関東大震災と婚礼の儀の延期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 17:50 UTC 版)
「昭和天皇」の記事における「関東大震災と婚礼の儀の延期」の解説
「関東大震災」も参照 1923年(大正12年)9月1日発生の関東大震災では、霞関離宮が修理中であったために箱根(震災で大きな被害を受けた)へ行啓する予定であったが、当時の内閣総理大臣加藤友三郎が急逝したことによる政治空白が発生したため、東京の宮城(皇居)に留まり命拾いをした。のちに昭和天皇はこの時を振り返り、1973年(昭和48年)9月、記者に「加藤が守ってくれた」と語っている。 地震における東京の惨状を視察した皇太子裕仁親王(当時摂政)は大変心を痛め、自らの婚礼の儀について「民心が落ち着いたころを見定め、年を改めて行うのがふさわしい」という意向を示して翌年1月に延期した。 後年、1981年(昭和56年)9月の取材で、昭和天皇は関東大震災について「惨憺たる様子に対して、非常に感慨無量でありました」と述懐している。また、同会見では、甚大な被害に加え、皇族にも死者が出たことから、9月1日を「慎みの日」としていることを明かしている。
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