千葉県東方沖地震_(1987年)とは? わかりやすく解説

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千葉県東方沖地震 (1987年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/06 15:05 UTC 版)

千葉県東方沖地震(1987年)
地震の震央の位置を示した地図
本震
発生日 1987年昭和62年)12月17日
発生時刻 11時8分16.8秒 (JST)[1]
震央 日本 千葉県東方沖
座標 北緯35度22.5分 東経140度29.6分 / 北緯35.3750度 東経140.4933度 / 35.3750; 140.4933座標: 北緯35度22.5分 東経140度29.6分 / 北緯35.3750度 東経140.4933度 / 35.3750; 140.4933[1]
震源の深さ 58 km
規模    M6.7
最大震度    震度5: 千葉県 勝浦市 千葉市 銚子市
地震の種類 フィリピン海プレート内部の地震(スラブ内地震) 右横ずれ断層
被害
死傷者数 死者2人、負傷者144人
被害総額 404億円[2]
プロジェクト:地球科学
プロジェクト:災害
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千葉県東方沖地震(ちばけんとうほうおきじしん)は、1987年昭和62年)12月17日11時8分17秒に千葉県房総半島九十九里浜付近を震源として発生した地震である。

地震学的概要

  • 震源は、千葉県房総半島九十九里浜付近の北緯35度22.5分、東経140度29.6分、深さ57.9km。
  • 地震のマグニチュードは6.7(Mw 6.7)。
  • 断層様式は、逆断層成分を含む右横ずれ。
  • 本震の約15秒前に、M 2.7 の前震があった。
  • 津波は観測されていない。

発生要因

関東地方南部の地殻構造は、表層の北アメリカプレートに対し、相模湾相模トラフ)からもぐりこむフィリピン海プレート日本海溝からもぐりこむ太平洋プレートの3層からなる複雑なものであるが、この地震は2層目のフィリピン海プレートの内部で断層運動が発生したスラブ内地震であった。

各地の震度

震度3以上を観測した地点は以下の通り[1]

震度 都道府県 観測所
5 千葉県 勝浦千葉銚子
4 茨城県 柿岡水戸
埼玉県 熊谷
千葉県 館山
東京都 東京
神奈川県 横浜
山梨県 河口湖
静岡県 熱海
3 福島県 小名浜白河
栃木県 宇都宮日光
群馬県 前橋
埼玉県 秩父
東京都 大島八丈島三宅島新島
山梨県 甲府
長野県 飯田軽井沢
静岡県 静岡三島

被害状況

千葉県の広範囲で震度5の強震を記録し、死者2名、重傷26名、軽傷118名、建物全壊16棟、半壊102棟、一部破損6万3692棟、火災3棟を出した[3]。山地崩壊は102箇所で[4]、市原市の埋め立て地を中心に液状化現象が277箇所で生じた[5]。また、ライフラインにも影響があり、千葉県内だけでも289,700戸が停電するなどし、地域によっては1ヶ月以上ライフラインが不通となった地域も存在する[6]

道路の陥没・傾斜地の崩壊・屋根の崩落やブロック塀の倒壊などの住宅被害が、千葉県九十九里浜沿岸地域を中心に発生。また、九十九里浜沿岸・東京湾沿岸・利根川流域沿岸などでは液状化現象により被害が発生し[7][8]、神奈川県三浦半島でも斜面崩落による自動車の埋没などの被害を生じている[9]

関東地方の比較的広い範囲で大きな被害が発生した地震としては1923年の関東地震およびその余震である1924年の丹沢地震以来であり[10]、その点でも当時、注目を集めた地震である。

千葉県内での被害額は総額404億円に達し、うち半分が住宅被害であった[5]

当時は、各市町村に自動計測機器(計測震度計)が設置されていなかった為、気象庁の情報では最大震度5とされているが、研究者の望月利男らが、千葉県の住民にアンケート調査を行った結果から、現在の千葉県大網白里市や東金市、長南町などで震度6弱相当の揺れがあったと推定されている[11]

