三陸はるか沖地震とは? わかりやすく解説

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さんりくはるかおき‐じしん〔‐ヂシン〕【三陸はるか沖地震】

読み方:さんりくはるかおきじしん

平成6年199412月28日発生したマグニチュード7.6の地震震源青森県八戸(はちのへ)市の東方沖。八戸震度6、むつ・青森盛岡震度5を観測10日後の余震マグニチュード7.2)でも被害拡大した


三陸はるか沖地震

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/20 09:45 UTC 版)

三陸はるか沖地震
三陸はるか沖地震の震度分布
地震の震央の位置を示した地図
本震
発生日 1994年平成6年)12月28日
発生時刻 21時19分20.9秒(JST
震央 日本 青森県八戸市の東方沖180km
座標 北緯40度25.8分 東経143度44.7分 / 北緯40.4300度 東経143.7450度 / 40.4300; 143.7450座標: 北緯40度25.8分 東経143度44.7分 / 北緯40.4300度 東経143.7450度 / 40.4300; 143.7450[1]
震源の深さ 0 km
規模    気象庁マグニチュード(Mj)7.6/モーメントマグニチュード(Mw)7.7[2] - 7.8[3]
最大震度    震度6: 青森県八戸市
津波 55cm (岩手県宮古市)
地震の種類 海溝型地震
余震
最大余震 1995年1月7日 7時37分37秒 Mj 7.2 震度5:八戸市
被害
死傷者数 死者3人 負傷者788人
被害地域 主に青森県三八上北地方
出典: 特に注記がない場合は気象庁による。
プロジェクト:地球科学
プロジェクト:災害
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三陸はるか沖地震(さんりくはるかおきじしん)は、1994年平成6年)12月28日21時19分に、日本三陸沖青森県八戸市の東方沖約180km)で発生したMj 7.6[1](Mw 7.7[2] - 7.8[3])の日本海溝プレート境界断層の活動による地震である。震央は 北緯40度25.8分 東経143度44.7分 / 北緯40.4300度 東経143.7450度 / 40.4300; 143.7450。最大震度は八戸市で観測された震度6。揺れによって八戸市を中心に死者3人・負傷者788人の人的被害、全壊72棟・半壊429棟などの物的被害を生じた[4]。気象庁はこの地震を「平成6年 (1994年) 三陸はるか沖地震」と命名した[5]

概要

メカニズム

  • M5前後の初期破壊の後、主破壊が生じた。
  • 全継続時間は55秒前後。
  • 断層長さ L=138kmと推定[6]
  • 震源域は、1968年十勝沖地震の南側約30kmでほぼ重なる[7]
  • 最大すべり量は4.0m、平均すべり量は1.2m[2]

震源となる海域では、日本列島が乗る北アメリカプレート太平洋プレートが相対速度約9cm/年の速度で沈み込んでおり、これらのプレートの境界で生まれる歪みが解消されるときに地震が発生する。この海域では固有地震以外にも10年程度の間隔でプレート間地震が起こり、同様の傾向が千島海溝周辺に見られる。

震源域アスペリティ(固着域)の位置関係から、(実際は三陸沖北部地域で発生している)1968年十勝沖地震で破壊されずに残った部分が今回の地震で破壊されたという説もあるが[8]文部科学省地震調査研究推進本部は「三陸沖北部地震」には含まず、固有地震ではないとしている。

各地の震度

震度 都道府県 観測点
6 青森県 八戸
5 青森県 むつ青森
岩手県 盛岡
4 北海道 函館苫小牧浦河帯広
青森県 五所川原七戸
岩手県 宮古大船渡葛巻花巻
秋田県 大館
  • また、青森県大畑町天間林村市浦村でも震度4を観測している[9]
  • 青森県三沢市では、住友化学工業三沢工場が独自に設置していた地震計で震度6を観測しているが、気象庁の観測点ではないため正式な震度としては扱われていない[10]

