関東大戦
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文明15年(1483年)冬、犬士たちを恨む扇谷定正は、山内顕定・足利成氏らと語らい、里見討伐の連合軍を起こした。里見家は犬士たちを行徳口・国府台・洲崎沖の三方面の防禦使として派遣し、水陸で合戦が行われた。京都から帰還した親兵衛や、行方不明になっていた政木大全も参陣し、里見軍は各地で大勝利を収め、諸将を捕虜とした。 文明16年(1484年)4月、朝廷から停戦の勅使が訪れて和議が結ばれ、里見家は占領した諸城を返還した。信乃は、捕虜となっていた成氏に村雨丸を献上し、父子三代の宿願を遂げた。
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関東大戦(対管領戦)
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「南総里見八犬伝」の記事における「関東大戦(対管領戦)」の解説
『八犬伝』における架空の合戦。作中の文明15年(1483年)冬、関東管領(扇谷定正・山内顕定)・滸我公方(足利成氏)・三浦義同・千葉自胤の連合軍と里見家による戦争。行徳口・国府台・洲崎沖の三ヶ所を戦場とするこの戦争の総称は原典中にはないが、研究者によって「関東大戦」「対(関東)管領戦」などと名づけられている。
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