭和40年に伊勢市倭町に移築された。

伊勢の御師は、各村の伊勢講を握り、伊勢講の講員を中心に師檀関係を結んで自らの檀那を拡大していった[87]ため、先述の通り伊勢講が全土に展開した江戸時代においては、伊勢神宮の御師との師檀関係はほぼ全ての国民に浸透し、御師が檀家に配った神宮大麻の頒布数に関しては、安永6年に438万9549体に及び[88]、御師の檀家数も安永年間に約420万戸と記録されている[89]。これらは当時の全世帯の9割に該当する数字であり[90]、実に当時の全世帯の9割が伊勢神宮の御師と師檀関係を結んでいたことになる。御師は、全国に「伊勢屋」「お伊勢宿」などと呼ばれた出先機関を設け、先達や家来とともに年に1回から3回程度村々を巡回して檀家をめぐり、神宮大麻伊勢暦、薬、白粉、帯、伊勢茶海苔、熨斗、扇などの土産物を渡し歩いて、檀家から初穂料を受け取りつつ、神宮の神威を説き参宮を勧めた[91]。そして、御師は参宮してきた檀家の人々に対するもてなしも最大限を尽くした。伊勢参宮者は、伊勢本街道や伊勢別街道を通り、松阪小俣町のあたりで御師の手代から送迎を受け、宮川を無償の運賃で渡り、宮川を渡ると駕籠で出迎えを受けて、宿泊先となる御師の邸宅へと向かった[86]。そして、御師邸で御師は、酒に伊勢海老や鯛、鮑など伊勢の珍味を用いた豪勢な食事を提供し、立派な羽二重の布団を敷いてもてなし、太々神楽もあげ、伊勢両宮のほか朝熊や二見などの名所旧跡の案内も行い、「あこがれの伊勢参宮」を演出することで、伊勢信仰を広げた[92]。このように、江戸時代には御師の介在による庶民の伊勢神宮の参詣ルートや参詣方式が整備された。御師にとっては檀那からの返礼が主要な収入源でもあったことから積極的に布教活動を進め、しばしば同一の檀那を複数の御師が競合する例も見られるほど、布教に熱心であった[93]。近世に入り伊勢参宮者が増加すると、これに伴い御師の数も増加し、享保9年(1724年)には外宮の御師数は615家、内宮の御師数は記録のある正徳年間の頃に141人を数えている[94]

このようにして、近世に入り伊勢信仰が一層拡大したことで、参宮者の数も近世に入り急増した。江戸時代初頭にはすでに年間2、3万人の参宮者があり、江戸時代中期以降には平均して例年40万人前後、少ない年でも20-25万人の参宮者があったと推定されている[95]。さらに、神札の降下を契機に、60年周期で爆発的に抜け参りが流行して伊勢参宮者が急増する「お蔭参り」が江戸時代を通じて見られたが、このお蔭参りでは、宝永のお蔭参りで362万人、明和のお蔭参りで207万人、文政のお蔭参りで476万人が参拝するなど、膨大な数の人々が伊勢神宮へと赴いた[96]。参宮者の集団は、お伊勢参りの証である笠、わらじ、柄杓、旗を身につけることで、伊勢へ参る街道筋において富裕者や有徳者などから食事や宿の提供(施行)を受けることができ、無事に伊勢までたどり着くことができた[97]。伊勢まで赴いた人々は、宮川や二見ヶ浦で心身を清めた後、茶店の並び立つ中河原から外宮の域内に入り、岡本から古市・中之地蔵を通り、牛谷坂からおはらい町に至り、宇治橋を渡って内宮へと及んだ[98]。外宮と内宮の間にある古市には、遊郭や芝居小屋などが立ち並んでおり、少なくない数の参詣者が古市を目当てにして伊勢まで赴いた。また、江戸時代中期以降は伊勢参りが「伊勢大和参り」とも称されるようになったように、伊勢参宮者は伊勢神宮への往路または復路で大和国をはじめとし日本各地の名所や旧跡を巡ることが一般的であった[99]。お伊勢参りでは、人々は伊勢神宮まで至る道中も醍醐味としており、道中における様々な地域や人との出会いも旅の一環と考えていた[100]

