関東大震災からの復興
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 19:58 UTC 版)
1923年(大正12年)9月1日、いわゆる関東大震災が発生すると、東京市電は電力設備の機能停止で送電が途絶したちまち全線で運転不能となった。さらに地震後の大火災によって電気局本庁舎をはじめ営業所4か所、車庫5か所、車両工場などが全焼し、焼失した電車は779両に及んだ。設備の被害は軌道152km、架線66km、橋梁26か所などで、被害総額は市電だけで2500万円、市営電灯を含めた電気局全体では4000万円に上った。 本庁舎を失った電気局は、9月2日に東京市役所、次いで9月3日に桜田門外にあった資材置き場に仮本部を設置し、大阪市電気局などの協力を得て復旧に取り掛かった。市電の復旧は比較的被害の少なかった山の手方面から着手され、早くも9月6日には神明町車庫前 - 上野三橋間、9月8日には青山六丁目 - 桜田門、四谷塩町 - 泉岳寺前間で運転再開に漕ぎ着けた。被害の大きかった下町方面も同年10月20日柳島 - 亀沢町間で運転を再開したのを皮切りに復旧が進められ、1924年(大正13年)6月12日には市電全線の復旧が完了した。また1924年(大正13年)1月18日からは市電復旧までの代替措置として都営バスの前身である東京市営バスの運行が開始され、市電復旧後も引き続き東京市民の足として活躍することとなった。
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