余震

この地震の最大の余震は、本震から10日後の1995年平成7年)1月7日7時37分37秒に岩手県沖で発生したMj 7.2(Mw 7.0)の地震だった。青森県八戸市、岩手県盛岡市・葛巻町で最大震度5を観測し、津波注意報が発表されたが、津波は観測されなかった。

前兆現象

本震の1か月程度前から周辺の地震活動が低下していた[11]

津波

地震の規模に比べ発生した津波の規模は小さかった。また、各地で観測された津波の第一波は押し波で、最大波は2~3時間後であった。

  • 21時23分、東北地方の太平洋沿岸に津波警報が、津軽海峡・日本海沿岸・陸奥湾・北海道南東沿岸に津波注意報が発表された。緊急警報放送も実施された。
  • 北海道から東北地方の太平洋沿岸では、岩手県宮古市の55cmを最高に津波が観測されたが、被害は無く、23時45分に津波警報・注意報は解除された[12]

被害

  • 死者3人[13]・負傷者788人(重傷66人)[4]
  • 全壊72棟・半壊429棟・一部損壊9021棟

影響

  • 八戸市朔日町[14]で営業中のパチンコ店が倒壊。地震発生当時200人以上の客が来店しており、2名が死亡した。
  • JR東日本東北本線(現在の青い森鉄道青い森鉄道線)の青森県八戸市河原木字見立山[15][16][17]で、線路の路床が崩落した。復旧は12月31日22時46分[18]と比較的早かったり、八戸 - 青森間ではバスによる代行輸送が実施されたものの、年末の帰省時期[19]と重なったため、帰省客など多くの乗客に影響が出た。また、地震発生の直前には上野行きの臨時列車急行八甲田が当該箇所を通過しているが、地震発生時は八戸駅停車中であったため地震の影響による大惨事を免れていた[20]。当時は寝台特急「はくつる」・「北斗星」などの首都圏と青森・北海道方面を結ぶ寝台列車も運行されていたが、これらは盛岡以北は田沢湖線[21]奥羽本線に迂回して運行された[22]
  • 八戸市など三八上北地方では県道や市町村道などが崩落・陥没したり亀裂が発生した所が多数発生した[23]
  • 百石町(当時)に設置されている自由の女神像は奇しくも、設置日から4年後の同じ日に腕が損壊した[24]
  • 102ヵ所の道路と87ヵ所の港湾漁港が被災した[4]
  • 約9万6,000戸が停電したほか、約4万2,000戸が断水した[4]

法的措置

  • 激甚災害法適用。激甚災害法は、1995年1月27日に閣議決定され、同年2月1日に政令交付された[25]

その後

  • 20日後に発生した兵庫県南部地震阪神・淡路大震災)における神戸も本地震の八戸と同じく震度6と発表されたが、被害の規模に大きな差があり、当時8段階に分かれていた気象庁震度階級が翌年10段階に改正されるきっかけとなった。
  • 建築物の応急危険度判定が初めて実施された。
  • 被害に比べ名称がさわやかすぎるとして地元が改名を気象庁に要求し、震源域名を命名しただけの気象庁は困惑した。
  • 2001年の気象庁マグニチュードの改定によって、地震の規模がMj 7.6と改められた(改定前は7.5)。
  • 2011年3月11日15時08分に当地震の震源域南隣でM 7.4(Mw 7.4)の地震(東北地方太平洋沖地震の余震)が発生した。[26]