近現代の伊勢信仰

明治時代に入ると、従前までの伊勢信仰は大幅な変革を迫られた。明治政府は、伊勢神宮を「我が国の宗門」として各神社の最高神とし、国民精神を統合するための国家的なシンボルとすることを図った。このため、中世以来の庶民と神宮の直接的な結びつきは軽視され、より国家としての公的な側面から信仰することが推進された[101]。神宮は天皇の祖神であるから、天皇の赤子である日本国民は必ず神宮へ参拝するべきであるという考えが強調され、明治30年代から学校教育の場においても修学旅行に伊勢神宮が選ばれることが増加した[102]。このため、これまで参宮者の案内や宿泊を担い、神宮と庶民をつなぐ媒介としての役割を果たしてきた御師は、明治4年の通達で全て廃止された。失職した御師に対しては、経済的救済のために授産所が設けられた[59]ものの、経済的な打撃は計り知れず、御師達は財産の切り売りを行なった。かつて宇治山田合わせて600軒以上あったはずの御師邸のほとんが残存せず、関係資料の多くが失われたのもこのためである[92]。なお、御師の中にはこれまでのノウハウを生かし、旅館経営や観光業に転身した例も多くある[103]

他方、私的祈願の要素も完全に消滅したわけではなく、これまで御師が担ってきた神宮大麻の頒布は、本来神宮で私祈祷をあげた証として配布されるもので、私的な領域に属するものであったが、御師の廃止後も神宮司庁により奉製と頒布が引き継がれることとなった[104]。また、これまで御師邸で上げられていた神楽も、私祈願を行うものであるため不適当とされ、御師の解体とともに廃止されたが、神宮において個人祈願を行う場が一切無くなったことで大きな混乱を生じたため、翌明治5年に内宮祈祷所、明治8年に外宮祈祷所が設置され、神楽奉納が復活した[105]。(両宮の祈祷所は、後に現在の神楽殿となった)。また、伊勢神宮が国家の総氏神として強調されたことに加え、伊勢では1894年宮川を結ぶ参宮鉄道が開通するなど交通網が格段に発達したことにより、伊勢参宮者自体は1897年から1945年にかけて一貫して増加し続け、特に国家意識が高まる1937年以降は参宮者の数も急増している[106]。上述の御師廃止に加え、このように鉄道網が発達したことから参宮も容易になり、明治以降は伊勢講も徐々に解散していった。

第二次世界大戦後は、戦後の混乱や神道指令により神社の参拝が憚られたことで一時参宮者が激減したが、1953年以降は200万人を超え、参宮者の数も復調した[106]。近年では、第62回式年遷宮のあった2013年に1400万人、その翌年の2014年に1080万人、改元のあった2019年には860万人を数えるなど、伝統的行事への関心とも結びつき、参拝者数は例年800万人を超える盛況となっている。また、1993年には往時の伝統的な街並みを再現したおかげ横丁がオープンして例年400万人の観光客を生み出し、御木曳などに伊勢市外の人も参加できる「特別神領民」の制度が導入されるなど、観光面でも伊勢神宮への参拝者が増加している。また、伊勢志摩サミットの影響もあり外国人の関心も高まっており、2018年には10万人を超える数の外国人が伊勢神宮に参拝した。

信仰の性格

このように伊勢神宮は長い期間を通じて膨大な数の人々が参宮してきたが、その要因の一つとして、伊勢神宮が神道の最高神で天皇の祖神でもある天照大御神を祀るという性格から、「国家の総鎮守」として信仰されたことが挙げられる[107]。古くから、伊勢信仰において神宮が「国家の総鎮守」として信仰されてきたことを示す例としては、例えば中世において、源義宗が伊勢神宮に領地を寄進するに当たって「是れ大日本国はすべて皇大神宮・豊受宮の御領たる故なり」との文言を寄進状に載せて両宮を日本全体の神と認識していることや、『吾妻鑑』に見える源頼朝の寄進状にも「公私の御祈祷のため」という文言が見えて、「私」とともに「公(=国家)」も神宮の祈願対象となっていることが挙げられる[108]。この意識は農民層においても同様であったらしく、中世の百姓が書いた起請文に、天照大御神を称して「日本国主」「日本鎮守」と書かれたものが見つかっている[109]。また、仏教勢力においても、重源が「天照大御神は我が朝の本主、此の国の祖宗なり」と述べたり、無住が『沙石集』の中で「我が国の仏法ひとえに大神宮のご加護によれり。当社は本朝の諸神の父母におわすなり」と述べたほか[110]安房国出身の日蓮は『新尼御前御返事』で「安房国東條郷辺国なれども日本国の中心のごとし。其故は天照太神跡を垂れ給へり」として安房国東郷荘に神宮御厨があることを理由に、この地は辺境であるものの日本の中心に等しいと述べている[111]。このように、仏僧においても伊勢神宮が日本の主神であり、仏教をも伊勢神宮により鎮護されているとみなす考え方が広まっている。元寇後は、伊勢神宮が神風を起こしたと信仰され、一層国家鎮守神としての側面が強調された。室町時代中期の辞典『壒嚢鈔』には「和国は生を受くる人、大神宮へ参詣すべき事勿論…」と記されており、国家鎮守神である大神宮には国民は必ず詣るべきとする観念が広がっている[112]。伊勢信仰が本格化する江戸時代においても、当時伊勢参宮者の間で広く流通していた市販の伊勢神宮の携帯用ガイドブックである『伊勢参宮細見大全』では、皇大神宮を、その皇室との関係性を説明した上で「天下第一の宗廟」や「日本第一の宗廟」と表現している。また、同書の「参宮大意」の項目には「内外両宮は四海太平、国家安全を守り、万民百姓はその恩恵を蒙っているのだから、その霊地を踏み、神の広前に拝して神の御恵にこたえるべき」という旨が書かれ、国家全体を守る神としての側面を強調しており、外宮の祭神については「君臣の二祖」と表現され、天皇と国民の両方にとっての祖神であると観念されている[113]。伊勢神宮の国家神としての側面は明治時代以降に強調されたが、神宮を「国家総鎮守」とみなす信仰自体は中世以来存在するもので、伊勢信仰を支える一つの要因となった。

