関東大震災と城ヶ島
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 14:11 UTC 版)
1923年9月1日に発生した関東地震は、震源断層の主要な破壊領域が二つあると推定されており、一つは神奈川県西部直下、そしてもう一つは三浦半島直下と推定されている 。地震発生時に三崎港は6mほど隆起し、海が干上がり、城ヶ島まで陸続きとなって数日間渡ることができた。その後、予効変動による沈降によって海水面は数日をかけて徐々に戻った。この現象は当時を知る人達によって口伝えられており、地元では知る人が多い。現在の三崎港を眺める限りは信じ難い現象であるが、『大正震災志』(内務省社会局編)に三崎の隆起が最大7.5mに達して徐々に沈降したことや、城ヶ島の東側海域でガスの噴出があったことが記録されている。地盤変動は三崎周辺を平均1.4mも隆起させて収束した。 大正時代までの三崎周辺には多くの海水浴場があり、城ヶ島にも遊ヶ崎海水浴場があった。しかし、地震による隆起で砂中の岩があちこちで露出した結果、旅館が足りずに海水浴客が民家の軒先を借りるほどの人出があった海水浴場としての賑わいは過去のものとなった。尚、三崎港の干上がり現象は、1703年12月31日(旧暦11月23日)の元禄大地震でも発生した。復旧費用は江戸幕府の援助のみでは足りず、旗印を掲げた船で沖を通る船から寄付を集めたとされる。
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