関東大震災における流言
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/03 06:10 UTC 版)
1923年9月1日の関東大震災発生後、実際よりも大袈裟な、朝鮮人(厳密には大韓帝国は1910年で消滅、1945年に解放されるまで日本領となっていたため、国籍上は日本人であった)による略奪や暴徒化に関する流言があった。当時は報道手段が新聞や週刊誌、ニュース映画しかなかったため(ラジオ放送開始は大正末期の1925年である)一般市民が最新情報を入手しにくく、流言が広がりやすい環境下にあり、またそれ以前から三・一運動により、朝鮮半島出身者が治安上の脅威と考えられていたことによる。詳細は「こちら」を参照。 その時に流れた主なうわさを以下に示す。 “不逞鮮人が井戸に毒をいれた” “不逞鮮人が放火・暴動を起こしている” “不逞鮮人がクーデターを起こすため海軍東京無線電信所を襲う恐れあり” 具体的な情報ではなく、平時ではただの噂で終わるが、震災による極度の混乱と“日頃から「異国人」である朝鮮系に抱いていた恐怖心や憎悪・蔑視”などが重なり虐殺事件へと発展した。震災後の混乱に対する自力救済のため各地で結成された自警団により、不逞鮮人と間違われた無関係の朝鮮人や日本人、中国人も含む多数が殺害された。多くの朝鮮人が各地の警察署に保護され難を逃れた。埼玉県本庄町の本庄警察署では、警察署を襲撃した民衆が朝鮮人を殺害した事件が発生している。 流言の発生源のひとつは警察を統括する内務省であったとする説、横浜市の極右翼団体「立憲労働党」総裁・山口正憲が発生源であると言及している本もある。また、何者とはわからないが横浜方面で発生したものであると記述されている本もある。このように関東大震災時の流言に関してはその直後から各種の調査や考証が行われているが、詳細な経緯については不明な点が多い。
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