大大阪時代
大大阪(だいおおさか)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 13:57 UTC 版)
大阪市が周辺の町村を編入して市域を拡大し、東京市を抜いて全国一の人口となった1925年(大正14年)から昭和初期の繁栄期を「大大阪時代」と称する。この時期には隣接する兵庫県の川辺郡全域と武庫郡の大半(当時の神戸市域より西に位置した旧八部郡の須磨町・山田村を除く)も広義の大阪都市圏として「大阪」に含める場合があった。武庫郡鳴尾村(現在の西宮市)にある甲子園球場をホームグラウンドとする阪神タイガースが球団設立当初は「大阪タイガース」を称し、甲子園球場内に移転するまで大阪市に球団事務所を置いていたのもそのためである。しかし、大阪近郊には川辺郡小浜村(現在の宝塚市)の宝塚球場をホームグラウンドとする阪急軍や堺市の中百舌鳥球場をホームグラウンドとする南海軍もあったので、大阪タイガースは1961年(昭和36年)に正式名称を現在の「阪神タイガース」に改称する以前から「大阪」でなく親会社である阪神電気鉄道の名前を取った「阪神」と通称されていた。
※この「大大阪(だいおおさか)」の解説は、「阪神間」の解説の一部です。
「大大阪(だいおおさか)」を含む「阪神間」の記事については、「阪神間」の概要を参照ください。
- 大大阪のページへのリンク