出典

脚注

  1. ^ a b 気象庁「震度データベース検索
  2. ^ a b c 永井 理子、菊池 正幸、山中 佳子「三陸沖における再来大地震の震源過程の比較研究 ―1968年十勝沖地震と1994年三陸はるか沖地震の比較―」『地震 第2輯』第54巻第2号、2001年、267-280頁、doi:10.4294/zisin1948.54.2_2672019年6月25日閲覧 
  3. ^ a b M 7.8 - off the east coast of Honshu, Japan”. アメリカ地質調査所 (2014年11月7日). 2019年6月25日閲覧。
  4. ^ a b c d 三陸はるか沖地震』 - コトバンク
  5. ^ 気象庁が命名した気象及び地震火山現象
  6. ^ 加藤研一, 武村雅之:強震記録の継続時間から推定される1994年三陸はるか沖地震の破壊伝播特性 『地震 第2輯』 1996年 49巻 1号 p.75-83, doi:10.4294/zisin1948.49.1_75
  7. ^ 松本浩幸, 三ヶ田均, 大町達夫 ほか、「ゆっくりとした断層破壊による地震津波について 『海岸工学論文集』 2004年 51巻 p.281-285, doi:10.2208/proce1989.51.281
  8. ^ 地震発生の長期的予測における地震空白域と地震活動静穏化現象の意義 東北大学大学院理学研究科 (PDF)
  9. ^ 『マグニチュード7.5の衝撃 三陸はるか沖地震の記録』(青森県総務部消防防災課・1996年3月29日発行)65頁「三陸はるか沖地震に関する警報・注意報・情報(青森地方気象台発表)」から参照。
  10. ^ 1995年1月6日の東奥日報 朝刊より(八戸市立図書館にて閲覧)。
  11. ^ 第113回地震予知連絡会(1995年2月20日)議事概要 地震予知連絡会
  12. ^ 『マグニチュード7.5の衝撃 三陸はるか沖地震の記録』(青森県総務部消防防災課・1996年3月29日発行)65頁「三陸はるか沖地震に関する警報・注意報・情報(青森地方気象台発表)」
  13. ^ 内訳は後述の八戸市のパチンコ店の2名と五戸町で地震によるショック死1名(『マグニチュード7.5の衝撃 三陸はるか沖地震の記録』(青森県総務部消防防災課・1996年3月29日発行)72頁「本震及び余震の被害状況(青森県)」より)
  14. ^ 『マグニチュード7.5の衝撃 三陸はるか沖地震の記録』(青森県総務部消防防災課・1996年3月29日発行)「被害状況 建物」の4頁~7頁より。これに該当部分の写真が載っている。
  15. ^ 『マグニチュード7.5の衝撃 三陸はるか沖地震の記録』(青森県総務部消防防災課・1996年3月29日発行)「被害状況 道」の52ページより。これに、地区名と崩落現場の写真が載っている。
  16. ^ 『東奥年鑑1996年版』「おもなニュース写真」の巻頭ページから。
  17. ^ 現在の青い森鉄道線・八戸〜陸奥市川間
  18. ^ 『1994年三陸はるか沖地震災害調査報告書』(三陸はるか沖が災害調査委員会・1995年7月)44頁「表-1.3 平成6年(1994年12月28日)三陸はるか沖地震の被害状況 13 交通関係 (2)鉄道関係 ①JR関係」より
  19. ^ 当時、東北新幹線盛岡駅までで、青森駅方面は盛岡駅から特急はつかり」に乗り継いでいた。
  20. ^ その急行八甲田は、約11時間遅れの29日8時25分に八戸駅を発車した(東奥日報1994年12月30日付朝刊17面『故郷への道遠く』「県内、帰省客の足大混乱」記事より)。
  21. ^ 当時、田沢湖線は秋田新幹線改軌工事前で、在来線列車が通行可能だった。
  22. ^ 12月29日~31日のデーリー東北、東奥日報、岩手日報の各社紙面。(八戸市立図書館にて閲覧)
  23. ^ 『マグニチュード7.5の衝撃 三陸はるか沖地震の記録』(青森県総務部消防防災課・1996年3月29日発行)から。
  24. ^ 「烈震から一夜 ツメ痕無残」『デーリー東北』1994年12月30日朝刊14面
  25. ^ 『マグニチュード7.5の衝撃 三陸はるか沖地震の記録』(青森県総務部消防防災課・1996年3月29日発行)「資料編」69ページより。
  26. ^ 3月11日 岩手県沖の地震 - 近地強震波形による震源過程解析(暫定)- 気象庁 (PDF)

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