明治東京地震とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 固有名詞の種類 > できごと > 自然現象 > 地震 > 日本の地震 > 明治東京地震の意味・解説 

めいじ‐とうきょうじしん〔メイヂトウキヤウヂシン〕【明治東京地震】


明治東京地震

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/21 19:42 UTC 版)

明治東京地震
地震の震央の位置を示した地図
本震
発生日 1894年6月20日
発生時刻 14時4分
震央 東京湾北部
座標 北緯35度42分 東経139度48分 / 北緯35.7度 東経139.8度 / 35.7; 139.8座標: 北緯35度42分 東経139度48分 / 北緯35.7度 東経139.8度 / 35.7; 139.8
震源の深さ 40 - 80 km
規模    M7.0
最大震度    震度6
被害
死傷者数 死者31人 負傷者157人
被害地域 関東地方
プロジェクト:地球科学
プロジェクト:災害
テンプレートを表示

明治東京地震(めいじとうきょうじしん)は、1894年明治27年)6月20日14時4分に東京湾北部(北緯35.7度、東経139.8度)を震源として発生した地震である。南関東直下地震の一つ。地震の規模はマグニチュード 7.0、震度6[1]、震源の深さは約40 - 80キロメートル(km)と推定される。

概要

機械式地震計による地震観測が開始された以降であり、1892年に設立された震災予防調査会により詳細な被害調査が行われている。東京下町神奈川県横浜市川崎市を中心に被害をもたらした。

帝国大学理科大学(現在の東京大学理学部)地震学教室によれば、余震が少なく、6月21日および22日には弱震が1回ずつ、微震が数回程度あっただけだった[2]。また、10月7日に発生した東京湾の地震 M 6.7、深さ100kmは最大余震の可能性が指摘されている[3]

被害

被害の中心は東京から横浜にかけての東京湾岸で、建物の全半壊 130棟(東京府 90棟、神奈川県 40棟)、死者 31人(東京市 24人、横浜市 4人、橘樹郡 3人)、負傷者157人。建物の被害は洋風建築の煉瓦建造物の被害が多く、煙突の損壊が目立った[4]事から、煙突地震の異名もある[5]。一方、木造の住宅は破損程度の軽被害にとどまる例が多かった。煉瓦構造物の被害の多さは、短周期の地震動(1秒間に数回以上の揺れ)が大きかったためと考えられている[6]

区別で見ると、深川区で死者9人、芝区で即死者2人など。また京橋区築地などでも激しい被害があった[7]

地震に関する記述

樋口一葉の『水の上日記』[9]に、この地震の被害が聞き書きの形で紹介されている。それによると、四谷の松平家では床の間の壁が崩落、土蔵の腰巻が崩れるという被害があったという。また三田のほうでは液状化現象が発生し、噴砂があったという。また、地震発生同日22時頃に余震があったとも記録されている。

ベルツの日記の同年6月22日(原文のまま)にも「石造やれんが造りの家屋の被害がひどく、木骨家屋の被害は少なく、住宅建築上、一つの教訓になると思う」と記している[10]

谷崎潤一郎の『幼少時代』には、東京の下町の自宅にいた谷崎が被災した経験が記載されている。彼の地震恐怖症の元になったと言われる。

メカニズム

震央の位置としては直下型だが、震源がスラブ内地震なのか、フィリピン海プレート太平洋プレートの境界で発生した地震(プレート境界地震)いずれのタイプの地震であるかは、現在のところ特定されていない[11]。しかし、余震がほとんど観測されていないことや、太平洋プレートの地震特有の東北・関東太平洋側異常震域がないことなどからフィリピン海プレート内部の地震、或いはフィリピン海プレートと太平洋プレートの境界で発生した地震と推定する説もある[12]ほか、当時のGME地震計やユーイング式地震計などでの記録と近代的な地震計での観測記録を比較分析した結果からもフィリピン海プレート内部の地震で有るとの結果が得られている[13]

脚注

  1. ^ 図19 1894年6月20日の地震(明治東京地震)
  2. ^ 人事門「續震の有無」、風俗画報、74、東陽堂、p.8
  3. ^ 古村孝志・竹内宏之、「首都圏直下の地震と強震動 -安政江戸地震と明治東京地震-」『地學雜誌』 2007年 116巻 3 - 4号 p.431 - 450, doi:10.5026/jgeography.116.3-4_431
  4. ^ 震災予防調査会 1895
  5. ^ a b 新井健司、「1894年明治東京地震で発生した埼玉県高麗郡飯能町の斜面崩壊」『地学雑誌』 2009年 118巻 6号 p.1265 - 1274, doi:10.5026/jgeography.118.1265
  6. ^ 北原糸子 編、松浦律子 編、木村玲欧 編『日本歴史災害事典』吉川弘文社、2012年6月11日、369頁。ISBN 9784642014687 
  7. ^ 人事門「十五區」、風俗画報、74、東陽堂、pp.10 - 12
  8. ^ 若松加寿江、「首都直下地震による液状化の発生と被害」『地学雑誌』 2007年 116巻 3-4号 p.480-489, doi:10.5026/jgeography.116.3-4_480
  9. ^ 樋口一葉『樋口一葉全集』 4巻、新世社、1941年、105-106頁。 NCID BN0500392X 
  10. ^ エルヴィン・ベルツ 著、トク・ベルツ 編『ベルツの日記 第1部上』菅沼竜太郎訳、岩波書店〈岩波文庫〉、1951年、138-139頁。 NCID BN06791254 
  11. ^ 過去の地震の発振機構 - 気象研究所報告 2000年 第40号 (PDF)
  12. ^ 2005年千葉県北西部の地震 ─震源メカニズム・強震動─ 東京大学地震研究所 強震動グループ、2005年
  13. ^ 第195回地震予知連絡会 議事概要

出典

関連項目

外部リンク




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「明治東京地震」の関連用語

明治東京地震のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



明治東京地震のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
デジタル大辞泉デジタル大辞泉
(C)Shogakukan Inc.
株式会社 小学館
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの明治東京地震 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS