震災復興公園とは? わかりやすく解説

震災復興公園

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/16 23:18 UTC 版)

震災復興公園(しんさいふっこうこうえん)は、大地震によって被害を受けた都市において、防災緑地の機能、災害時避難場所の確保、あるいは震災復興のシンボルなどを目的として設置された公園である。関東大震災阪神・淡路大震災東日本大震災などの後に整備された。震災復興公園としては関東大震災後のものを指すことが多い。

隅田公園の平面図

関東大震災後に整備された公園

大正12年(1923年)の関東大震災による被害状況を受けて、帝都復興院総裁となった後藤新平内務大臣を兼務)を中心とする政府主導で計画された震災復興再開発事業は、東京市の防災都市化にその主眼を置いていた。特に地震によって発生した火災による被害は甚大であり、延焼を食い止める防火帯の設置が重要な課題となった。昭和通りなどの幅員の広い幹線道路の建設と並んで、公園の確保に重点が置かれ、復興局公園課の折下吉延らにより、東京に三大公園隅田公園浜町公園錦糸公園)が設置された。中でも隅田公園は、近世以来の名所であった桜堤と旧水戸藩邸の日本庭園を取り込み、和洋折衷の大規模な公園となった。三大公園には含まないが、昭和5年(1930年)に完成した横網町公園には、関東大震災の身元不明遺骨を納める震災記念堂と復興事業に関する資料を保存・展示する復興記念館が建設され、メモリアルパークの役割を果たしている。また、井下清率いる東京市公園課は、小学校を不燃化、耐震化された鉄筋コンクリートの校舎にして、小公園を併設させることにより防火帯と避難施設の役割を持たせようとした。これにより、小学校とセットになった小公園が東京市内52箇所に設置され、各地域における防災都市としてのシンボルとした。小公園は、隣接する小学校の校庭を兼ねるとともに、地域コミュニティの中心的存在となっていく。

震災復興三大公園

いずれもドイツ北欧の公園を参考に設計され、庭園風の趣ある近代的な公園であった。現在の公園は、戦後の改修で体育館が設置される、高速道路に使われるなど、開園当時の面影はほとんど失われており、門柱などにかろうじて当時の遺構を残すのみとなっている。

震災復興52小公園

当初は、焼失区域のすべての小学校区に公園を隣接させようとしたが、半数に届かない52箇所に止まった。小公園の建設・設計理念は以下のようなものであった。

  • 小公園の配置は、児童数・校庭の広狭・既設公園の配置などを勘案し、都市計画的に決定される。
  • 耐震強度を高めた小学校に隣接し、教材園及び運動場補助等の目的を有するとともに、地域の防災拠点とする。
  • 広場を中心に敷地の40%を植栽地とし、道路に沿う外周部分には低い鉄柵を施し、容易に出入り可能なものとする。
  • 植栽には防火・防音・防塵効果に優れた常緑樹を採用し、学校教材のために多種類の樹木と潅木を使用する。
  • 震災復興の名の下に公園を近代文化の普及・啓発のための展示場として演出する。

震災後、欧米を視察した井下清は、近代的・合理的な態度で設計に臨み、小公園のあるべき姿を新しい様式として示した。しかし戦後、小公園の管理が東京都から特別区へ移管されると、世相の変化とともに相次いで改修が行われた。多くの小公園が、プレイスカルプチャーが所狭しと並ぶ児童公園という位置づけとなり、いつの間にか小学校とも隔離された存在となってしまった。教育と公園は行政の中で、それぞれ独立した存在となり、学校公園の考え方は忘れ去られてしまっている。52小公園の現存状況については、かなりの数の公園が消滅や縮小の憂き目にあっており、名称のみで完成当時の姿を完全に残すものはひとつもない。京橋公園(千代田区、昭和4年開園)のコンクリート製滑り台や元加賀公園(江東区、昭和2年開園)の壁泉付露床など一部の造形物が残るのみである。

