関東大震災と復興とは? わかりやすく解説

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関東大震災と復興

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/10 01:08 UTC 版)

東京大学総合図書館」の記事における「関東大震災と復興」の解説

1923年大正12年9月1日南関東一帯激震襲った関東大震災である。帝国大学のある本富士町の震度は5弱から5強程度であった思われる当時図書館業務にあたっていた西村貞雄の回想によると、地震のゆれによって館内では一部書架倒れ、また並べられていた図書落ちて散乱するなどの被害生じた十字型図書館建物では、南北延び事務部分、玄関等の一部壁面損傷生じたが、閲覧室書庫目立った破壊部分はなかったという。この時点では所蔵資料への大きな被害生じていなかった。 しかし、図書館近く現在の図書館団地南側に当たる教育学部棟の位置にあった医学部化学教室において、ゆれで薬品が床に落ちて発火し建物燃え移って火災発生した。この火が薬物学教室経て破壊生じていた図書館南側屋根下から館内侵入しそのまま燃え広がって図書館全体が炎に包まれた。所蔵資料1週間わたって燃え続けた当時図書館書庫防火戸などの耐火設備設けられいたものの、原因不明だ結果的に延焼を防ぐことができなかった。図書館煉瓦造の壁だけが燃え残り多く蔵書屋根もろとも焼かれ尽くしてしまった。焼失した図書確かな数は明らかでなく、『東京帝国大学五十年史』は約76冊、『東京大学百年史 通史』は75冊、図書館復興携わることになった古在は70万巻とし、震災当時図書館職員であった植松安は、火災の中図書救出行った持ち出せたのは閲覧室備付1万程度だったと顧みている一方で同じく職員であった男澤は文部省往復等を基に、焼失冊数を56-57冊と比較少なく見積もっている。灰燼に帰した資料中にはマックスミューラー文庫曲亭馬琴日記自筆稿本15冊中1冊のみは持ち出される)など、貴重なものも多かった。この火災によって燃えてになった図書一部や、直前持ち出されて難を逃れた図書などは、館史資料として現在も総合図書館所蔵されている。 震災から4日後の9月5日事務室工学部新館現在の工学部2号館旧館)に移される11月1日には耳鼻咽喉科研究室現在の研究棟)の地下室に移る。翌1924年大正13年1月には、バラック建築の約150席の仮閲覧室設けられるこのころには耳鼻咽喉科研究室地階事務室書庫として使っていた。また、閲覧室道路挟んで耳鼻咽喉科研究室向かい現在の附属病院外来診療棟辺り建てられていたようである。 仮の体制での開館試みられる中で、東京帝国大学図書館焼失全世界知られるところとなり、様々な支援の手が差し伸べられようになった震災起きた9月17日には、早くも国際連盟東大図書館復興援助決議された。国内では10月から、海外からは11月アメリカからの第1回寄贈図書はじめとして国内外からの寄贈図書相次いで寄せられた。 1924年大正13年6月には、ロックフェラー財団フレドリック・F・リュッセル(英語版)ら一行図書館の仮事務室訪れ姉崎館長面会した。この時点で、図書購入費や図書館建築に関するほのめかしがあったと思われる8月にはニューヨーク領事から外務省に対して東大図書館復興に関する問い合わせがあり、姉崎館長が必要金額に関して回答している。また、姉崎9月友人James Woods宛に出した手紙では、寄附に関して建物の名前(例え新し図書館ロックフェラー図書館とする)を条件とされた場合への憂慮や、新たな図書館には記念室設けられなければならない考えていること、当時国内において対米感情悪化していたため、米国ロックフェラーから寄附を受けることに対して議論が起こるかもしれないといった見通しなどが綴られている。同年12月30日ロックフェラーから400万円寄付するという電報が、当時古在由直総長宛に送られてきた。憂慮されていた建物への命名条件どころか建設費用図書購入費用との配分なども含めて一切条件を付さなかった。ロックフェラーからの書簡のうち、以下に引用する最後一節極めて丁重なものであり、関係者深く感心させ、米国からの寄附反対する声も収まることとなった。 …… I quite realize that in time the Japanese people will themselves accomplish the complete restoration of their cities and institutions which have been destroyed. However, I shall regard it as a great privilege to be permitted to hasten the day when your University., which stands among the foremost institutions of learning in the world, will again be provided with adequate facilities.(訳文日本國民が、その破壊せられた都市學府の完なる回復自力にて成就すべき事は、自分確信する所に御座候然しこれと共に又、世界學界優秀な位置占めらるゝ貴大學が、再び滿足なる圖書館設備を有せらるべき日の來る事を早むるについて、微力その間加ふるを容されむ事は、自分大に欣懐とする所に有之候。) — ジョン・ロックフェラー本文本館記念室展示書簡複製)より 以降図書館建設経緯は、「現在の建物」の章に詳しく記すこととしてここでは要点触れるに留める新し図書館建設当たっては、当時古在由直総長委員長とする図書館建設委員会設立され設計部長には内田祥三就任した1926年大正15年1月26日地鎮祭行って着工し1928年12月1日竣工同日竣工式開かれている。国内外から寄せられ多く援助によって、図書館再建成った1928年度の年度末には東京帝国大学蔵書590,509冊(冊数図書および製本雑誌のみ)となり、蔵書の面でも復興進んだ新たな図書館の開館当たっては、東京帝国大学図書館規則の改定や、目録の作成事業指定制度開始など、制度面においても新たな取組みが行われた。

※この「関東大震災と復興」の解説は、「東京大学総合図書館」の解説の一部です。
「関東大震災と復興」を含む「東京大学総合図書館」の記事については、「東京大学総合図書館」の概要を参照ください。

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