真野響子 真野響子の概要

真野響子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/08 04:04 UTC 版)

まや きょうこ
真野 響子
本名 柴本 苑子(旧姓:真野)
生年月日 (1952-02-09) 1952年2月9日(72歳)
出生地 日本東京都
身長 165 cm
血液型 A型
職業 女優
ジャンル 映画テレビドラマ舞台
活動期間 1973年 -
配偶者 柴俊夫
著名な家族 柴本幸(娘)
眞野あずさ(妹)
弟(一般人)
事務所 石井光三オフィス
公式サイト プロフィール
主な作品
テレビドラマ
御宿かわせみ
炎立つ
ちゅらさん
もう一度君に、プロポーズ
 
受賞
エランドール新人賞(1977年)
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来歴・人物

清泉女学院中学校・高等学校桐朋学園大学短期大学部演劇科卒業(1973年)[2]

父親の勤務先が日本航空だったこともあり[3]、1959年から1961年までサンフランシスコで暮らし、中学時代の一時期は北海道で暮らした経験もある。

大学卒業に向けた進路選択では「一生続けられる仕事をしたい」との観点から、スチュワーデスの試験や、ドラマ出演オーディション、劇団民藝の入団オーディションなどを受け、スチュワーデスの内定が出ていたが、それに断りを入れ、1973年に劇団民藝に入団した[2]

舞台『血の婚礼』でデビュー。桐朋学園の卒業アルバムを繰っていた和田勉の目に留まり1973年、NHK『出会い』でテレビデビューした[2]。なお、苗字の読みを「まや」とした芸名の名付け親は、このデビュー作でNHKディレクターだった和田である[2]。1974年には劇団民藝の『桜の園』でアーニャ役の大役をこなす。東宝『忍ぶ糸』で映画スクリーンデビューを果たすと、その後も数々の作品に出演。

1976年、スコッチウイスキー「カティサーク」のカレンダー出演は、洋酒メーカーの女優起用第1号[4]。「名前で呼んで」というセリフが評判を呼んだ。真野は「『カティサーク』は、女優としての一つのデモンストレーションです。それまでは、男みたいであるとか、さっぱりしているとか、そういう部分での役が多かったので、こういう部分もありますよ、というデモンストレーションになりましたね。私は"イロッぽさ"というよりは"大人の女"の雰囲気を出してみたかった。でもそれはまあまあ演じられたんじゃないかと思っています」などと述べた[5]。真野自身はお酒を一滴も飲めないため[5]、飲んでいたのはアプリコットジュースだったという[5]。「カティサーク」のCM前後に出た味の素ハイ・ミー[5]マックスファクターキャメイ石鹸」は、信頼するCMディレクター大林宣彦が手掛けたもので、真野の起用は大林からの推薦[5]。キャメイ石鹸は子どもの頃から使っていた製品だったという[5]

1977年8月22日、関西テレビ芸能記者を招き、柴俊夫と交際宣言をやった[3]。互いの関係を隠したがる芸能界にあって前代未聞の会見だったが[3]、当時はまだ写真週刊誌が創刊される前で、二人の写真を撮られたため、スキャンダルを恐れて山像信夫関西テレビプロデューサーから知恵を授かった上での先回りした会見だった[3]

新人時代から"ツッパリ女優"として知られ[3]、1979年4月にロンドン旅行を終えて帰国した真野に成田空港で待ち構えた梨元勝がインタビューしたがこれを無視[3]。これに触れ、『週刊文春』1979年5月17日号の富士真奈美のインタビューに答え「ああいう低俗で下品なことをされるのって大嫌いなのよね。インタビューや撮影はきちんと電話などで了解を取るべきじゃない?一度無視してみたいと思っていたのが叶えられて、すごく嬉しい」などと話した[3]。同年のTBSドラマ恋路海岸』では宣伝用のスチール写真水着姿を要求されたが、誰がどう説得しても応じず[3]。『日刊ゲンダイ』は1979年7月18日付で「さすが大女優候補!?」と報じた[3]。このようにジャーナリズムから嫌われていた背景があり[3]、1978年に三越が製作した映画『燃える秋』に主演したが、ベッドシーン吹き替えを使ったため[3]、「女優にあるまじき態度」と一斉に非難の声が上がった[3]

1979年末、柴俊夫と入籍し、子育ての時期は芸能活動をセーブしていた。

SMAP×SMAP』(フジテレビ系)の「BISTRO SMAP」に1996年7月29日にゲストで出演した際、判定しなかったが(引き分け)、当コーナーで判定をしなかったゲストは真野、小川眞由美(1997年8月4日)、タモリ(BISTRO SMAP最後のゲスト、2016年12月19日)だけだった[6]

2001年6月、翌年に開幕を控えたFIFAワールドカップ日韓大会の日本組織委員会 (JAWOC) 理事三田佳子の後任として選出される。その後2002年、神戸市立森林植物園の名誉園長にも就任。

角松敏生のアルバム『WEEKEND FLY TO THE SUN』に収録されている「CRESCENT AVENTURE」は彼女をイメージして作られた楽曲である。

出演作品

テレビドラマ

NHK

日本テレビ

TBS

フジテレビ

テレビ朝日

テレビ東京

WOWOW

Webドラマ

テレビ番組

  • 五七五紀行(NHK) - 語り
  • 日曜美術館(NHK Eテレ) - キャスター(1993年度 - 1994年度)

映画

舞台

  • 血の婚礼
  • 桜の園(1974年) - アーニャ
  • 迷路
  • 青春の門
  • シルヴィア
  • 日の出
  • 驟雨
  • おくりびと
  • 「シェイクスピア物語〜真実の愛〜」〜SHAKESPEARE OF TRUE LOVE〜 - エリザベス女王 / 亡霊オリヴィア 役[12]
  • ルードウィヒ・B 〜HEART SONG(運命の扉は開かれた)〜[13]

CM

ラジオドラマ

著書

  • 『私を見つけに 真野響子 あるく速さで アンダンテ』(2002年3月、扶桑社ムック)
共著
  • 『禅の心茶の心』有馬頼底共著 朝日新聞社 2006年
  • 『古寺巡礼京都 新版 相國寺』有馬頼底共著 淡交社 2007年

ディスコグラフィー

アルバム

  1. 響 Sounds(1978年)
    • ナレーション・アルバム。
  2. CALIFORNIA DREAM(1979年)

受賞歴

その他

脚注

注釈

  1. ^ 妹のあずさとの、デビュー後32年目にしてドラマ初共演となった[8]

出典

  1. ^ 真野響子 - NHK人物録
  2. ^ a b c d e f 石山真一郎 (1975年3月31日). “スター二つの顔 真野響子 虚像実像 育ち・プロ歴 『恋人…ウフフいるワ ウソがつけぬ太陽っ子』(真野の取材を含む記事)”. サンケイスポーツ (産業経済新聞社): p. 15 
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m 佐藤友之「スキャンダルから見たスターの軌跡 真野響子 柴俊夫との"関係"はいま…」『噂の眞相』1979年9月号、噂の眞相、56–57頁。 
  4. ^ 週刊サンケイ』1981年12月24日号、扶桑社、1981年、88頁。 
  5. ^ a b c d e f g h i 真野響子「特集 私自身による私自身のCM批評 PART2 『イロッぽいと言われすぎて困っちゃう』」『広告批評』1980年1月号、マドラ出版、34–36頁。 
  6. ^ 最後のビストロスマップ“引き分け”で幕 ゲストのタモリ「判定はいいでしょ」”. オリコン. 2016年12月19日閲覧。
  7. ^ 大河ドラマ「風と雲と虹と」”. NHK. 2021年3月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年3月21日閲覧。
  8. ^ “真野響子&眞野あずさ、32年目姉妹ドラマ初共演”. スポーツ報知. (2014年2月2日). https://web.archive.org/web/20140202084611/http://hochi.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20140202-OHT1T00090.htm 2014年2月13日閲覧。 
  9. ^ “松下奈緒が“相棒”古田新太に「振り回されたい!」”. ウォーカープラス. (2015年2月10日). https://thetv.jp/news/detail/55188/ 2015年2月10日閲覧。 
  10. ^ allcinema|闇の伴走者~編集長の条件
  11. ^ キャスト&スタッフ|Huluオリジナルドラマ「フジコ」”. Huluオリジナルドラマ「フジコ」公式サイト. 2015年10月9日閲覧。
  12. ^ “内博貴主演「シェイクスピア物語」追加キャストに廣瀬智紀・伊東孝明・小谷嘉一ら”. ステージナタリー (ナターシャ). (2022年3月18日). https://natalie.mu/stage/news/470119 2022年3月25日閲覧。 
  13. ^ 第九の完成まで描く朗読劇で田代万里生がベートーヴェンに、ジュリエッタ役は知念里奈”. ステージナタリー. ナターシャ (2024年4月3日). 2024年4月3日閲覧。
  14. ^ NHKアーカイブス NHKクロニクル / ドラマに聴く世界の戦争体験 「ドイツへの旅」(1995年8月17日 放送)”. NHK 日本放送協会. 2023年9月24日閲覧。
  15. ^ NHK オーディオドラマ過去作品アーカイブ / FMシアター「春に散る(前・後編)」(2021年3月20日・27日 放送)”. NHK 日本放送協会. 2023年9月24日閲覧。

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