関東大震災 国外の反応と支援

関東大震災

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/17 07:13 UTC 版)

国外の反応と支援

シカゴで行われた募金運動。

地震の報を受けて、多くの国から日本政府に対する救援や義捐金、医療物資の提供の申し出が相次いだ[100]。特に太平洋を隔てた隣国で、第一次世界大戦時にともに戦ったアメリカ合衆国の支援は圧倒的で[101]、さらに「なお希望品を遠慮なく申出られたし」との通知があった[102]

義捐金の多くはイギリスアメリカ合衆国中華民国から送られ、ほかにもインドオーストリアカナダドイツフランスベルギーペルーメキシコなどからも救援物資や義捐金が送られた[103][104]。アメリカやイギリスの軍艦が救援物資や避難民を運んだことも記録に残っている[105][106]

この当時、即時に海外に伝達される情報手段は実用的でなかったが、日本から長波無線を使って磐城国際無線電信局原町送信所からアメリカに情報が伝達され、無線電信による非常時の情報伝達の有効性が日本で初めて確認された。東京の新聞社は被害を受けていたため、河北新報の記事が打電された[107]

当時、日本とアメリカと結ぶ通信線は海底ケーブルか長波無線だったがこの時、地震で海底ケーブルは不通になっており、残るは長波無線しかなかった。日本でアメリカと交信ができる長波無線は、福島県の磐城国際無線電信局しかなかった。当時、磐城国際無線電信局では被害はなかったものの、大変な被害が関東で発生しているという情報がかすかながら伝わってきた。電話などはすべて不通になっているため、急遽国内向けの無線情報を入手すべく機械を改造して情報を入手し、アメリカに向けて緊急情報を発信した。またこのアメリカ向けに発信された情報が、たまたま日本が中国北京に建設し試験中だった無線局で傍受されたため、その情報が中国国内および欧州にも伝わることになった。結果的に唯一の海外への情報連絡局となった磐城国際無線電信局だったが、当時の磐城国際無線電信局長だった米村嘉一郎は非常時の無線の活躍について「素晴らしい活躍をする手段だったが、日本では磐城一か所しか国際通信ができない設備不足、および非常時の通信体制をどのようにしておくべきかまったく準備ができていなかったことを悔いている」とのちに述べている[108][109]

しかしこの情報により、上記の各国による多大な援助が迅速に行われることになったのである。

中華民国

清朝の元皇帝で、当時中華民国内で「大清皇帝」となっていた愛新覚羅溥儀も、地震の発生を聞くと深い悲しみに打ち沈んだ[110]。溥儀は日本政府に対する義捐金を送ることを表明し、あわせて紫禁城内にある膨大な宝石などを送り、日本側で換金し義捐金として使うように日本の芳沢謙吉公使に伝えた。なおこれに対し日本政府は、換金せずに評価額(20万ドル相当)と同じ金額を皇室から拠出し、宝石などは皇室財産として保管することを申し出た。その後、1923年11月に日本政府は代表団を溥儀の下に送り、感謝の意を表した[110]

溥儀はのちに日本の協力のもとで満州国皇帝となるが、この時点において溥儀は「何の政治的な動機を持たず、純粋に同情の気持ちを持って行った」と溥儀の帝師のレジナルド・ジョンストンは自著の中で回想している[111]

アメリカ合衆国

第一次世界大戦においてともに戦った日本に対するアメリカの政府、民間双方の支援はその規模・内容ともに最大のものだった。有名なスローガンMinutes make lives(数分が生死を分ける)」はこのときのもの。全米で被災者に対する募金活動が行われたほか、当時アメリカの植民地だったフィリピンアメリカ陸軍基地からもさまざまな物資が送られた。さらにアフリカ系アメリカ人指導者のマーカス・ガーベイも、大正天皇あてに電報を送るかたわら募金活動を行った。アメリカ海軍は、アジア艦隊から多数の艦船を派遣し、避難民や物資の輸送にあたらせている。

米海軍の主な対日被災支援艦船[112]
装甲巡洋艦
ヒューロン
駆逐艦
スチュワートスミス・トンプソンバーカートレーシージョン・D・エドワーズホイップルハルバートウィリアム・B・プレストンプレブルノア
駆逐艦母艦
ブラックホーク
運送船
メリット、アバレダー、ベガ
給炭船
ペコス
ベルギー

震災直後、ベルギー政府は「日本人罹災者救援ベルギー国内委員会」を組織し、ベルギー王室のすべてのメンバーとベルギー赤十字委員会がこれを支援し、日本への支援を積極的に行った。民間もこれに応じて募金活動やコンサート、バザーによる多額の収益金を同委員会を通じて寄付したほか、画家のエミール・バースは自らと友人の作品を提供し義捐金にあてるなど、官民一体となって支援活動が行われた。

弔慰金

拳骨拓史の談話によると、朝鮮総督府は「精細に調査した結果」としたうえで、地震による倒壊での圧死、火事での焼死など死亡や行方不明の朝鮮人を約830名と発表。この結果に基づき、震災のため死亡または行方不明になった朝鮮人の遺族に対し、一人につき200圓の弔慰金を贈り、地方官を派遣して弔門させている。その支給数は約830名分で、弔慰金の総額は16万6,000円と発表した[113]

一方日本人の場合は、

  • 死亡者・行方不明者 - 16円

負傷者 - 4円 住宅の全焼(1世帯)- 12円 住宅の全壊(1世帯)- 8円 住宅の半焼・半壊(1世帯)- 4円[114]








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