100m道路とは? わかりやすく解説

100m道路

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/31 09:32 UTC 版)

久屋大通愛知県名古屋市
中央分離帯に位置する久屋大通公園を挟む各方向一方通行の車道(画像では高層ビルの谷間となっている部分すべて)で1本の道路である。

100m道路(ひゃくメートルどうろ / ひゃくメーターどうろ)とは、都市の大通りのうち、100メートル(m)程の幅員を有するものの通称・総称である。これらは戦災復興の都市計画に基づいて建設され、実際には、愛知県名古屋市の2本と、広島県広島市の1本が知られる。だが、100mの幅員があってもすべて車道ではなく、両者ともに中央分離帯緑地公園として整備されていて、一本の連続した車道だけを見れば上り下り共に幅員は40m以下である。

概要

「100m道路」は、太平洋戦争での日本の敗戦後、日本本土空襲によって被災した日本各都市の復興のために戦災復興院が立案し、1945年昭和20年)12月に閣議決定された「戦災復興計画基本方針」のなかで計画されたものである[1]。戦災復興院は将来の車社会の到来を予想、主要幹線道路の幅員は大都市では50m以上、中小都市でも36m以上と定めたが、更に必要な場合の緑地帯防火帯を兼ねたものとして計画されたのが100m幅での道路建設であった[1]

当初は全国で24本の「100m道路」が計画されていたものの、日本占領軍であった連合国軍最高司令官総司令部GHQ)による「敗戦国に立派な道路は必要ない」との反対や、1949年(昭和24年)のドッジ・ラインに基づく緊縮財政などにより、ほとんどの道路は幅員が縮小され、愛知県名古屋市の2本と、広島県広島市の1本のみが100m幅として実現した[1]

該当道路

以下の3本の道路が「100m道路」と呼ばれている。

各地にある通称が100mの道路

かつて計画されていた道路

東京都

いずれも後に幅員を縮小している[2]

  • 放射5号 麹町区麹町二丁目 - 四谷区四谷三丁目
  • 放射6号 牛込区市谷本村町 - 中野区本町一丁目
  • 放射12号 京橋区寶町一丁目 - 下谷区三之輪町
  • 放射14号 下谷区御徒町一丁目 - 浅草区蔵前一丁目
  • 放射15号 麹町区九段一丁目 - 城東区亀戸七丁目
  • 放射19号 京橋区寶町一丁目 - 芝区田町四丁目
  • 放射32号 深川区東陽町三丁目 - 本所区向島押上町
  • 放射33号 京橋区槙町一丁目 - 京橋区八丁堀一丁目
  • 放射34号 京橋区槙町一丁目 - 京橋区新川一丁目
  • 環状1号 麹町区九段二丁目 - 麹町区九段一丁目
  • 環状2号 芝区新橋四丁目 - 下谷区御徒町一丁目

その他

北海道札幌市大通公園および北海道釧路市柳町公園は共に「100m道路」に近似している。但し、前者は既に明治時代から存在しており、後者も運用を終えて不要となった運河を埋め立てる事により生じた広大な遊休地を(前者を参考に)考案・再活用したもので、「100m道路」計画との関連は無い。また、関東大震災後に帝都復興院総裁の後藤新平から、東京市に幅広な道路を建設するという案が出た事がある。大阪府道2号大阪中央環状線(通称:中環(ちゅうかん))も、高速道路部分も含め幅員が100m以上あるが、成立過程も形態もほかと異なり「100m道路」の通称で呼ばれることもほとんどない。

なお、東京湾岸道路国道357号首都高速湾岸線[3]大阪府道2号(中環)もその大部分が100mの幅員であるが、「100m道路」と呼ばれることはあまりないが、前者は建設当時東京都内区間において100m道路を意識して構想されたことがうかがえる。[4]

戦災復興都市計画によるものは、大阪市中央大通(幅員80m)、四日市市中央通り(幅員70m)、堺市の大道筋(幅員50m)およびフェニックス通り(幅員50m)などがある。ただし、中央大通の場合、戦災復興事業の対象外とされた中心部の船場上町では万博関連事業として整備された。

なお、久屋大通(幅員112m)は既存の久屋町筋と鍛冶屋町筋、中央大通(幅員80m)は既存の唐物町通と北久太郎町通、大道筋(幅員50m)は既存の大道筋と西六間筋と、既存の2本の道路を1本に束ねる方法が取られている。幅員の違いは、名古屋清洲越しは50間四方の碁盤型、大阪船場は40間四方の碁盤型、堺は南北60間・東西16 - 23間の短冊型といった町割の違いに起因する。