文京区本郷にある元町公園(昭和5年開園)は、昭和57年(1982年)に伊藤邦衛によって原型に忠実な改修が行われ、大塚公園 (文京区)とともに当時の設計思想を現在に伝える小公園となっている。復元されたモダンなデザインの擁壁や壁泉、太い円柱が印象的なパーゴラ(つる棚)、左右対称の2連式滑り台などは、いずれも小公園の特徴的な様式である。隣接する元町小学校は、平成10年(1998年)に本郷小学校との統合化により廃校となっていたが、 復興事業の一環として震災復興公園の中でも重要視され、[1] 要望書が相次ぎ、その結果日本の歴史公園100選に選定され、[2] 都市計画審議会を経て、[3][4] 慎重な手続きがとられ、[5] 2015年、元町公園の保全及び旧元町小学校の有効活用検討会議を設置。[6]

文京区では、旧元町小学校及び元町公園について、歴史性、防災性、街並みや景観及び公共性等に配慮し、保全と有効活用を図ることとし、「旧元町小学校の保全・有効活用整備方針(平成30年8月)」に基づき、旧元町小学校の整備や元町公園との一体的な活用について、事業者を公募している。[7]

阪神・淡路大震災

神戸港震災メモリアルパーク神戸震災復興記念公園が整備された。

東日本大震災

津波の被害を受けた沿岸部を中心に公園の整備が行われている。

脚注

  1. ^ 近代の庭園・公園等に関する調査研究報告書 (PDF) 平成24年6月 近代の庭園・公園等の調査に関する検討会・文化庁文化財部記念物課
  2. ^ 要望書等コレクション・文京区[1]
  3. ^ 進士五十八、「ランドスケープ遺産の保全」 『学術の動向』 2008年 13巻 3号 p.76-79, doi:10.5363/tits.13.3_76
  4. ^ 戸沼幸市21世紀の日本のかたち(17)-- 歴史遺産の保存・再生について − 東京の姿形について考える〈その4〉 –-
  5. ^ 西村幸夫、他(2009)第2部 社会から期待される景観・保全 04「都市景観マネジメントはどのようにあるべきか」 『不動産開発事業のスキームとファイナンス(2) 激動!不動産』清文社
  6. ^ 元町公園の保全及び旧元町小学校の有効活用検討会議
  7. ^ [2]
  8. ^ 岩沼・千年希望の丘付近に女性遺体 複数の骨折 宮城県警が捜査本部設置河北新報、2017年10月09日

関連項目

外部リンク


震災復興公園

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震災復興再開発事業」の記事における「震災復興公園」の解説

「震災復興公園」も参照 また公立小学校公園併設する手法により、戦前・戦後通じて首都圏内各地方都市災害対応した町づくり一環として防災用の緑地・公園設けられることとなっていった。帝都復興事業なかでも防災都市確立為に公園確保重要な課題であるとされた。井下清率い東京市公園課は中でも小学校地域コミュニティー単位として扱い不燃化耐震化された鉄筋コンクリート校舎避難所ともなる小公園セットで、それぞれ防災都市における各地域シンボルするべく東京市52箇所設置した。また帝都復興局建築部公園課長就任した折下吉延らは東京三大公園隅田公園浜町公園錦糸公園)を設置。また山下公園など横浜に国施行大公園造成し復興街路樹橋詰緑化従来みなかった大規模都市公園及び関係事業試みた御料地財閥寄付による敷地作られいくつかの公園は、都市防災避難施設上の目的勿論のこと西欧公園参考にした上で実際に利用する市民視線立った行き届いた設計がなされ、今日の井下らの高い評価つながっている。しかし昨今進められているスプロール化少子化による学校の統廃合により、このときの復興小学校それぞれ存廃問題直面している。また52の小公園は既にかなり以前から廃園になっているものや面積縮小になっているものも多く存続していれば良い方で、設置当時面影当初の数からすれば皆無と言ってよい状態になっている。ほぼ完全な姿を保つと思われる文京区元町公園も、区が伊藤邦衛依頼して往時形式復元したもので、さらに区は体育館予定地に計画し住民等との裁判沙汰になっている迅速に実務進められ背景には、後藤新平東京市長時代策定した構想案など計画下敷きがあったことと都市計画法市街地建築物法成立と前後して内務省中心に人材育っていたことがある都市計画法公布スタッフ養成東京市要綱都市研究会の設立などが結果として帝都復興推進作用していくことともなった復興事業完成した1930年昭和5年)頃には、都市商工業発展して人口増大し都市計画法国庫補助盛り込まれるうになる

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