浅川巧とは? わかりやすく解説

浅川巧

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/06 08:48 UTC 版)

浅川 巧
(あさかわ たくみ)
誕生 (1891-01-15) 1891年1月15日
山梨県北巨摩郡甲村
(現在の北杜市高根町
死没 (1931-04-02) 1931年4月2日(40歳没)
朝鮮
墓地 忘憂里共同墓地
ソウル市中浪区
職業 朝鮮総督府林業試験場技手・朝鮮[民芸]・陶芸の研究・評論
国籍 日本
最終学歴 山梨県立農林学校
ジャンル 林業美術
主題 朝鮮の林業工芸民芸陶磁器
文学活動 民藝運動
代表作 朝鮮の膳』(1929年)
朝鮮陶磁名考』(1931年)
デビュー作 朝鮮の膳』(1929年)
配偶者 浅川みつえ(浅川政歳の妹)
大北咲
子供 浅川園絵
親族 浅川伯教(兄)
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浅川 巧(あさかわ たくみ、1891年(明治24年)1月15日 - 1931年(昭和6年)4月2日)は、朝鮮民芸・陶芸の研究家・評論家。朝鮮半島で植林事業を行う傍ら、朝鮮半島の陶磁器と木工を研究紹介した。

略歴

父・浅川如作、母・けいの次男として山梨県北巨摩郡甲村五丁田(同郡高根町五町田を経て、現在は北杜市高根町五町田)に生まれる[1][2]。兄は浅川伯教1891年(明治24年)には村山西尋常小学校に、1901年(明治34年)には秋田尋常高等学校に入学する[1]

1906年(明治39年)4月、山梨県立農林学校に入学[1]、この頃に浅川政蔵と知り合う。1907年(明治40年)6月にはメソジスト甲府教会受洗[1]1909年(明治42年)4月、秋田県大館営林署に就職[3]

1914年(大正3年)23歳、5月に兄を追って朝鮮半島に渡り、同年9月には朝鮮総督府農商工部山林課林業試験場に就職し[3]、養苗や造林研究に従事する。翌1915年(大正4年)には伯教に伴われて我孫子を訪ね、柳宗悦と知り合う[3]。翌1916年(大正5年)2月には浅川政蔵の姉みつえと結婚[3]。同年9月、柳が朝鮮を訪れ、巧宅に泊まり、民芸に開眼する[3]

1917年(大正6年)、『大日本山林会報』に論文を発表する。1919年(大正8年)3月、3.1独立運動が始まる[4]。同年4月、石戸谷勉と『朝鮮巨樹老樹名木誌』を刊行し、同年8月には石戸と『樹苗養成指針・第一号』を刊行する[4]1921年(大正10年)には林業試験場が京城郊外の淸凉里(朝鮮語: 청량리동(現ソウル市東大門区)に移り、その翌年に巧も転居した[5]。巧は朝鮮の工芸に注目し、陶磁器家具民具の収集を行い、1924年(大正13年)4月に柳の発案で柳や兄の伯教とともに李朝王宮跡である景福宮内に朝鮮民族美術館を設立する[5]1929年(昭和4年)には『朝鮮の膳』を刊行[6]

1931年(昭和6年)4月2日、急性肺炎のため没、40歳[6]。淸凉里に葬られる。のちに郊外の忘憂里共同墓地に改葬された。1984年に林業試験場職員一同のカンパによって建立された墓碑には「韓国の山と民芸を愛し、韓国の人の心の中に生きた日本人、ここ韓国の土となる」と書かれている[7]。同年9月、遺著『朝鮮陶磁器名考』が出版された[6]

浅川巧氏の墓碑

関連施設

著作

単著

編著

関連作品

脚注

  1. ^ a b c d 朝鮮民芸論集 2003, p. 317.
  2. ^ 上田正昭、津田秀夫、永原慶二、藤井松一、藤原彰、『コンサイス日本人名辞典 第5版』、株式会社三省堂、2009年 23頁。
  3. ^ a b c d e 朝鮮民芸論集 2003, p. 318.
  4. ^ a b 朝鮮民芸論集 2003, p. 319.
  5. ^ a b 朝鮮民芸論集 2003, p. 320.
  6. ^ a b c 朝鮮民芸論集 2003, p. 322.
  7. ^ 茨木 2023, 「忘憂里」.
  8. ^ 10周年のアナログスイッチが浅川巧に焦点を当てた新作「白片つぐつぐ」”. ステージナタリー (2022年3月7日). 2022年3月22日閲覧。

参考文献

関連項目

外部リンク





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