脚注

  1. ^ a b c 「日本再生の記憶と遺産」 『日本経済新聞』 2011年8月10日 朝刊社会面
  2. ^ 東京の戦災復興計画と幻の百メートル道路国際交通安全学会
  3. ^ 東京湾岸道路について【計画概要】”. 国土交通省関東地方整備局. 2020年5月8日閲覧。
  4. ^ 高速道路と自動車10(7) 東京港埋立地内の100m道路の計画 公益財団法人高速道路調査会 1967年7月 国立国会図書館デジタルコレクション

関連項目


100m道路

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/25 14:36 UTC 版)

平和大通り」の記事における「100m道路」の解説

1945年昭和20年12月、「戦災復興都市計画基本方針」が閣議決定される。この中で以下の規定盛り込まれた。 必要ノ個所ニハ幅員50乃至100米ノ広路又ハ広場配置利用防災美観構成ヲ兼ネシムルコト — 戦災地復興計画基本方針 4、主要施設 (1) 街路 ハ こうして、全国で100m道路が計画され最大24路線1947年時点)が立案した広島市復興木原七郎次いで浜井信三広島市長となり、中国地方統括しイギリス連邦占領軍からハービー・サテン少佐医学公衆衛生)およびS・A・ジャビー少佐都市計画)そしてアメリカ軍ジョン・D・モンゴメリー中尉都市計画)が復興顧問就任し1946年昭和21年1月広島市復興局設立同年2月復興審議会設立されると、広島復興プラン市民国内外識者から少なくとも30以上提唱された。その中の一つである、戦災復興院意向受けて竹重貞蔵広島県都市計画課長練った都市計画広島県都市計画立案)をベース復興審議会での諮問の中で他案のアイデア取り入れ同年10月広島復興都市計画」として立案した。100m道路計画は、「平和公園広島平和記念公園)」と、太田川水系各支川の河辺緑化する河岸緑地とともに目玉プランとしてこの中組み込まれたものであり、この時点では以下の2路線であった等級路線詳細広路I号 比治山庚午橋梁部分を除く鶴見町から福島町まで。 後の平和大通り。 I等第2類第3号 出汐庚午橋梁部分を除く舟入および観音地区に。 後の広島市道霞庚午線Clip 丹下健三1947年2月100m道路含めた具体的な道路計画復興審議会答申するなど戦災復興都市計画中心人物となり、のち平和公園設計にも携わり今日においては広島市都市計画原型作った人物評されている。 「戦争被害調査資料 広島復興都市計画街路公園配置図 - 国会図書館」も参照1946年11月、この計画戦災復興院嘱託であった丹下健三参加し具体的に進められていった。まず工事始まったのは比治山庚午線からであり、同年11月整地始まり区画整理進められたが、他の復興事業とそれに対す人口の不足、そして財政難でなかなか進まなかった。そこへ浜井市長関係者尽力により1949年昭和24年8月広島平和記念都市建設法」が連合国軍最高司令官総司令部GHQお墨付き公布復興事業が進むようになった。 この間復興審議会での論議と平和記念都市建設法成立を経て今後広島方向性明確なものとした「広島平和都市建設構想」が確立し復興都市計画ベース新たな都市計画広島平和都市建設計画」が作成されていった一方で国内最大24路線計画された100m道路ではあったが、1949年ドッジ・ラインに基づく緊縮財政理由にほとんどが頓挫した広島においても、100m道路は平和公園とともに計画当初から住宅難に悩む市民にとっては不評だったこと、2路線のうち出汐庚午線は復興都市計画立案当初から整備する意義不明瞭であったため否定的な意見がでたことから、後に立案した広島平和都市建設計画では比治山庚午線は100m道路のままであった出汐庚午線は幅員30mに縮小されている。新橋新大橋(後の平和大橋西平和大橋)は米国対日援助見返資金特別会計によって架橋された。 1950年(昭和25年)市が公表した広島平和都市建設構想試案には100m道路を「平和緑道」と仮称したことに加え、以下の文面記されていた。 広島訪れ人々や、市民の平和を希求する心を平和公園鳩合する通路となるであらう。(中略)。公園から湧出する雰囲気全市布衍すると共に世界各地伝え通路となるであらう。 — 1950年広島平和都市建設構想試案 1951年(昭和26年工事中の100m道路の名称を公募し平和大通りとなったあわせて平和大橋西平和大橋名付けられた。1952年昭和27年3月広島平和都市建設計画」が立案、この時から平和大通り市中心部での主要道配置基準となった同年には平和大橋西平和大橋完成1953年昭和28年平和大通りにとって三番目となる緑大橋完成した。 こうして、100m道路は復興計画から平和都市建設構想へと移行する中で2路線あったものが1路線となったがその構想推し進めようとした浜井市長以下広島市の強い意志働き平和大通り工事進んでいった。

※この「100m道路」の解説は、「平和大通り」の解説の一部です。
「100m道路」を含む「平和大通り」の記事については、「平和大通り」の概要を参照ください。

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