オリックス・バファローズ
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オリックス・バファローズ(英語: ORIX Buffaloes)は、日本のプロ野球球団。パシフィック・リーグに所属している。
- 1 オリックス・バファローズとは
- 2 オリックス・バファローズの概要
阪急軍
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四、五番を打ち主力選手として活躍。広い守備範囲に強肩、本塁送球はストライク返球だったといわれ、三拍子揃った外野手(センター)として鳴らし西村正夫(または山下好一)、山下実と共に"百萬弗外野陣"とも称された。堀尾を中心とした阪急外野陣は、初期のプロ野球随一の均整のとれた強打線ともいわれた。肩幅広く長身、顎ヒゲ跡が濃く、ブスッとして喜怒哀楽に無感覚、快足のために反って目立たぬ攻守、いつ外野席に叩き込むか分からぬ不敵な面構えに、人気はほとんどなかったといわれる。細身ながら草創期の野手では最も背が高かったといわれ、沢村栄治が「ジミーさん死んだら手の皮をくださいね、グローブ作るんだ」と冗談を言ったほど手の平からして大きかった。怪力で片手で選手のベルトをつかむと相手を自分の目の高さよりも高く持ち上げたという逸話が残る。通算打率.236は、いかに低打率の時代とはいえ低いが、日本式の当てにいくバッティングではなく、当時の日本では異端とされた振り切る打法だったためで、その腕っぷしからたまに放たれる打球はロケット弾となって飛んだといわれる。1936年11月14日、対名古屋軍戦で記録した一試合連続打席3三塁打は、2017年現在も日本最多タイ記録(過去3人)。1937年10月6日、対金鯱軍戦で打ったホームランは、戦前の後楽園球場での2本の場外ホームランの1本。この大ホームランは古いファンの語り草だったという。同年10月30日、対セネタース戦(後楽園)のホームランは、阪急球団代打ホームラン第1号。同年開設された西宮球場は、小林一三の命を受けた三宅監督が、堀尾を通してリグレー・フィールドの青写真を取り寄せ、それを参考に設計されたもの。1938年8月29日、同じく後楽園球場の対ライオン戦で、菊矢吉男から放ったホームランは、センターオーバーのホームラン第1号ともいわれる。また俊足選手で1936年秋に開催された第二回全日本野球選手権大会の対名古屋軍で、史上唯一の3イニング連続3打席連続三塁打を記録している。打撃に比べ守備は洗練されていて戦前のセンターでは一番巧かったという声もある。この他、アメリカのプロ野球では当たり前だった牛骨を使ったバットの手入れ等、野球用具の大切さを説いた。当時の野球選手は試合にバットを1本しか持参しない選手が多く、バットを折った選手が「ちょっと貸してくれ」と言おうものなら「手で打て!」と怒鳴り飛ばした。堀尾は30本以上バットを所有していたという。英語が話せる反面、日本語がたどたどしく、六大学出のスター選手の多かった阪急では、チームメイトと最後まで溶け込めなかったといわれる。ただ『阪急ブレーブス五十年史』では、チームメイトにかわいがられたと記述されている。
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