なお、春川による高校生約1300人を対象とする河角の震度階[12]を用いたアンケート調査では、強震域は震源から北北西に伸びる矩形領域をなし、これは震源断層の方向と調和的であった。一方、約2800点の屋根瓦の被害調査では、大きな被害の分布は震源断層の方向とは斜交し、地質構造と調和的であった[13][14]

その他

防災行政無線は、情報の輻輳により混乱をきたし、機能しなかった[3]

断層の延長線上にある伊豆半島の宇佐美温泉では、地震のあと源泉の温度上昇が生じていた[15]

付近の地震活動

千葉県東方沖のスロースリップ現象

相模トラフから沈み込むフィリピン海プレートと、陸側の北アメリカプレートの九十九里沿岸のプレート境界部では、岩盤がゆっくりずれ動くスロースリップが発生しており、1983年から2014年までの過去31年間の7回で、2年2ヶ月から7年7ヶ月間隔、平均約5年間隔で発生している。最長の7年7ヶ月の活動間隔は期間中に当地震を挟んでおり、スロースリップ発生域の応力が減少し、その発生を遅らせた可能性がある[16]

脚注

  1. ^ a b c 震度データベース検索”. 気象庁. 2021年7月9日閲覧。
  2. ^ 千葉県総務部消防地震防災課 (2009年3月). “第2章 噴きあがる砂・飛び散る瓦 -千葉県に戦後最大の被害を及ぼした千葉県東方沖地震-” (PDF). 防災誌 関東大震災 -千葉県の被害地震から学ぶ震災への備え-. 千葉県. p. 17. 2015年8月5日閲覧。
  3. ^ a b 1987年千葉県東方沖地における災害情報の伝達と市町村・住民の対応 東京大学社会情報研究所廣井研究室 (PDF)
  4. ^ 千葉県東方沖地震による山地災害とその対応 -その後 地すべり Vol.26 (1989-1990) No.1 P.41-43, doi:10.3313/jls1964.26.41
  5. ^ a b 千葉県. “千葉県東方沖地震”. 千葉県. 2025年4月30日閲覧。
  6. ^ 千葉県. “千葉県東方沖地震”. 千葉県. 2025年4月30日閲覧。
  7. ^ 井合進、浦上武、武藤善敬、菊地正樹、「1987年千葉県東方沖地震による千葉港周辺地域の液状化等について」 1988年6月 港湾空港技術研究所 資料 0616
  8. ^ 千葉県東方沖地震による液状化現象とその被害 土と基礎 36(12), 19-24, 1988-12-25 社団法人地盤工学会, NAID 110003974540
  9. ^ 久保 徹:千葉県東方沖地震に伴う三浦半島の被害状況 地すべり Vol.24 (1987-1988) No.4 P.39-40, doi:10.3313/jls1964.24.4_39
  10. ^ 1980年に千葉県中部で発生した地震でも死者2名、負傷者73名を出している。
  11. ^ 望月, 利男、谷内, 幸久、塩野, 計司、江原, 信之「1987年12月17日千葉県東方沖地震調査 : 震度分布と被害の概要」『総合都市研究』第35号、東京都立大学都市研究センター、1988年、16-18頁。 
  12. ^ 宇佐美龍夫、『地震と情報』、岩波書店、1974年、P.28-39
  13. ^ 春川光男、[「千葉県東方沖地震による九十九里平野周辺の震度分布とその地質的震動区分」https://dl.ndl.go.jp/pid/10809907]、『地質学論集』、第35号、 日本地質学会、 1990年、 P.75-90  図5,9,10,11
  14. ^ 宇佐美龍夫、『新編 日本被害地震総覧』東京大学出版会、1996年、P.457
  15. ^ 1987 年千葉県東方沖地震に伴う宇佐美 24号泉の温度変化 (PDF) 地震予知連絡会 会報 第40巻
  16. ^ 房総半島沖で「スロー地震」再来 防災科学技術研究所

出典

関連項目

外部リンク




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