他方で、人々は伊勢神宮を国家の総鎮守としてだけでなく、豊作や出世、病気平癒などの、個人的な現世利益をもたらす神として信仰する側面も有していた。上述の通り、伊勢神宮は中世には私幣禁断の風潮が弱まって個人祈願が多く行われるようになっており、夢窓疎石の『夢中問答集』には神宮の神官・度会家行が「世のつね、幣帛を捧げ法楽をなすことは皆これ名利の望みを祈り奉らむがため」と参詣の人々の現状を話した記録があり[114]、記録に残る足利将軍の神宮への祈願内容も、病気平癒や安産祈願など私的な内容である[110]。今神明や飛神明などと称された、室町時代に盛んになる京都洛中への伊勢神宮の勧請においても、神明勧請は怨霊や悪霊の鎮魂や祓いを求めての勧請であった[115]。江戸時代の参宮ガイドブックである『新撰 伊勢道中細見記』には「夫れ、伊勢参宮は家内安全所願成就を祈らんための参宮なり」と冒頭に記され、庶民の私的祈願を行う神宮であると記されている[116]。農村の田植え歌においても、天照大御神を豊穣をもたらす神として歌うものが各地に残されており[117]、五穀や豊作の神、あるいは全般的な幸福をもたらす神としても、伊勢神宮は庶民から信仰を受けていた[118]。また、『伊勢太神宮続神異記』には障害を持った人や病の人、貧しい人などが伊勢神宮に参拝することで障害を治癒したり病を克服する霊験譚が多く集められていることからも、伊勢神宮が人々を救済する神として信仰されていたと考えられる[119]

また、伊勢神宮は人々からしばしば霊的な聖地としても信仰され、神宮に訪れた人は霊的な力を身につけると信仰されることもあった[120]。腹が痛む時には伊勢参りの経験者に跨いでもらうと良いとか、伊勢参りから帰ってきた者は「御位」が上がるからと平常では使わない入り口から入ることになっているなどの風習が各地にあり[120]、村の成人儀礼として成人となった者が伊勢参宮を行う風習が多くあったことも、少年から成人へと再生する聖域として伊勢が意識されていたことを示している[121]


注釈

  1. ^ 法人としての名称も「神宮」であり、事務をつかさどる機関として「神宮司庁」がある。主たる事務所の所在地は伊勢市宇治館町1番地(神宮司庁の所在地)。
  2. ^ 残りの6社は石清水八幡宮賀茂別雷神社賀茂御祖神社松尾大社平野神社伏見稲荷大社春日大社
  3. ^ 神宮で、神階が無いのは伊勢神宮と日前神宮、國懸神宮の3宮だけである[要出典]
  4. ^ 延暦23年(804)に度会宮(外宮)禰宜・内人が神祇官に提出した外宮の伝承・祭祀などについて記した書。
  5. ^ カレンダーの日割りによっては1月5日又は6日になる場合もある。
  6. ^ 明治時代以降、式年遷宮の時に宇治橋が架け替えられるようになり、昭和24年(1949年)以降は式年遷宮の4年前に、架け替えられるようになった[要出典]

出典

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