関東大震災と成長期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/07 00:25 UTC 版)
「東京乗合自動車」の記事における「関東大震災と成長期」の解説
1923年(大正12年)9月1日、関東大震災が発生する。東京乗合自動車も約20万6,000円の損害を受けた。乗合自動車は震災に際して「罹災老幼及傷病者」の無料輸送の実施を行った。 東京乗合自動車と競合状態にあった東京市営電車の震災による損害は、営業所の全焼4件、車両焼失777両、軌道損壊152kmに及んだ。市電の運行停止により、東京乗合自動車は営業面で好転した。震災後の東京乗合自動車のバス営業再開は9月10日からであった。9月の営業日数が21日間であったにも関わらず、この月は乗客数で前月比1.3倍、営業収入が前月2.3倍を記録した。1924年(大正13年)には300万円の増資を行い、翌1925年(大正14年)には東京實用自動車と第二實用自動車を合併し、250万円の増資を行った。震災を期に東京乗合自動車は営業路線を拡大し、成長軌道にのった。 東京市電気局は震災で壊滅状態にあった市電への応急措置として、フォード製の11人乗り自動車を44両を購入し、市電復旧までの補助機関として、1924年(大正13年)1月より市内の乗合自動車の運行を開始した。東京市営の乗合自動車は「円太郎」という愛称がつき、好評を博した。しかし7月末までの期限付き営業免許であったため、市電の復旧が進むと、市営乗合自動車の廃止の是非が問題になった。 1925年(大正14年)には輸送乗客数が2000万人に達した。同年8月に社長が渡辺勝三郎から渡辺六郎に交代した。同年9月に貸自動車部門として分離していた東京実用自動車および第二実用自動車を再合併した。
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