朝鮮民族美術館
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![]() 景福宮内緝敬堂(朝鮮民族美術館)1924年頃 | |
施設情報 | |
開館 | 1924年4月9日[1] |
所在地 |
京城府(現ソウル特別市) ・景福宮緝敬堂[1] |
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朝鮮民族美術館(ちょうせんみんぞくびじゅつかん)は、京城(現:ソウル)の景福宮にあった、朝鮮半島の工芸博物館である。1924年(大正13年)浅川巧、伯教兄弟、民藝運動で著名な柳宗悦ら日本人によって設立された。
李氏朝鮮時代に芸術家によってではなく、無名の職人によって作られた民芸(民衆の工芸)は、それまで美的な価値が顧みるられることは無かった。柳らはその価値をいち早く発見評価し、民衆の生活に深く交わるこれらの中に、素晴らしい美の姿があると評価した。また柳らは、日本の朝鮮政策を批判している。今日では韓国政府が、韓国国立民俗博物館として継承運営している。
関連文献
- 『浅川巧全集』 草風館、1996年
- 『浅川巧 日記と書簡』 草風館、2003年
- 『朝鮮民芸論集』 浅川巧、高崎宗司編、岩波文庫、2003年
- 『回想の浅川兄弟』 高崎宗司・深沢美恵子・李尚珍編、草風館、2005年
- 『柳宗悦と朝鮮 自由と芸術への献身』 韓永大、明石書店、2008年
- 『朝鮮とその藝術 柳宗悦全集 著作篇 第6巻』 筑摩書房[2]、1981年
- 『朝鮮の美 沖縄の美 柳宗悦セレクション』 書肆心水、2012年
- 「朝鮮民族美術館」の設立に就て、朝鮮の美術、朝鮮の品々 ほか全12篇
関連項目
脚注
朝鮮民族美術館
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柳は、1914年(大正3年)、朝鮮陶磁研究家の浅川伯教(あさかわのりたか)との出会いを通じて朝鮮の美術に関心をもつようになる[要出典]。浅川が柳を訪問した際に土産として持参した朝鮮の白磁に魅せられた柳は、以後朝鮮半島、特に朝鮮王朝時代の美術に傾倒し、1916年(大正5年)以降、たびたび訪朝するようになる[要出典]。朝鮮半島は1910年(明治43年)以来日本の支配下にあったが、柳は朝鮮独自の文化を無視しようとする日本政府の政策に反発し、当時の美術史家や収集家がほとんどかえりみなかった朝鮮王朝時代の白磁、民画、家具などの素朴な美を世に紹介することに努めた[要出典]。1921年(大正10年)には東京・神田にて日本初の朝鮮美術展[要出典]、「朝鮮民族美術展覧会」を開催した。1924年(大正13年)には、浅川伯教と弟の浅川巧の援助を得て、ソウルの景福宮内に「朝鮮民族美術館」を開設するに至った。
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