2厘5毛の差
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/27 07:59 UTC 版)
ロンドン海軍軍縮条約による補助艦比率は、要求の対米7割(70%)に対して不足は僅か2厘5毛(0.25%)であった。このことはワシントン海軍軍縮条約に比べて、譲歩を勝ち取ったといえる。 にも関わらず、艦隊派が強硬に反対した理由としては、次のような点があった。 ワシントン海軍軍縮条約の結果、戦艦等の主力艦が既に対米6割になっていた。 主力艦の代用となる大型巡洋艦が対米6割となった。 漸減作戦の鍵となる潜水艦の所要量に不足した。 末次が強硬にロンドン海軍軍縮条約に反対した最大の理由は、潜水艦量に制限を加えられたためと推測されている。上述の通り対米作戦において潜水艦が担う索敵、漸減の役割は大きく、末次は自ら潜水艦部隊を作り上げてきた。末次にとって潜水艦は絶対量が必要であり、比率は無意味であったのである。 なお、第二次世界大戦では主力兵器となった航空機は、第一次世界大戦において兵器として活用が始まったばかりで技術的にも未発達であり、例えば零式艦上戦闘機が開発・配備されるのは十年以上後の1940年7月(昭和15年7月)のことだった。 当時の各国は海戦の勝敗を主力艦が握ると考えていた、いわゆる大艦巨砲主義の時代である。しかし当時の日本は、1905年のドレッドノート完成による既存艦艇の陳腐化とそれを補うための建艦競争の激化に加えて、1923年に発生した関東大震災からの復興対応と1929年に起こった世界恐慌による経済的苦境にあり、更に日露戦争の戦費調達の為に発行した外債約1億3,000万ポンド(約13億円弱)の借り換え時期を控えていた。 七割論は艦隊派、条約派を問わず支持するところであったが、日米の国力差を考慮すれば軍縮条約が必要であるとするのが、岡田啓介、山梨勝之進、堀悌吉ら条約派であり、加藤友三郎の次の言葉がその考えを象徴している。 国防は軍人の専有物にあらず。戦争もまた軍人にてなし得べきものにあらず。…仮に軍備は米国に拮抗するの力ありと仮定するも、日露戦争のときのごとき少額の金では戦争はできず。しからばその金はどこよりこれを得べしやというに、米国以外に日本の外債に応じ得る国は見当たらず。しかしてその米国が敵であるとすれば、この途は塞がるるが故に…結論として日米戦争は不可能ということになる。国防は国力に相応ずる武力を備うると同時に、国力を涵養し、一方外交手段により戦争を避くることが、目下の時勢において国防の本義なりと信ず。 — ワシントン会議において堀悌吉に口述
※この「2厘5毛の差」の解説は、「末次信正」の解説の一部です。
「2厘5毛の差」を含む「末次信正」の記事については、「末次信正」の概要を参照ください。
- 2厘5毛の差のページへのリンク